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zoom RSS 小賢しい自己主張

<<   作成日時 : 2015/08/17 20:55   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 1

 ほんとうに賢い人の言葉は,ちょっとした発言でも深さが有り,重みが感じられる。それに対して,智恵に欠ける人がしたり顔で自己主張をしても,小賢しく思われるだけで,まして,上から目線で押し付けがましく言われると,自分をどれだけ賢いと思っているのかと,苛立ってしまう。
 ところで,漢字の「批」には,「物事を比べて品定めする」という意味が有るというが,「品定めする」には,自分の価値判断と行為に基準を持たなければならず,「批」を用いたいくつかの熟語にも,その姿勢の相違が表れていると言えよう。
 「批評」は,「対象とする物事のよい点・悪い点などを具体的に指摘して評価する」という意味になろうが,対象を「評価」するには,その根底に,体験に基づいて自分自身を語る姿勢が必要だろう。「批評」が文学の一つのジャンルとして成り立つ所以である。それと比べて,「物事のよしあしなどについて判定する」ことを意味する「批判」は,自分の価値観に基づいているにしても,客観的にも納得できる論理を提示しなければ,説得力を持たず,独善に陥ってしまう。
 さらに「批難」となると,自分の観点・価値観に反する相手の考えや行動を「欠点やあやまちとして責めとがめる」ことで,自己中心的で一方的な攻撃の姿勢になりやすく,言わば「小賢しい」自己主張に過ぎない場合も少なくない。特に今の世には,智恵に欠ける思い上がった人の,「批評」や「批判」にはほど遠い「批難」が多いように思われる。
 戦後70年ということで,8月15日を中心にして,新聞やテレビで「戦争を語り継ぐ」内容のものが数多く見られたけれど,それが「戦争を知らない」世代にどれだけ伝わっているのだろうか。戦争を体験した世代と戦争を知らない世代との間に感覚的な相違が有るのは当然のことではあるが,戦争を知らないことを自覚すればなおさら,戦争を痛切に体験した人の言葉に耳を傾けて,自らの体験に取り入れてほしいものだ。それによって自分の思想を構築し検証している人は少なくないし,過去に学ぶ気持ちさえ有れば十分に可能なことだと思う。特に政治家が「私は戦争を知らないので」と居直るような態度で小賢しい自己主張を正当化しようとすることだけは許し難い。

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内 容 ニックネーム/日時
見渡せば倭まほろばそそけりぬ 辻風つれて秋は来にけり
いざよひ
2015/08/18 21:26

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