ShoGのボヤキ念仏

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zoom RSS 我が良き友

<<   作成日時 : 2017/03/17 12:38   >>

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 先日(3月1日)亡くなったムッシュかまやつ(かまやつひろし)が1975年に歌ってヒットした『我が良き友よ』(作詞作曲・吉田拓郎)が頭に浮かぶ。当時,かまやつは36歳だった(吉田はもう少し若い)はずだから,詞の内容からしても,歌われているのは大学生時代の「友」に違いないが,私の場合,「下駄を鳴らして……腰に手ぬぐいぶら下げて」いたのは,中学生から高校生の頃だ。靴など手に入り難い時代だったということもあるけれど,私にとっては,それが一つのダンディズムだった。
 中学生の頃,学校の休みの日には,担任だったN先生の家に級友たちと集まった。私は,先生の蔵書を読み漁った。先生が当直の日には,当直室で遊んだ。先生の恋人だったO先生も一緒のことが多かった。あるとき,O先生が「人を恋するって苦しいことよ」と,早熟な文学少年だった私にふと漏らしたことが有ったのを覚えている。N先生は,私たちが中学3年になる春,退職して東京に出た。謄写版で手刷りにした学級新聞に私が書いた校長批判の文章の責任を取ったのかと考えられるけれど,彼にとって,田舎の中学校教師で終わりたくないという野心を実行に移す良いきっかけだったのかもしれない。O先生は取り残され,彼女もまた学校を辞めて,私が1年後に入学することになる高校が在った町の実家に帰った。
 半農半漁の田舎で,高校に進む者は少なかった当時,郡内で唯一の高校に入学すると同時に下宿をすることになり,友人も,文学仲間,スポーツ仲間など,幅も数も変わった。休日で下宿暮らしの無為の時間を持て余すときは,O先生を訪ねた。かまやつの歌では「語り明かせば 下宿屋のおばさん酒持ってやってくる」と有るけれど,彼女は,私が煙草を欲しいと言えば買ってきてくれたし,下宿での夜,独りで飲むための酒も,一升瓶で調達してくれた。私は,もちろん未成年だった頃のことだ。学校に比較的近く,自転車通学をしていた友人の家で語り明かしたことも有るし,沖の小島まで舟を漕ぎ出し,夜の浜辺で酒宴を催したことも有る。
 今ではもう,N先生もO先生も亡くなった。当時の友も齢を取って,多くが先立ち,便りが途絶えたまま現況不明の友も少なくない。「便りしたため探してみたけれど 暑中見舞いが返ってきたのは秋だった」という歌の文句と似た情況だ。
 老いたのちは,インターネットでのブログやメールを通して生じた交流の相手が,数少ない「良き友」だけれど,それも年を経るほどに,ブログ・サイトをクリックしてみても,書き込みの無い日がずっと続いていることが多くなり,健在かどうか,確かめられないのは寂しいことだ。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
片陰の忘れな草の花ひとつ さやけき色に夢を見し頃
いざよひ
2017/03/18 20:08

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