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zoom RSS イデオロギーの危うさ

<<   作成日時 : 2011/05/14 12:13   >>

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 5月11日付「朝日新聞・夕刊」に掲載されていた池澤夏樹の一文『終わりと始まり a×bについて再考する』に注目した。aは確率,bは規模で,「社会への事故の影響はa×bで表される」と言い,「aは無視しうるほど小さい」と告げられてきた「原発の安全は現実の裏付けを欠く思想、つまりイデオロギーだったのだ」という趣旨の文章だが,次の具体的な指摘が目を引く。
 「三月十一日の深夜の時点で、なぜベントは実行されなかったのか?」「あの晩、状況に対処する能力のある人々が東電にはいなかった。」「原子力発電所の安全性について異議を唱える学者・研究者は少なくなかった。電力会社の技術系の社員の中にも事故への対策を進言した人はいたのではないか。しかしそれらの声を電力会社と官僚と歴代の政権は押しつぶしてきた。」「力をもって反対派を弾圧し、数々の予兆を無視し、現場からの不安の声を聞き流した。だから、緊急時に速やかに対応できる人材が中枢にいなかった。」
 あとになってからの批評的な言辞では何とでも言えるということも有るし,私自身,電気を消費する暮らしを享受しているのには,原発の恩恵に依存しているところも有るにちがいない。
 しかし,事故のあとで,「このことで原発への信頼が揺らいだのは残念だ」というような政治家や官僚の発言を聞くと,他人事のような無責任さを感じてならない。自分にも責任の一端が在るという自覚と反省がなければなるまいと思うのだ。
 政治家や官僚は,技術的に十分な知識も思慮も無いまま,政治や行政という分野での「イデオロギー」だけで国を動かし,われわれ国民は,それに乗っかって暮らしているのだということを思い知らされる。
 電力会社や通商産業省(当時)の幹部が原発事故の危険性を軽く見て,万全の対策を講じていなかったという事実もしだいに明らかになっている。ここでも,「はじめに安全ありき」というイデオロギーが支配的であったことが感じ取れる。

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