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zoom RSS 寺山修司の思想

<<   作成日時 : 2009/02/08 19:33   >>

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 「寺山修司は、年代系列、内容分析、記号の頻度などとまったくかかわりなく、いつどこでその歌を自分は聞いたか、その歌は自分にとって何だったかを、書きとめる方法を通して、流行歌の思想をとりだした。」 と,鶴見俊輔が書いている(1983年10月=SURE発行『悼詞』所収)のに誘われて,寺山修司(1935〜1983)の『誰か故郷を想はざる』(角川文庫・1973年初版)を,更めて読んでみた。
 寺山の二十歳過ぎまでの人生を綴った自叙伝風のこの文集から,私は,「流行歌の思想」よりも,「人とともに生きることの空しさ」を感じ取った。「人とともに生きる」は,「時代とともに生きる」と置き換えることもできよう。寺山の詩歌の中でもよく知られている「マッチするつかのま海に霧ふかし 身すつるほどの祖国はありや」にも通じる思想だ。
 「人とともに生きる」ということは,人と妥協して生きるということで,「時代とともに生きる」場合も同様だ。
 賭けを好む寺山修司は言う。
 「『職選び』『妻選び』『理想選び』から『シャツや上着選び』『雑誌選び』にいたるまで、選ぶことはすべて『賭けること』である。賭けのない人生なんてあるわけがないのであって、J・P・サルトルの説く『アンガジェ』(政治企投)でさえも、その理念の台石になっている『選ぶ』行為は、賭博師のそれと変わることがないのである。」「むしろ賭けの規模の大きさにおいては、政治家を『選ぶ』ことのほうが、競馬よりも、はるかに重要なイミを持っているということができるのである。」(「東京エレジー・賭博(一)」)
 賭博には,そのとき限りの勝ち負けが有るのみで,選んだ時点ですでに勝ち負けは決まっている。そこに「妥協」の入り込む余地は無い。トータルすることも平均化することも無意味である。そして,私は「賭け」に弱く,負けをずっと引きずって生きているから,妥協を重ねなければならない。
 「なぜ働くか? と問われると、『生活のため』であり、生活とはなにか? と問われると、ミソ汁の湯気と赤ん坊と、妻の顔を思い浮かべる。それは、生き甲斐を思想化することをあきらめたことであり」(同・「政治」)と言う寺山の言は,今日の社会に対する予言でもある。
 「貧しさに負けた いえ 世間に負けた」(山田孝雄作詞『昭和枯れすすき』)。

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