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<<   作成日時 : 2012/03/11 19:36   >>

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 いつかはこのときが来ると,おぼろに覚悟はしていたものの,ついに君の訃を知らされることになった。長かった闘病の間,苦しいことも多く,辛い思いを重ねたろうが,今は,安らかに眠っているのだろうか。発病した初期のころ,「俺が死んだらお前が弔辞を読んでくれ」と言われたけれど,そんな役回りは御免だと思っていた。しかし今,心の通う友を遂に喪ってしまった。
 最後に会ったのは,2007年の秋,山口県周防大島の母校で催された高等学校の同期会のときだ。ぜひ出席したいと言うので,「新大阪」から同行し,宿泊の部屋を共にした。最後に旧友たちに会って別れを告げておきたかったのだろう。以後は,体力の衰えるいっぽうで,歩行もままならず,電話で話すのも疲れると嘆くようになり,状態を案じながら会うことも無く,今日に至った。
 それまでは,2年に1度くらいの割合で,君が出てきやすい場所を選んで会食していたが,会うたびに,食べられる品も限られ,量も減ってきていた。入院,手術を繰り返し,手術痕で文字どおり満身創痍の姿を痛々しい思いで見たものだが,一方で,人の生命力の強さを教えられた。
 君との出合いは高等学校時代,文学談義のできる唯一の友人だと認め合い,交友を深めた。学校で毎日会っていても,文学に関しては文章にして,手紙を交換することが多かった。あだ名はOCT,中学校のころに,Octpusを連想させる風貌から付けられた名前のようだったが,同じ中学校から来た仲間が呼ぶのを我々も踏襲して,限られた親しい友人の間では,今に至るまでそう呼んだ。
 高校を卒業してからは道が分かれ,君は別の大学の経済学部に進んで,銀行に就職した。君の柄に合わない仕事だと感じたし,君自身もときには忸怩たる思いをすることが有ったかもしれないが,その道を通して,最後は役員にまでなった。趣味の写真や幅広い遊びで気分転換をしていたのかもしれない。
 仕事も住まいも離れていたけれど,交流は途絶えること無く,何年かに1度会えば,気を許し合った話が弾んだし,気ままな私が,一生のうちには別の社会も体験したいという思いから,30代後半になって勤めを変え,小企業の営業で辛い暮らしをしていたときは,励ましたり助けたりしてくれた。
 結婚したのは,君のほうが2か月余り早かった。私が妻にすることを思い定めた女性と婚前旅行に出たとき,経路の途中に在った君の新居に立ち寄った。あれから50年,今年はお互いに金婚式の年に当たるのだが,君は,その記念の日まで1か月余りを残して逝ったことになる。50年間支えてくれて,特に晩年は介護の苦労を掛けた夫人に感謝して逝ったことだろう。
                    *  *  *
 先に,職場で気を許し合っていた知人が亡くなった。続いて彼を喪ったことは,私にとって,寂しさひとしおのことである。

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