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zoom RSS 老いの妄想

<<   作成日時 : 2008/06/19 20:32   >>

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 古稀を越えて,脳梗塞で左半身が不随になり,その後,今度は心筋梗塞に襲われて死線を彷徨った石堂淑朗が,右手一本でパソコンワープロを打ち,「私の文筆の仕事は本書で終わりました。後は冥界で実相寺昭雄や今村昌平と会うだけです」と最後に記している『往時茫々』(2006.9〜07.8「ちくま」連載・2008年3月25日筑摩書房発行『偏屈老人の銀幕茫々』所収)は,石堂の往時の交友を語ったものだが,登場する人物はいずれも映画や評論の分野で一家を成した人々であるにもかかわらず,脳梗塞を患った老人の妄想が混じっているのではないかと疑われるような,無頼の暮らしの回想が少なくない。
 相手は既に鬼籍に入った人ばかりだから,たとえ石堂の妄想であっても,異議を唱えられないことだけれど,無頼の魂が彼らの活力の源だったのかもしれないと思われて,私には羨ましいことでもある。
 ちなみに,回想に登場する人たちの名を没年順に記すと,斎藤龍鳳(1971年),浦山桐郎(85年),小川徹(89年),藤田敏八(97年),種村季弘(2004年),今村昌平(06年),実相寺昭雄(06年)等々だが,今こうして没年を調べていると,彼らが逝って,もうそんなに歳月が経ったのかと,作品の上でしか彼らを知らない私もまた,「往時茫々」の思いに囚われる。
 心筋梗塞の発作の際に面倒を見てもらった看護婦さんに「若い娘にして同時に命そのものである」と感じた石堂は,「世田谷の等々力渓谷と思しい」場所の「ベンチの上で彼女と私は戯れる」夢を見たと,最後の回で書いている。石堂は,私より3年早い生まれのはずだが,その欲求には共感する。
 石堂に倣って,露悪的になれば,私もまだ女に対する欲求を捨てられない。男の精の涸れる直前の射精のとき赤い玉が出るという,伝説のような話を読んだことが有るが,既に古稀を過ぎても,まだそのときは来ないようだ。
 私には縁の無いことだけれど,婚外交渉の経験がかなり有る(らしい)同年の友人が,最近は,ものになりそうな女を見掛けても,いざというときに自分の物が役に立たないことを惧れて,声を掛けられなくなった,と言っていたが,役に立とうと立つまいと,死ぬまでに一度,命の漲る女の裸身を思うまま抱きたいという願望はなお強い。
 例えば,渡辺淳一の作品に描かれる男と女は,いずれも夫婦ではない。夫婦でないからこそ,性愛だけが究極の目的で,その極致を追求しようとする。夫婦であれば,性愛のみに没頭するわけにはいかず,持続的で穏やかな感情が必要で,そうでなければ,夫婦の暮らしは平穏では有り得まい。一方,渡辺淳一の物語世界は,夫婦でない男女の間でしか成り立たない。しかし,平穏な夫婦の暮らしを続けていても,男としての欲求は別のもので,老いても,性愛の妄想は断ち難い。

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