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zoom RSS 冬の夜の悔恨

<<   作成日時 : 2008/12/26 20:21   >>

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 父が丹念に整理して残してくれている私の幼時のアルバムの第1ページは,生後百二日目に当たるお宮詣りの日の写真である。紋付き袴に盛装した私の上半身像と,父方母方の両祖母が両側から私を支えて座り,その脇に母が立っている写真とが,並べて貼られ,父の字で,「颯爽と平家の公達神詣で」という句が添えられている。「平家の公達」というのは,我が家系が平家の末裔であることに拠る。
 この添え書きから,結婚後8年を経てようやく授かった子に対する父の歓びと期待がありありと感じられる。
 最近,夜中に尿意を催すことが多くなり,そのあとは,なかなか眠りに入れない。これも加齢のせいなのだろう。そんな夜,ふと思い出すことが有り,私が生まれたときの父の歓びや期待など,これまで一度も想像してみたことも無かったのに,なぜか突然,脳裡に浮かんだのだ。
 その父は,私の8歳のときに戦死した。そのとき38歳だった母は,「老いし母幼き児らにつくすのみ夫なきあとの生甲斐にこそ」と詠んでいる。今の私にして思えば,わが母ながら,良妻賢母,賢夫人と呼べる人だったと言えよう。その母は96歳まで生きて,「悔いひとつなしとは云わねどこの日まで我生き抜けり君よ照覧」という歌を遺した。
 私は,その父母の期待に添える生き方ができなかったと,深夜の寝床で忸怩たる思いに捉えられる。少年時代こそ,周囲から秀才と認められる少年だったけれど,長じてのちは,常に母の期待を裏切ってばかりいた。
 父の死後1年にして日本は戦争に敗けた。敗戦後の旧軍人の遺家族の暮らしは惨めだった。私は,矜恃だけは持ち続けていたが,逆にそれゆえに,何をも信じず誰をも敬わず,虚無的になり,何事も,むきになってやるほどの事では無いと,真摯に努力する気持ちを喪った。その性情は今もなお尾を引いている。
 (関連: http://shog.at.webry.info/200710/article_5.html 「勉強」はいやだ)
 勉強に投げやりな私を案じて,母は,貧しい暮らしの中から,勉強する意欲を出せるような環境を整えようともしてくれたけれど,それにも,私は応えなかった。少年時代の私を,そのまま素直に,謙虚な気持ちで伸ばすことを心掛けていたら,その後の人生はどう変わっていただろうか。もし父が生きていたら,青年期には,父の期待に対して反抗することが有ったかもしれないが,ただ無気力のままでは終わらなかったに違いない。
 今更思ってみても詮方ないことで,私自身としては,自分が選んだ上で辿った人生に後悔は無く,このまま一生を終える日も遠くないことながら,思えば,不孝を通してきたという,冬の夜の夢現つの中の悔恨である。

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