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<<   作成日時 : 2006/07/01 19:37   >>

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 最近,政治・行政・経済・企業・学問・報道等,さまざまな分野で,「道義的責任」を問われることが多い。そこで言われる「道義」とは,いったいどういうことなのだろう。辞書によれば,「人のふみ行うべき正しい道。道徳の筋道。」(岩波国語辞典)と有るが,では,「道徳」とは何かというと,辞書では,「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」(岩波国語辞典)だと言う。そこで次に,「正しい」とはどういうことか,「善」とは何か,という問題が生じる。
 もともと「正」とか「善」とかに絶対的な規準は無い。個々の人間の意識の問題に帰することだ。ただ言えるのは,「社会生活を営む上で」,他者に迷惑を及ぼしたり,不快感を与えたりしない,という条件が考えられる。そして,「道義的責任」と言う場合の「道義」とは,自分の社会的な立場を考えて「守らなければならない」行為の規準ということになろう。
 例えば,金を儲けることが即「悪」ではない。しかし,それが法に触れる犯罪行為に至らないまでも,政治家が立場を利用して多額の金銭を手に入れたり,国の経済を動かす立場の人が自分の個人的な利殖行為を制御しなかったりすれば,社会的な立場上,「道義」に反することになる。
 政治にしろ,経済にしろ,それぞれの分野には,門外漢である一般市民には察知できず,関与できない面が在る。しかし,それぞれのプロを自認する人ほど,プロとしての自覚の上で,「守らなければならない」けじめが有ろう。それが失われているところから,堕落,腐敗が起きる。さらに,プロの世界のことは,関与していない者には解らないと嘯くことが,堕落,腐敗を助長する。一般市民の感覚を重んじることで,プロとしての「道義的責任」が保たれるのではないか。
 「道義」と言う場合,市民として求められる「モラル」,「公共心」といった範囲に止まらず,その語義としては,「人のふみ行うべき」の前に「社会的な地位・役職の上で」という言葉を加えるべきかと思う。

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