ShoGのボヤキ念仏

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zoom RSS 安住の地

<<   作成日時 : 2012/08/03 19:23   >>

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 「人は罪の酬いに死を与えられる。しかし,イエス・キリストの仲だちにより,神に迎えられて,天国で安らかな永遠の生を得ることができる。」 教会で行われた知人の葬儀で,牧師は,そんな意味のことを述べた。仏教でも,「人のこの世での罪障は,南無阿弥陀仏を称えることによって救われ,あの世で仏に生まれ変わる」と説く。しかし,人はそれほど罪深いものなのだろうか。
 両者に共通しているのは「地獄」の思想で,その根底に在るのは,死への恐怖と,親しい人の死を見送る悲しみだと思われるが,私は,そのことに疑問を感じる。死は,当人にとって,本来安らかなものだと思うのだ。
 生きるほうが苦しいことだ。生きてその苦しみを乗り越えることができるのは,社会に役立つことのできる生き甲斐と,親や妻子に対する責任感,そして,つかの間の快楽によると思うのだが,命を長らえるほどに,苦しみだけが多くなって行く気がする。私の年齢になると,老人が「お迎えを待つ」気持ちになるのも宜なることに思われ,この頃では,無邪気で元気な子どもを見ても,この子が老いるまでに背負って行かねばならない多くの苦しみを想うと,子どもを産むのは罪なことであるとさえ感じるようになっている。その罪滅ぼしに,親は子どものためにできるだけのことをしてやらなければならないのではなかろうか。
 死は,神や仏の救けを得なくても,生の苦しみから脱し,安住の地に赴ける道ではないかと思うのだ。「極楽良いとこ一度は行こう,お念仏だよ人生は」 http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/onenbutsu.html

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