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zoom RSS 高齢の暮らしへの支援

<<   作成日時 : 2017/10/15 21:24   >>

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 過日の新聞報道によると,「高齢などのために自力でごみを出すのが困難になり、自治体の支援を受ける人が増えている。」「(取材対象とした道府県庁所在市、政令指定市、東京23区の74自治体のうち)6割の自治体が支援に乗り出し、5万世帯以上が利用していた」(9月19日付「朝日新聞・朝刊)という。
 私の仕事部屋(良く言えば「書斎」,有り体は「物置」)の窓から地域のゴミ集積場がよく見える。収集日には,近隣の高齢の主婦が,日常生活で出るゴミを手押し車に載せて運んでくる。まだ自力で袋にまとめて出せる人たちだ。ところが,収集車が去った後に残されているゴミが有り,「分別ができていません」,「分別日が違います」などと記された紙が貼られていることがある。私の居住地域では,ゴミは6種類に分別して出すことになっているのだが,収集日を間違えるだけでなく,ゴミの種類の見分けができない人が在るようだ。「プラ」と「ペット」の判別が難しいようだし,ビンやカンが混じっていることもある。「燃やさないゴミ」に入れたほうが良いのかどうかの判断も迷うところだろう。自治体に分別の支援まで望むのは無理なことだと思うけれど,高齢化が進むと,収集を業者に委ねるだけでなく,分別の方策まで考える必要が出てくるのではないかと思われる。
 「入り組みしテレビドラマのすじほぐし まだ呆けていずとひとり確かむ」
 96歳で亡くなった母の晩年の作だけれど,亡くなる12日前に脳室内出血で突然倒れて意識を喪うまで,変わりなく過ごしていて,認知力も確かだった。倒れた日もふだんどおりに朝食を摂り,老人福祉施設で楽しんでいるラージボール卓球用のラケットとシューズを入れたザックを背負い,妻の用意した弁当を携えて出掛けたくらいで,「卓球おばあちゃん」として新聞の地方版で紹介されたほど元気だったのだが,当人はやはり「呆け」ることを心配していたのだろう。当時はまだ「認知症」という言葉が今ほど社会的な問題としては採り上げられていなかったけれど,卓球を続けていたのも老化防止を思ってのことだったのかもしれない。
 母の没後15年が経ち,私も日々の暮らしで老化を感じる齢になっている。私の場合,老妻と二人だけの暮らしだから,今はできることで支え合っているものの,いつ日常的な支障が生じるか予断はできない。そのときに,誰からどのような支援が受けられるか,気に懸かることではある。

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ゆきゆきて大歩危小歩危も吉野川 よろづ仏のみ手のまにまに
いざよひ
2017/10/16 20:49
往時、四国の激流吉野川に沿う阿波街道の大歩危小歩危は断崖絶壁の難所でありました(ウィキによる)。この歌の第一義は<やっと辿り着いたこの難所も生死をすべて仏の思う通りにお任せして通行いたしましょう。>との趣旨ですが、第二義は<歳を重ねて「ゆきゆきて」大ボケ小ボケ「大歩危小歩危」もよし「吉野川」としよう。すべては仏の思う通りに>ということでありましょうか。
岡目七目
2017/10/17 20:10

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