ShoGのボヤキ念仏

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zoom RSS 御意見無用の年齢

<<   作成日時 : 2008/10/11 19:44   >>

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 山口県の周防大島には,同島出身の民俗学者・宮本常一が「家訓の島」と呼んだように,暮らしの訓えを俚諺の形にしたものがいろいろ在る。「三十過ぎての女に意見,彼岸過ぎての麦の肥え」というのも,少年時代をその島で過ごした私が覚えているそういう俚諺の一つだ。「彼岸」は春の彼岸で,「已に手遅れで効果が無い」という含意である。
 「三十過ぎての女」と限定したところは,現代では,性差別だと言われるかもしれないが,男女を問わず,自己改革を迫られる機会が無くて,精神構造が幼稚なまま,自我のみを肥大させ,自省力に欠けた人を指していることだと思う。そういう人は,他者の批評や意見を謙虚に受け入れる気持ちが無く,へたに意見をすれば,逆に反撥を招くから,口を出さないほうが利口だということになる。もっとも,この言葉には,そういう人間にならないようにという戒めも籠められているのかもしれない。
 年齢に関しては,「六十,三つ子」という言葉も在る。「60歳になれば,判断力も衰え,3歳児と同然で,たわいなくなる」という意味だ。これも,昔は老化が早かったとは言え,60歳で区切るのは,後期高齢者という線引きと同様に問題が有るけれど,老人の自己認識でもあり,逆に考えれば,幼児に対するように,労りの気持ちで接しなければならないという心遣いを求めていることかもしれない。
 年齢や性別にかかわりなく,「三十過ぎての女」や「六十,三つ子」に類する人は少なくないから,そういう人には,それ相応の対応をしなければなるまい。すべき事をし忘れるうっかりミスに対しては,その都度,気が付いた人が注意すれば済むけれど,それが常態化するようなら,当人の注意力や自己確認の力が不足しているのだから,他から注意しても仕方が無い。そういう人に期待することは止めて,周囲で気を付け,常にカバーすることを考えなければならない。
 已に60歳を大きく超えた私などは,もはや責任を担うことも,指導的な立場を引き受けることも無く,今さら意見をされても,自分を革めるのは難しいから,御意見無用の年齢に差しかかっていると思うけれど,政治家をはじめとして,責任の有る立場の人がそれでは,困ることだ。

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