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zoom RSS 「往生」のとき

<<   作成日時 : 2017/02/20 19:22   >>

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 「謹啓、当家主○○○○儀、□月□日、安楽国に旅立ちました。お別れの場は改めて設けず、見送りは、家族のみで致しましたが、当地で長年賜りました御高誼に深謝致しつつ往きました。出立に当たっての自宅での設えは一切不要、御交誼頂いた方々のお訪ねもお断り致すようにと申し遺しましたので、失礼ながら、当人の意志に従いたいと存じます。御諒解くださいますよう伏してお願い申し上げます。敬白。」
 このような文面をB4用紙に楷書体で記して門前に張り出す夢を見た。自分自身で掲示したのか,予め用意しておいて家族に張ってもらったのか,夢のことだから定かでない。思い当たるのは,今年の正月に家族が顔を揃えたとき,「私も老いた」という述懐に対して,「そのときにはどうすれば良いか,言い置いてほしい」と息子に言われたことが頭に残っていたのだろうということだ。
 何年か前から,夢を見ても,醒めたあとで,楽しかったり,はつらつと動いていたりという漠然とした気分が残っているだけで,その具体的な内容はほとんど思い出せなくなっているのだけれど,今回は,文面やそれを推敲したプロセスまで覚えているのが不思議に思われる。あるいは,夢うつつの状態だったのかもしれない。
 もともと私は,苦しかったり辛かったりする夢は見ないほうだ。現実でも,少年の時代には,口に出来ないような屈辱的ないじめを受けた嫌な経験も有るけれど,それを気持ちの上で傷として残すことは無かった。幼いながら持っていた誇りが乗り越えさせていたように思う。以来,夢でも現実でも,苦しいことは自ら対処して解決してきた。
 前記の文章にも暗い気分はまったく無く,「往生」した際の処し方を前向きに考えているということだ。現実の場面で実現できるかどうか分からないけれど,私の気持ちを正直に表したものだから,この文章を息子に渡して置こうかと思う。そのうえでどう処すかは任せるしかない。有縁の方々が「見送りたい」と言われて,後日,「偲ふ会」でも催してくださるとすれば,私にとって身に過ぎる倖せだと言えよう。

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