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来る年もよろしく

2016/12/31 19:15
 自分の書いた文章を公にすることは,読んでくれる人を想定している行為だ。その代表的なものは作家の仕事だけれど,仕事ではない私的な文章でも,手紙を書くときは必ず相手の気持ちを想定しているわけだし,雑事や雑感であっても,ブログという形で発信すれば,当然,誰かが読んでくれることを考えている。読んでほしい相手が有って書く場合も有る。期待どおりに読んでくれているかどうかは分からないけれど,読む相手を想定すれば,それに合わせて内容や表現に気を配らなければならない。
 私の齢になれば,自分史を書いてみないかと勧められることも有るけれど,自分史を書きたいとまでは思わないものの,折に触れて,過去の体験や今まで生きてきた上での思いを語りたいという気持ちが湧かないでもない。それがブログという形で表されていると言えるかもしれない。
 かつての一時期,編集や校正の仕事で関わっていた印刷会社の創設者(会長)が亡くなったとき,遺族に頼まれて,会長自身が折々に社内報などに書いていた思い出や仕事上の考え方などを述べた雑文を基に,生い立ちから会社を立ち上げるまでの歩みや経営者としての苦労等を自伝の形で編み,追悼出版として一冊の本にしたことが有るけれど,私の場合も,これまでに書いたものの中から抄出して誰かが纏めてくれるのであれば,それはそれでうれしいこととは思う。
 しかし,私の人生はそれほどの価値の有るものでもないし,いろいろな場面で書いてきたものを読んでもらっただけでもありがたいことだ。今では加齢とともに筆力も弱まってきているけれど,少しでも力が残っていれば,来る年もブログだけは続けていきたいと思っているので,よろしくお願いします。
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老いては・・・

2016/12/29 17:56
 「老いては子に従え」という言葉が有るけれど,同年輩の知人の誰彼から,たまの機会に話を聞いていると,わが子から批判されたり,日常の暮らしぶりに注文を付けられたりすることが増えているようだ。中でも,娘からの批判や注文が多いようで,同様に,妻からの批判も,老いるとともに増してきて,日常の挙措などに対して口うるさく言われるというボヤキを聞かされることも有る。加齢によって,弱点が露わになるということも有ろうが,娘や妻からの批判が多いということは,女たちがこれまで抑圧されていて言わずにいたことを表に出して,遠慮なく注文を付けるようになったという点で共通しているのではなかろうかと思われる。
 幸か不幸か,私の場合は,娘が無いし,二人の息子は,離れた所で別に暮らしていて,日常的に触れ合うことが少ないので,それだけ,批判される機会も無いということになる。その反面,何かにつけて力が衰え,手助けしてほしいと思うときも有るのだけれど,一緒に暮らしていないと,老いた私の実態に気付いていないということも言えそうだ。息子たちの力を借りないで済むよう,互いに老いた妻と二人で支え合い,できるだけ負担を掛けないで暮らしていかなければならないと思い定めてはいるものの,それだけに,「いつまでも有ると思うな親と金」と言いたくなることも有る。
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二者択一の怖さ

2016/12/22 19:19
 歳末を迎えて,この一年を振り返るときに思い出せることを挙げた中に,「アメリカ大統領選挙に思う二者択一の難しさ=一方的に選択肢を示されても単純に選べない場合が多々有る」という1項目を入れた(12月1日「この一年」)。
 個人の人生でも,選択を迫られる岐路に直面することは何度か有り,思えば,進路の選択の際,もし別の途を選んでいたら,その選択がその後の人生を大きく左右することになり,暮らしは大きく変わっていたはずだ。現在の妻と出合うこともなく,もちろん,家族構成もまったく異なったものになっていたことだろう。そして,二つに一つを選ばなければならないとなれば,いくつかの中から選択できる場合と比べて,はるかに辛く怖いことだ。まして子どもには,どこに生まれるかという選択の機会も与えられていない。
 ともあれ,国政上の選択は,個人の進路などの比では無い。一個人の意思など踏み躙られる場合も多い。思うに,毎年12月になると必ず想起するのは,1941年12月8日の米英両国に対する宣戦布告がわが国にとって近代史上最大の選択だったということだ。それが,世界の各国から包囲されて(今の北朝鮮のように)追い詰められた大日本帝国の最終的な決断だったのかもしれないが,その結果,悲惨な敗戦という事態を招き,以来71年を経てなお,敗戦国なのだという事実が,わが国の置かれている現在の情況の原点になっていることだと言えよう。
 戦後,講和条約締結と連動して日米安全保障条約が結ばれた。戦後の貧窮の時代にはアメリカから多大の援助を受け,今も核の傘の庇護の下に在るというものの,いまだにアメリカの属国とも言える位置に甘んじている。その影響を最も痛切に受け続けているのは,以来,今なおアメリカ軍基地が設けられている沖縄県民ではなかろうか。ロシア(当時はソ連)とは未だ平和条約を結ぶにも至らず,条約締結を妨げている根底には,「日本ははたして主権国家と言えるのか,北方四島が日本の領土として返還されたら,アメリカの軍事基地が造られるのではないか」というロシア側の疑念が有るように思われる。
 今月末には安倍首相がハワイ・真珠湾を訪問して,オバマ大統領と共に,かつての日本の攻撃による犠牲者を慰霊するというし,別に,ロシアを訪ねる計画も有るように聞くけれど,そのことで何らかの変化が期待できるのだろうか。何年か先の行く末どころか,年明けの世界がどうなるかさえ想定できない時代である。
 歴史に「たら」「れば」は考えられないと言うけれど,太平洋戦争が,もし日本が開戦当初の勢いを維持している段階で終結していたら,その後はどうなっていたことだろう。大日本帝国はさらに強大な軍事国家となり,取り返しのつかない破滅を迎えて,私も,この齢になるまで,今の平穏な市民生活は送れていなかったに違いない。
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私感「今年の漢字」

2016/12/20 19:17
 このところ,わが家の各部屋で使っている掛け時計や置き時計が動かなくなる事態が続いている。電池を新しいものに替えてみても改善されない。使い始めた時期に確かな記憶が無いのだけれど,いずれも20〜30年以上経過しているのは間違いないから,機器の老化現象だということも考えられ,馴染みの時計店に相談してみると,部品に錆びが出てきていて,交換する品も既に無いかもしれず,修理に掛ける費用よりも新しく購入したほうが安いのではないかと言われた。体の不具合を医者に相談しても,老齢だから手術などは避けたほうが良いと言われるのと同様だと感じる。廃品としてそのまま廃棄したほうが良さそうだ。他にも身の回りで廃棄しなければならない物品が増える一方だが,廃棄するにしても費用が掛かる。
 人間でも老化が進めばいずれは遺体になる。死体遺棄は罪になるから,相応の対処をしなければならず,使えなくなった物品の処理以上に費用を見込まなければならないのが案じられる。
 日本漢字能力検定協会が募る年末恒例の「今年の漢字」は「金」に決まったというけれど,オリンピック,パラリンピックでの「金(きん)」は良いとしても,政治と「金(かね)」にまつわることの多い社会の現実を見るにつけて,「金」には否定的な思いが先に立ち,「今年の漢字」として挙げるには,昨年の「安」と同じく,違和感が伴う。否定的な思いを直接表すのであれば,「廃」のほうがふさわしいのではなかろうかと思う。
 JRでは,巨額の費用を必要とする新しい路線の整備が計画される一方で,経営上の理由による「廃線」が各地で増えている。地域住民の暮らしを支える上で欠かせないものが失われて行く反面で,広く市民生活を脅かす原発の「廃炉」は,なかなか方向が定まらない。昨年以来,安倍政権が数を頼んで強引に押し通そうとする多くの反社会的な法案も,市民の力を結集して「廃案」に持ち込みたいものだし,政治家を利するだけの「カネ」にからんだ制度のあれこれは,早急に「廃止」すべきだ。
 個々の人や命を尊重する思いに欠け,人心の「荒廃」を憂えることも多い一年で,「今年の漢字」とするからには,もっと前向きの希望の籠もった語が望ましいと思いつつ,私の「今年の漢字」は「廃」で決まりだ。
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「もしも」

2016/12/05 19:27
 「もしも月給が上がったら/わたしはパラソル買いたいわ/僕は帽子と洋服だ/上がるといいわね上がるとも/いつ頃上がるのいつ頃よ/そいつがわかれば苦労はない」
 林伊佐緒(1912〜1995)と新橋みどり(1917〜1942)が1937年に歌ってヒットした『もしも月給が上がったら』(山野三郎・作詞,北村輝・作曲)の一節で,その背景には社会的な不況が有った時代のものだ。
 今の私には,ベースアップもボーナス支給も縁が無いし,逆に,年金の減額や増税,物価の上昇に脅えなければならず,唯一,「もしも宝くじが当たったら」と期待するだけの暮らしだ。それも何億円といった額を望むわけではない。帽子や洋服が欲しいとも思わないし,せめて家計が少しでも楽になり,老人の使いやすい掃除機や庭木の枝切り鋏,新しいシェーバーなどが買えればいいなと願うだけだ。躯をいといながら2〜3泊程度の旅に出たいとも思うけれど,それも叶いそうにない。
 国会では,所謂「カジノ法案」を強引に通そうとする動きが有るが,大金を投入してカジノを作り,収益を上げようというのは,客からのアガリを狙った背徳的な行為にほかならない。それを目論むのは,国や一部の自治体で,税金によって賄われる政治資金を気ままに使って憚らない,金銭感覚の麻痺した徒輩の考えることだ。それで一般庶民の暮らしが潤うとは思えない。
 もともと宝くじにしても,よほど幸運に恵まれた人がおこぼれに与かるだけで,我々の求める宝くじには依存症が伴わないだけ,まだマシと言えようか。
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この一年

2016/12/01 19:22
 歳末を迎えて,この一年を振り返るときだ。
 「春をながめる余裕もなく/夏をのりきる力もなく/秋の枯葉に身をつつみ/冬に骨身をさらけだす」(泉谷しげる詞曲『春夏秋冬』1972年初演)。
 私にとっての「この一年」は,この歌のとおりの情況で終わろうとしている。
 世の中はどうだったか,思い出してみようとするけれど,最近は月日の流れが速く感じられて,頭に浮かぶことが今年のことだったのか去年(あるいは,もっと前)のことだったのか記憶が定かでない。かつては,新聞に「今週(または,今月)の出来事」というような欄が週(月)に一度掲載されていて,それを「社会の動き」としてスクラップしていたのだけれど,今は,年の最後に一年を総括する形で載るだけになっているようだ。
 今年のその記事を見る前に,思い出せるだけ挙げてみよう。
 天地の無情を感じさせられた熊本を初めとする各地の地震や豪雨による災害=地球はどうなっているのだろうか。
 独善的な安倍一党をますます増長させた参議院議院選挙=多くの選挙民は何を考えているのだろうか。
 天皇のお気持ち表明=口には出せないけれど根底には安倍政権や世相に対するもどかしさが有るような気がする。
 都政の闇が明るみに出た豊洲市場=石原や舛添は何を考え何をしていたのか。
 障害者施設や医療介護施設での凶行=人を尊ばない差別意識が嘆かわしい。
 アメリカ大統領選挙に思う二者択一の難しさ=一方的に選択肢を示されても単純に選べない場合が多々有る。
 今年も「日本の良識」を体現してきたと言える人たちが多く亡くなった=昭和は遠くなりにけりと悼むしかない。
 明るい気持ちになれるような話題は,パラリンピックとノーベル賞受賞しか思い浮かべられないのが寂しい。
 前掲の泉谷しげるの歌は,次のように続く。
 「今日ですべてが終わるさ/今日ですべてが変わる/今日ですべてがむくわれる/今日ですべてが始まるさ」。
 しかし,年が変わっても,現実には,今日明日の変化を期待できるとは思えない。自己中心的に言えば,老いるのみの私が,前向きな気持ちで生きることを楽しめるには,宝くじでも当たって経済的な憂えが無くなる僥倖を待つしか無さそうだ。
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ShoGのボヤキ念仏 2016年12月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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