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zoom RSS 発想のレベル

<<   作成日時 : 2007/04/13 19:19   >>

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 人は,自分を基準にした発想しかできないものだと,感じることが多い。その根底には,当人の知識や経験のレベルが在る。レベルが低い場合,自分のレベルでしか発想できない人は,より高いレベルの世界に思いが及ばず,自分の知る範囲が全てだと思い込んで,とかく的外れのことを,したり顔で言いがちだ。
 たとえ当人のレベルが低くても,上の世界の在ることを知っていれば,自分のレベルを自覚して,態度や発言も,おのずから謙虚になるはずだが,その自覚に欠ける人が少なくない。
 これは,日常的に接する人との会話を通して感じることだが,事は,そういう場面に限らない。
 田中貴子著『検定絶対不合格教科書 古文』(朝日選書・2007年3月25日発行)に,教科書教材に関する解釈や参考文献が記されている教師用「指導書」の内容があまりにも「研究の現状から遅れている」という指摘が有る。「研究が日々進展していることを無視」したもので,「あまりに不勉強」だというのだ。
 教科書検定制度の裏には,文部科学省(国)の権力支配的な意図が在ることは言うまでもない事実だろうが,それにしても,それが,「文学」についての認識,ひいては,日本語教育に対する意識のレベルの低さに基づいていることには,憂えざるをえない
 意識のレベルということで言えば,いま進められている裁判員制度の施行にも不安が有る。選ばれた裁判員が,見識を持ち,冷静で客観的な判断を下す能力を備えているかどうか,当人の判断力のレベルが気掛かりなことだ。現職の裁判官による判決でさえ,疑わしく,信頼の置けない場合がまま有るけれど,まして,一般参加の建前だけで進められている裁判員制度を認めるには,不安な点が大きい。仮に,私が冤罪で被告人の立場に立たされたとき,人権意識や判断力のレベルの低い裁判員に断罪されてはたまらないという思いを拭いきれない。

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