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zoom RSS 喜寿の会話

<<   作成日時 : 2012/08/08 19:32   >>

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 敗戦後67年目の8月が来た。
 先日,久しぶりに会って,ビールのジョッキを傾けながら語り合った小・中学校のころからの友人が言う。「今年は,日本武道館での全国戦没者追悼式に出向いて,戦争に対する長年の怒りと怨みに区切りを付けようと思う。」
 彼も私と同じく戦争で父親を喪い,疎開暮らしで少年時代を送った身の上だ。私も,反戦の気持ちに変わりはないが,今,それに区切りを付けなければならないとは思わないし,国の主催する追悼式に出席して区切りを付けるべきことではあるまいと応じたけれど,思えば,彼の「怨み」は,彼と比べればまだ少しは恵まれたほうだったと言える私よりも,情念としてはるかに深いものだったろうと察せられる。それほどに,貧しく惨めだった少年期の体験が気持ちの底に染み付いていたのだろう。逆に,その怨念が彼の人生を支える力にもなっていたのではなかろうか。
 高校時代,二人が通った高校は,バスで2時間足らずの町に在った。私は,母の配慮でその町に下宿をしたが,彼は,バスでの通学で,朝早く家を出て,バスの発駅まで峠を越えて歩かなければならなかった。私の家族の寓居は駅の近くに在ったので,毎朝わが家に寄って,母から私への預かり物を届ける役を引き受けてくれた。ある日,まだ夜の明けきらぬ時間に彼が訪れて,母を驚かせた。時間を間違えたわけだが,彼の家には時計が無かったのだ。そういえば傘も無く,小学生のころから,雨が降ると学校を休んだ。
 そういう事情が分かっていたから,この齢までお互いにあえて話題にしたことは無かった。彼がその思いを語ったのは初めてのことで,長年彼が抱いてきた怨みに更めて触れることになった。今では老境を楽しむ暮らしができているものの,時折,戦争がもたらした惨めな過去の体験を妻子に語ることが有ると言うが,その気持ちを妻子がどれだけ理解できているかは分からない。
 彼の話で感心したのは,人に手紙を出すとき,どんな短いものでも,必ず手書きで控えを取っているということだ。また,整った字を書きたいので,正しい筆順が学べるハンドブックのようなものを紹介してほしいと頼まれた。
 そのとき,彼がふと述懐したのは,「他人に称められたことの無い者にとって,称められるというのは嬉しいものだ」。思い返してみて,長年の友人関係の間で,口に出して彼を称めたことは,私にも無かった。私の場合は,自分で言うのはおこがましいが,常に周囲から認められる存在だったから,へたに称められると,むしろ自恃を損なわれるような気がしたものだ。しかし,「人は称めて育てよ」と言うけれど,称めるというのは,どんな間柄であっても,いくつになっても,大切なことなのだと,今にして知らされた。
 他者との会話によって,思いを深めたり,新しい気付きが有ったりすることは,久しく無かった。彼とも,長年の付き合いながら,分かり合っているという気持ちが有るために,かえって,立ち入った話をした記憶は無い。今回,互いに喜寿を迎える齢になった者同士の会話が,思わぬ刺戟になったことだ。

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