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zoom RSS 英霊たちの「歸國」

<<   作成日時 : 2010/08/17 19:56   >>

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 8月14日夜に放映されたTBS製作の終戦ドラマスペシャル『歸國』を観た。65年前の戦場で果て,いまだに成仏できぬまま南溟を漂っている英霊たちが,現代の日本に「歸國」して,自分たちが命を賭けて守ろうとした祖国の今の姿を確かめようとする設定だ。
 倉本聰の脚本,鴨下信一の演出ということで期待したけれど,いささか失望した。野球,音楽,画業など,それぞれの人生と夢を断ち切られた若者たちが,心に残る場所を訪ねる一つ一つの挿話は類型的だし,英霊たちの視点で現代社会を見ようとする意図は解るけれど,それも観念的な批判で終わっている。
 倉本,鴨下の両氏は,いずれも1935年生まれで,戦中戦後を知る最後の世代だ。取り上げられている挿話は,同世代である私には,自分の知見を重ね補って観ることができるけれど,戦争を知らない世代の心に,このような羅列で,戦争による悲劇を訴え掛けられるものかどうか,疑問に思う。今の子どもたちは「歌を忘れたカナリヤ」だという,老いた女教師の嘆きも,台詞だけの一方的な感想で,若い世代を説得する力は弱い気がする。
 ドラマの終幕近く,現代社会の案内役となっている報道班員の亡霊が,「人は二度死ぬ。一度目は肉体的に死んだとき。二度目は完全に忘れ去られたとき。」 と言う。よく言われる言葉だが,登場人物でただ一人,音楽で結ばれた恋人の心の中に今も生きている青年だけは別にして,作者は,「英霊たちは二度死んだ」と言いたいのだろうか。
 今の日本人は,戦後社会の繁栄の中で,「便利」を追求し続け,汗を流すことを厭い,貧しくても幸せな生き方(「貧幸」)を見喪っているという部隊長の批判は,過去を忘れられない世代の「ぼやき」だとしか思えないし,早暁の東京駅のホームで兵士たちが吹奏する葬送ラッパの音は,過去の記憶として遺しておきたいものの一つだけれど,未来につながらない過去を葬送する曲のように思われる。
 鴨下信一に『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)という著書が在るけれど,作者たちは,報道班員の亡霊の言う,「忘れる」というよりも,戦争を「知らない」世代に寄せる「片思い」であるとともに,作中,深夜放送のラジオ番組への投稿にある「認知症の老いた父が戦争の話ばかりを繰り返して孫たちに嫌がられている」という事態を,みずから認めているのだろうか。

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