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zoom RSS 「教育勅語」を問う

<<   作成日時 : 2017/03/12 15:47   >>

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 敗戦後72年を迎えようとしている今,127年前の「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」)を国民の道義として更めて称揚する人が在る。彼ら・彼女らは,どれだけ「教育勅語」を知り,真に理解した上でのことなのだろうか。
 私は,小学校(=当時の国民学校)に通っていたころ,「教育勅語」を暗唱した世代だ。学校の門を入ると右手に,立ち木に囲まれて小さいながら神殿を模した荘厳な建物(=奉安殿)が在り,中を見たことは無かったけれど,天皇皇后両陛下の御真影(=肖像写真)と「教育勅語」が納められていると聞かされ,校門を出入りするたびに最敬礼をするよう教えられた。国の祭日に学校で催される儀式の際には,校長先生がそこから取り出された「教育勅語」を白い手袋をして捧げ持ち,講堂の壇上で謹んで朗読する間,「朕(ちん)惟フ(おもう)ニ我ガ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」で始まる「爾(なんじ)臣民」へのお言葉を頭を垂れて拝聴していた。
 今,「教育勅語」を日本国民不変の道義だと称揚する人たちは,「父母ニ孝ニ兄弟ニ友(ゆう)ニ夫婦相和シ」という部分を念頭に置いているのだろうが,当人自身,それに続く「朋友相信シ(あいしんじ)恭儉(きょうけん)己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ(およぼし)」を心から信奉し実践しているのか疑わしい。
 東日本大震災から6年になるけれど,今なお苦しんでいる被災者に対して「博愛衆ニ及ホシ」の心で臨んでいる政治家がどれだけいるのか,3月11日を中心にマスメディアの報道が震災で亡くなった人々への追悼と6年後の現実に向けられているのを好機とばかりに,当面している己に都合の悪い情況から国民の目を逸らし,記憶を消して,無かったことにしようと図っているとしか思えない政権の動きをはじめとして,「朋友相信シ」られないことが続出している。「徳器ヲ成就シ進テ(すすんで)公益ヲ廣メ」の実現にも真剣に取り組んでいるとは考え難い。
 それでも,確かに遵守できれば理想として良い徳目も有る中で,最も否定しなければならないのは,国民を戦争に駆り立て多くの命を失わせる裏付けになったとも言える「常ニ國憲ヲ重シ(おもんじ)國法ニ遵ヒ(したがい)一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(ほうじ)以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分だが,それまでも「拳々服膺」すべきことだと考えているわけではあるまい。
 今の時代になって「教育勅語」を持ち出し,戦前・戦中の教育を蘇らせようとする考え方が堂々と語られるとは,これ以上長生きしたくないと思いたくなる。

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