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zoom RSS 運命の定め難さ

<<   作成日時 : 2012/03/24 19:38   >>

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 過去を振り返ることは好きでない。残る人生の可能性は少ないと思いつつ,「人生は全て初体験の連続で、後戻りしてやり直すことはできません。悔いや未練を残さず、自分の老いと向き合って行くしかありません」と,今年の賀状でも書いた。
 これまでの人生で直面したいくつかの岐路で,そのつど選択してきたことは,成り行きに任せたり,あるいは,軽率だったりしたことも有るかもしれないが,全ては自己責任に帰することで,後悔は無い。歴史に「たら」「れば」が通用しないのと同様に,人生にも「たら」「れば」は有り得ず,運命の必然性ということを思う。「運命」と言えば,生まれてきたこと自体が運命だし,私の場合,戦争が有って,父が戦死したことも,必然的なこととして受け入れてきた。
 しかし,最近になって,夢の中で過去に思いを巡らせていることがときどき有る。先日も,「祖父の死が私の人生を決定付けた」と考えていて,これまで思ってもいなかったことが,60数年も経った今,なぜ突然頭に浮かんだのか,目が醒めたあとで思い返してみた。
 父の死後,一家は母の実家に身を寄せ,祖父母と共に暮らすことになった。その祖父が,たまたま所用で呉に出掛け,広島の知人の家で一泊した翌朝,原子爆弾の投下に遭い,行方の知れないまま戻って来なかったことだけは,必然だとは思えない。帰宅するために知人の家から駅に向かった時間と原爆炸裂の時間が重なった。広島に泊まらなければ起こり得なかったことだし,その知人の一家は無事だったことを思えば,運命の偶然が重なったとしか思えない。そして,特に私への思い入れが深かった祖父の庇護を失ったことが,その後の一家の暮らしに大きく影響した。
 母の実家の後継ぎであった伯母夫婦が朝鮮から帰国して来て,やがて私の家族は,別に住まうことになるのだが,その間の体験を通して,人間形成期に在った私の性格や人間観,人生観が決定付けられたのは確かなことだ。それが,その後の私の人生の全ての選択の基になっていると言って良い。あのとき祖父が死んでいなかったら,私の人生は大きく違ったものになっていたのではないかと,今にして思う。もちろん,ここでも「たら」「れば」は通用しないことなのだが,運命の定め難さを思わせられる。
 さて,残り少ない人生だが,過日,還暦を迎えたかつての教え子たちと語り合ったとき,彼らの来し方を思いつつ,それと重ねて,私の過ぎた歳月を数えてみると,1962年に結婚,1972年に今の住まいを建てて移り住み,1992年にみずから停年と思い定めて職を退き,2002年に母を亡くし,顧みれば,意図したことではないものの,西暦の末尾2の年が,これまでの私の人生の大きな区切りになっていることに気付く。たまたま今年は2012年,私にとってどういう年になるのだろうかと思う。

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