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zoom RSS テーマ「歌謡曲」のブログ記事

みんなの「歌謡曲」ブログ


歌はドラマだ

2017/01/12 20:44
 私が少年だったころの楽しみは,ラジオで聴く野球やマラソン・駅伝の実況と,歌謡曲だった。他のスポーツの実況放送は大相撲以外は無かったし,歌謡曲も,ラジオで聴くしかなかった。聴くだけでなく,自分でもやったけれど,野球も遊びの域を出ないもので,布を丸めて括った手作りのボールや,自分で木を削ったバットで仲間と遊んでいた。敗戦後の物資が乏しいころで,時折,ハワイ在住の遠い親戚が食品や衣類を送ってくれるのが嬉しかった。その中に硬式テニスのボールやゴルフボールが入っていたことが有ったけれど,テニスやゴルフなど知る由もない暮らしだったので,使い途が分からず,布ボールと同様に手作りのバットで打っていると,テニスボールはすぐに割れてしまった。高校では,陸上競技部に入って,ひたすら長距離を走った。
 自作の歌謡曲の思い出と作品については,かつて書いたことが有る。【 http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/song.html
 自ら作る意欲が衰えただけでなく,声を出すのが辛く,カラオケを楽しむ機会も無くなった今になって,「歌はドラマだ」と感じている。自分で歌唱するときも,上手く唄おうとしないで良い,歌にこめられた情景と気持ちを唄うことだ。もともと,歌詞にはドラマチックな情感がこめられているものが多いけれど,更めてそれに気づかせられたのは,最近になって,テレビで歌手の唄う姿を観るようになってからのことだ。間延びしたドラマを観るよりも,歌謡曲のほうに,数分に凝縮された人生のストーリーと奥行きを感じさせられる。日本の演歌だけでなく,外国のカンツォーネ,シャンソン,ファドなどにしても全てそうだ。日本の曲では特に,ちあきなおみの「歌唱演技力」に感じるところが大きい。ちあきなおみが表舞台から姿を消して久しいけれど,「喝采」(1972年)・「紅とんぼ」(1988年)・「冬隣」(1988年)など(いずれも詞は吉田旺),その感を深くする。
 自分がカラオケで唄っていたころは,少しでも歌手の唄い方に近付けて上手く唄いたいと思っていたものだが,それよりも歌の情感を大切にするべきだったと,今になって気付いている。
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阿久悠と歌謡曲

2011/10/09 19:43
 阿久悠が亡くなって4年になる。その著作『愛すべき名歌たち−私的歌謡曲史−』が岩波新書(1999年7月発行・2009年9月第2刷発行)で出版されているのを,最近になって知り,購入した。1997年4月から99年4月にかけて「朝日新聞」に連載されていた当時は読んでいた記憶が有るが,通して読んだのは初めてで,更めて感慨深かった。
 阿久悠は,私と同世代(学年は私のほうが1年上)で,高校を卒業するまで瀬戸内海の島で暮らしたという体験も共通するので,通い合うものが多い。そのことは,かつて書いた(「想い出の流行歌」2009年2月9日) http://shog.at.webry.info/200902/article_3.html 。その中から阿久悠と歌謡曲に直接関連する部分を再録すると,以下のような内容だ。
 阿久悠は,『瀬戸内少年野球団』の中で,「(戦争が終り、年が明け、昭和二十一年の夏ともなると、)町の人々自らが芝居をすることが流行になったのだ。」「演し物は、大抵流行歌に材をとったもので、第一幕、舞踊劇、第二幕、のど自慢、第三幕、やくざ芝居というのが通常の構成だった。」 と書いているが,私の暮らしていた村でも,復員してきた青年たちが中心になった素人演芸会が,仮小屋のような所で盛んに演じられ,のちに週に一度くらいの割合で巡回してくる映画が上映されるようになるまでは,それが村人たちの最大の娯楽だった。
 「そして、そこで歌われる流行歌が、何故か、『長崎物語』と『港シャンソン』と『勘太郎月夜唄』に限られている。」 と,阿久悠は書いているが,私の中に在る当時の流行歌も,『誰か故郷を想はざる』(西条八十作詞・古賀政男作曲 1940年)であり,『長崎物語』(梅木三郎作詞・佐々木俊一作曲 1938年)や,『勘太郎月夜唄』(佐伯孝夫作詞・清水保雄作曲 1943年)だった。『湖畔の宿』(佐藤惣之助作詞・服部良一作曲 1940年)も含めて,いずれも戦中に作られた歌ばかりで,戦後最初の大ヒット曲『リンゴの歌』(サトーハチロー作詞・万城目正作曲 1946年)は,そのころの私の記憶の中にはまだ無い。
 『愛すべき名歌たち』に話を戻すと,その「あとがき」に記されていることが私の想いにつながる。
 「新聞連載第一回に『湖畔の宿』を書いたら、ずいぶん多くの知人たちから、あれは意外だったと言われた。当然『リンゴの歌』から始まると思っていたと言うのである。」「しかし、ぼくは、きわめて個人史からスタートして、やがて社会史に繋がっていく書き方をしたかったので、(中略)これによって、全体の書き方、歌の捉え方は決したのだが、その代わり『リンゴの歌』が入り込む余地がなくなってしまったのである。二回目に書けばよかったのかもしれないが、ぼくは『妻恋道中』を先に取り上げたくなった。」
 「妻恋道中」の項では,こう述べている。
 「戦後の歌は、『リンゴの歌』からというのが定説であり、常識であるが、ぼくらにとっては、間違いなく、『妻恋道中』とか、『裏町人生』とか、『旅姿三人男』とか、『流転』とか、『勘太郎月夜唄』とか、戦前、戦中に発売され、戦時下の国情にも意識にもそぐわないとして封印されていたアウトローの歌であった。」
 阿久悠は島の高校を卒業すると東京の大学に進んだ。そこからは私とはまったく異なる道を歩むことになるのだが,私と比べれば早世と惜しまれるその人生で,阿久悠の語る時代と歌の歴史は,そのまま,私も共有する時代と歌の姿であり,取り上げられた歌は,想い出とともに自然に湧いて出る歌ばかりだ。阿久悠よりは既に5歳長く生きたけれど,その後,心に残る歌には出合っていない。
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演歌への思い

2011/09/29 19:32
 カルチャーセンターの演歌教室に半年余り通ってみたが,演歌への私の思いとは馴染まないことだだんだん分かってきたので,そろそろ止そうかと思っている。
 山折哲雄氏は,「もしも私が死んだなら/胸の乳房をつき破り/赤い螢が翔ぶでしょう」と森進一が唄った『北の螢』(1984・作詞=阿久悠,作曲=三木たかし)から,和泉式部の和歌「ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」を連想し,共通するのは「魂鎮めのための歌」ということであり,森進一は,「もの思うことの悲傷」と「哀切」の「気分をよくつかんでいた」と論じている(「『歌』の精神史」2006年・中公叢書)。続いて,『万葉集』では挽歌と相聞歌がまぎらわしくなることがしばしばであるという谷川健一氏の指摘(「うたと日本人」2000年・講談社現代新書)を引用して,挽歌と相聞歌は「ともに魂乞いの情熱に発する点では違いがない」と言う。
 私は,それが演歌につながるものだと思う。私の言葉で言えば,演歌に通底する感情は「喪失感」と「渇仰」だと前に述べた。
 演歌がカラオケで唄われるようになって何(十)年経つのだろうか。しかし,カラオケ店の繁盛が演歌の心を喪わせてきたと思われてならない。『北の螢』を書いた阿久悠は,今は「ミュージックはあるがソングはない」と嘆いている(「書き下ろし歌謡曲」1997年・岩波新書)。
 素人が唄う演歌は,練習して巧みに唄えれば良いというものではなく,人に聞かせるためのものでもあるまい。まして物真似ではない。暮らしの中で思わず口ずさむものであり,あるいは,酒を飲み,ほろ酔い気分で,鬱屈した心を吐露するものだと思う。その心は『酒は涙か溜息か』(1931・作詞=高橋掬太郎,作曲=古賀政男)や『悲しい酒』(1966・作詞=石本美由起,作曲=古賀政男)に端的に表されている。「お酒ならべてただひとり/涙唄など歌います」という『北の宿から』(1975・作詞=阿久悠,作曲=小林亜星)もそうだ。軍歌を唄って育った世代は演歌を軍歌のように唄うと言った人がいたが,ほろ酔いで唄う演歌は,まさに,人生の哀感漂う軍歌のようなものでもある。
 また,演歌の成立は歌い手が在ってのもので,誰が唄うかによってその心が定まる。菊池章子が唄った当初はヒットしなかった『岸壁の母』(1954・作詞=藤田まさと,作曲=平川浪竜)が,18年の歳月を経て二葉百合子に唄われることによって爆発的なヒットを呼んだのは,良い例だろう。その菊池章子も『星の流れに』(1947・作詞=清水みのる,作曲=利根一郎)では忘れられない歌手となっている。
 演歌は,人それぞれの唄い方で決まるものだ。歌手の唄を聴く場合は,『北の螢』は森進一でなければならないし,『舟歌』(1979・作詞=阿久悠,作曲=浜圭介)は八代亜紀でなければならない。阿久悠が初めに詞を作ったときは美空ひばりをイメージしていたという『舟歌』が,そのまま別の人の作曲で美空ひばりによって唄われていたら,どうなっていたか想像できない。そのように,歌い手の個性によって心に沁みる「ソング」も,最近は少なくなった。ともあれ,私には私の唄い方が有って良いと思っている。
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自己完結の演歌

2011/09/11 20:20
 衰えてきている呼吸器の鍛練になるかと思って通い始めたカルチャーで,久しぶりに演歌に触れる機会を得て,最近の曲を知るにつけても,違和感を覚えることが少なくない。例えば,キングレコードから出ている次の2つの新曲だ。
 「泣いた数だけ倖せが/きっと待ってる嘘じゃない/むかい風吹くふたりの人生(みち)だけど…/何があっても離しはしない/おまえだけ/おまえだけ/俺のこころの灯(ともしび)は」(作詞=水木れいじ・作曲=水森英夫『灯』6月22日発売)
 「明日にはぐれた男の涙/泣いて叱ってくれた奴/誰も他人のこの街で/惚れたおんなはお前がひとり/離さない…/離さない…/強く抱きしめ/お前を離さない」(作詞=仁井谷俊也・作曲=山崎剛昭『お前を離さない』7月27日発売)
 どちらも,後者の題名どおり,一人の女に寄せる「お前を離さない」という思いが共通していて,「泣いて叱ってくれた奴」は,「泣いて叱ったその手の温み」という前者の第2節の詞とも重なっている。仁井谷・山崎のコンビでは,「きっと…きっと…離さない」「惚れた女はおまえだけ」という,どちらも鏡五郎が唄う同工異曲の『男ごころ』(1月26日発売)も在る。
 そこでは,男と女の物語は完結していて,自己完結性と自己満足という点では,近年の多くの大衆短歌の抒情と変わるところが無い。自立性に欠け,支えを求めて甘えているだけの男の姿からは,「身もだえする」心情を歌う演歌の世界は,すでにどこかに行ってしまっていて,そこに私の違和感の所以が在る。ホームドラマのようなハッピーエンドでありながら,曲調だけは旧態依然の短調だと,違和感はさらに増す。
 これも最近,カラオケを唄いに行く機会ができて,そこで高齢の男性が唄う歌の多くが,長年連れ添ってきた妻に「ありがとう」と呼びかけるものであることに,それが老いた男の心情なのかと,半ば感じ入ったけれども,妻への感謝は,演歌で唄うことではあるまい。それに比べると,女性の歌が,満たされない想いであったり,不倫の哀しみであったりするのは興味深い。
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「ふるさと演歌」の系譜

2011/05/27 19:04
 最近,演歌の教室に通っていることは,前に書いた。その感想として,「最近の,特に男性の演歌は,詞も曲もパターン化していて,いたずらに技巧的なものが多い。演歌が大衆に好まれる根底にはカタルシスが有ると思うのだが,作詞家では,石本美由起,吉岡治,星野哲郎(いずれも作詞家と言うよりも詩人と呼べる人たちだった)既に亡く,作曲家でも,市川昭介,遠藤実,三木たかしを喪い,船村徹も老いた今,新曲の多くは,『歌の心』と言うか,胸に染みるものが不足しているので,歌に気持ちを込めにくい。」(4月27日)とも書いた。
 教室で採り上げられた氷川きよしの新曲『あの娘と野菊と渡し舟』(作詞=水木れいじ,作曲=水森英夫)を歌いながら,「嫁にも行かずにこの俺の/帰りひたすら待っている/あの娘はいくつ/とうに二十はヨー過ぎたろに」という歌詞を思い出していた。作詞=高野公男,作曲=船村徹の『別れの一本杉』(1955年・春日八郎)だ。
 1950年代は,いわゆる「ふるさと演歌」の流行期だけれど,「忘れないでと小指をからめ/見送ってくれた船着場」という水木れいじの歌詞は,「一本杉」が「船着場」に変わっているだけで,同工異曲の趣が有る。
 ついでに思い出したのが『柿の木坂の家』(作詞=石本美由起,作曲=船村徹 1957年・青木光一)で,ここでは,「乗合バス」と「渡し舟」との違いは有るが,水木れいじの「懐かしいなァ」,「泣けてくるなァ」,「帰りたいなァ」という詞は,「思い出すなァ」,「懐かしいなァ」,「逢ってみたいなァ」という石本美由起の詠嘆と重なっている。また,作詞=東条寿三郎,作曲=細川潤一の『おさげと花と地蔵さんと』(1957年・三橋美智也)は,タイトルも似ている。
 50年代の「ふるさと演歌」は,集団就職で,田舎から多くの若者が都会に出た時代に呼応しているけれど,似たような思いは私にも有った。
 その少し前,自作の曲で,「風の便りに聞いたこと/あの娘はこの春,嫁に行った」「指折り数えりゃ五年前/あの娘も今年でもう二十/ぐるり廻った峠の道を/越えて行ったろ花嫁衣装/瞼を閉じれば/あの日のままの幼顔」と唄ったのは( http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/song.html ),「ふるさと」と言うよりも「青春前期」への郷愁のようなものだったと思うけれど,「涙ぐんでた別れのあの日」を懐かしむ気持ちは共通している。
 「ふるさと演歌」は,1965年の『帰ろかな』(作詞=永六輔,作曲=中村八大),1977年の『北国の春』(作詞=いではく,作曲=遠藤実)と続く。このころになると,「あの娘」を思い出すだけでなく,「故郷のおふくろ」,「あにき」や「おやじ」など家族を想い,「帰ろかな」という「望郷」の思いが加わるのだが,「ふるさと(望郷)演歌」の系譜は,途絶えることなく,今日まで続いているようだ。それにしても,捨ててきた「ふるさと(過去)」を懐かしむのは,現代ではどういう意味を持つのだろうか。
 『北国の春』は,日本だけでなく,東南アジアの人たちの人気をも集めているというが,歌い手の千昌夫が言っている。「遠藤先生の曲は,メロディの流れが自然で,歌っていても,次の小節がおのずから湧いてきて,抵抗感が無い」。
 それに比べると,最近の曲は技巧に走っていて,私には親しみにくい。例えば,次の小節に移ろうとすると,8分休止符が入り,次いで,16分音符と8分付点音符の連音符で出る曲想が多い。そこで,メロディの流れに抵抗が生じる。演歌は,鑑賞するものではなく,大衆が日常で思わず口ずさむようなカタルシスを伴うものだと思うのだが,そういう歌が近年は少なくなっていると感じる。今の歌が10年後,20年後に歌い継がれているかどうか疑わしい。
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追悼・星野哲郎さん

2010/11/24 19:20
 歌謡曲の歴史を作った「詩人」がまた一人亡くなった。星野哲郎さん(11月15日・85歳)だ。昨年から,石本美由起(09年5月27日・85歳),丘灯至夫(09年11月24日・92歳),吉岡治(10年5月17日・76歳)と,作詞家の訃報が相次ぐ。いずれも,名曲として心に残る作品を数多く残した人たちで,哀惜の念が深い。
 中でも星野さんは,私が少年時代を過ごした山口県周防大島の出身で,島では,演歌振興を願って星野さんが主導する「えん歌蚤の市」が,多くの作詞家,作曲家,歌手を集めて何度も催され,2003年8月には,その第13回を兼ねた「星野哲郎作詞家生活50周年記念コンサートが盛大に開催された。2007年に建った星野哲郎記念館も在る。 http://www.hoshino-museum.jp/
 追悼の思いを込めて,4年前にホームページに載せた文章(「私の演歌論・序説」2006.12.2)を転載する。
           *  *  *
 私は,『みだれ髪』(星野哲郎作詞・船村徹作曲.1988)を演歌の名曲の一つだと思っている。晩年の美空ひばりが唄って,まさに「絶唱」と言うにふさわしい曲だが,歌われているのは身もだえするような喪失感である。
 演歌の本質は,その喪失感に在ると思う。そのうえで,「沖の瀬をゆく底引き網の船に乗せたいこの片情け」「ひとりぼっちにしないでおくれ」という渇仰を伴う。それが,多かれ少なかれ人生での喪失感を抱いている人々の共感を呼び,カタルシスをもたらす。今や古典的な『影を慕いて』にしても,喪失感と,それを埋めたいと願う渇仰が根底に在る。「旅情演歌」と呼ばれるいくつもの名作にも共通するものだ。演歌を「人生の応援歌」とする捉え方もまた,喪失感を癒すカタルシスが在ればこそのことだろう。(後略)
           *  *  *
 思えば,星野哲郎の場合も,若くして病のために船乗りへの夢を断たれた喪失感が,4,600曲に及ぶ作品の根底に在るものだろう。星野が作詞家として世に出る契機を作った『思い出さん今日は』(1858)の作曲が,前掲の文章で触れている『影を慕いて』の作者・古賀政男によることにも,演歌の縁のようなものを感じる。
 また,星野演歌の代名詞のように言われる「人生の応援歌」の数々には,何度か地獄を見てきた自分自身を奮い立たせる気持ちが込められているにちがいない。
 しかし,星野には,喪失感を埋めて余りある朱実夫人の献身的な支えが有った。『女の港』(1983),『雪椿』(1987)など,男に尽くす女性の無私の愛の姿にも,朱実夫人は投影されていると思われるし,夫婦演歌の代表作『夫婦坂』(1984)は,そんな妻の感慨を写し出しているようだ。
 1994年,その朱実さんに先立たれる。亡き妻に寄せる思いをそのまま詩にした『あけみ』(1995)は,吉田正が曲を付け,三木たかし,市川昭介が編曲に加わり,盟友・船村徹の歌唱で,星野の心の内を直接的に表している。そして,のちに星野が綴った『妻への詫び状』(2003年・小学館刊)は劇化され,朱実夫人を名取裕子が演じた。
 それから16年,星野さんは,長年そのために力を注いだ演歌と,その仲間とに支えられて生きてきたのだろうと思う。そして今は,朱実さんといっしょに入ると自ら墓碑銘に記した,二人の故郷・周防大島の丘に建つ墓で,手を取り合って眠っていることだろう。合掌。
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吉岡治さんの「遺書」

2010/05/24 20:25
 17日に亡くなった作詞家・吉岡治さんをしのんで,昨年4月にBS11で放映したBSエンターテインメント「作詞家・吉岡治」が,23日,再放送された。私は,昨年の放送は観ていないのだが,今回観て,その中で吉岡さんが語っている言葉に胸を打たれた。その部分を筆録すると,次のような内容だ。
 「人の心を大きく動かすような詩を,これからも書いて行きたいし,ラスト・ランに入っているから,書くものが僕にとっては一作一作,遺書みたいな気持ちも有ります。だから,下手な歌は書けない。最後の作品がチャランポランな,つまらない歌で終わりたくない。ウイニング・ランをできるかどうか分からないけど,ゴール寸前にぱったり倒れるかもしれません。でも,格好良く終わりたい,そう思っています。」
 遠からぬ死を自覚していたかと思われる発言だが,氏の作家魂と,石川さゆりとの互いに優れた表現者としての結び付きの深さを,更めて感じさせられる番組だった。
 先日(19日)書いたように,7月に予定されている石川さゆりの明治座公演のための新作が,コンサート部分の演出を担当する私の長男の依頼で出来上がっていたというのが,言葉どおり「遺書」になったのだろうと思うと,遺された者によって,それがどのように結実されるか,公開が待たれる。
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『お念仏だよ人生は』

2009/10/01 19:52
 今や人気の子役,加藤清史郎くんが歌う『かつおぶしだよ人生は』(NHK・みんなのうた)がCDになって発売中だ。「ボヤキ念仏」のShoGとしては,これに対抗して『お念仏だよ人生は』を,ホームページ「おじさんソング」にUPした。 http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/onenbutsu.html

   お念仏だよ人生は

 長生きしようと思っても この先楽しきことや有る
 少子化進む世の中で 老いの暮らしは味気無い
 如是我聞 極楽良いとこ 一度は行こう
 お念仏だよ 人生は
 同発菩提心(どうほちぼだいしん)
 往生安楽国(おうじょうあんらくこく)

 花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき
 今では後期高齢者 肩身の狭いことばかり
 如是我聞 極楽良いとこ 一度は行こう
 お念仏だよ 人生は
 同発菩提心 往生安楽国

 袋小路の人生は やがてどこかで行き止まり
 先の短い路地道も たまには陽の射すことも有る
 如是我聞 極楽良いとこ 一度は行こう
 お念仏だよ 人生は
 同発菩提心 往生安楽国
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うらおもて

2009/03/10 20:03
 ホームページの中に,「おじさんソング」と名付けたページを設けて,私の年齢での折々の思いを作詞・作曲した歌を,いくつか収録している。昨年の暮れ,オランダ・アムステルダムにお住まいの未知の女性から,その中の一つを,御自身のブログで紹介したいと,許諾を求めるお便りを頂いた。どのような経緯で見つけられたのか,知りたいところだけれど,取り敢えず,御自由にお使いくださるよう,お返事した。
 暫く遠ざかっていた曲想が久しぶりに湧いたので,新作「うらおもて」をホームページに収録したところだ。 http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/uraomote.html
 人の心の中には,常に,うらおもての感情が潜んでいる。「痩せ我慢」,「世間体」,「建前と本音」,「偽善・偽悪」等々,全てその感情に由来するものだろう。
                *  *  *
 配偶者は,人生の,文字どおり伴侶としての存在でなければならないが,他に,心惹かれる異性が在ったとしても,それは,男と女の自然な感情の赴くところで,倫理に背くことだとは,私は思わない。と思うだけで,私の現実とは遠いことで,言わば,老人のなお断ち難い煩悩を歌ったものだ。
 男と女の気持ちに託したけれど,人の心を象徴する意味も有ると思っている。

  うらおもて

あなたには 愛する夫が在るでしょう
わたしにも 大事に思う妻がいる
でも あなたに惹かれる気持ちに嘘は無い
男と女 寄せる思いのうらおもて

いつまでも 途切れぬ愛も在るでしょう
つかの間の 心を燃やす恋も在る
でも 今宵の求める気持ちに嘘は無い
男と女 つのる思いのうらおもて

人の目を 恐れることも有るでしょう
ためらいに 心の揺れるときも有る
でも たがいに引き合う気持ちに嘘は無い
男と女 生きる思いのうらおもて
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想い出の流行歌

2009/02/09 17:34
 寺山修司の書『誰か故郷を想はざる』に刺戟されて,少年時代の私の中に在る流行歌を想い起こす。
 阿久悠は,『瀬戸内少年野球団』の中で,「(戦争が終り、年が明け、昭和二十一年の夏ともなると、)町の人々自らが芝居をすることが流行になったのだ。」「演し物は、大抵流行歌に材をとったもので、第一幕、舞踊劇、第二幕、のど自慢、第三幕、やくざ芝居というのが通常の構成だった。」 と書いているが,私の暮らしていた村でも,復員してきた青年たちが中心になった素人演芸会が,仮小屋のような所で盛んに演じられ,のちに週に一度くらいの割合で巡回してくる映画が上映されるようになるまでは,それが村人たちの最大の娯楽だった。
 寺山修司は,「得意な歌は『誰か故郷を想はざる』であった。」 と書き,阿久悠は,「そして、そこで歌われる流行歌が、何故か、『長崎物語』と『港シャンソン』と『勘太郎月夜唄』に限られている。」 と書いているが,私の中に在る当時の流行歌も,『誰か故郷を想はざる』(西条八十作詞・古賀政男作曲 1940年)であり,『長崎物語』(梅木三郎作詞・佐々木俊一作曲 1938年)や,『勘太郎月夜唄』(佐伯孝夫作詞・清水保雄作曲 1943年)だった。もっとも,小畑実の歌う『勘太郎月夜唄』は,まだ都会で暮らしていた7歳のときに観た映画『伊那節仁義−伊那の勘太郎』(滝沢英輔監督)の主題歌で既に知っていた。『湖畔の宿』(佐藤惣之助作詞・服部良一作曲 1940年)も含めて,いずれも戦中に作られた歌ばかりで,戦後最初の大ヒット曲『リンゴの歌』(サトーハチロー作詞・万城目正作曲 1946年)は,そのころの私の記憶の中にはまだ無い。
 もう一つ,私にとって特別の思いが残っているのは,『別れ船』(清水みのる作詞・倉若晴生作曲 1940年)だ。
 戦争が終わったとは言え,小学校卒業まではまだ,男子と女子とは別々のクラスに分かれていて,男子組の級長が私で,女子組の級長が私と同様に疎開者のMだった。言葉を交わしたことも無かったけれど,級長同士だということで,周囲の悪童たちは,二人を結び付けて,からかいの対象にしたので,私も自然に彼女を意識するようになっていた。初恋と言えるのかもしれない。そのMが,青年団主催の演芸会の「やくざ芝居」ではいつも子役で出演し,「のど自慢」では必ず『別れ船』を歌った。できたばかりの新制中学校に進んで,男女が同じクラスで席を並べるようになったとき,彼女の姿は既に無かったから,疎開生活を早々と切り上げて,どこかの都会に帰って行ったのだろう。私の初恋は,舞台の上の彼女を遠くから眺めているだけで終わった。
 「名残尽きない果てしない 別れ出船の鐘が鳴る 思いなおして諦めて 夢は潮路に捨てて行く」(清水みのる作詞『別れ船』)。
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タイトル 日 時
河島英五再発見
 河島英五が48歳で逝って7年になる。4月20日に催された「河島英五記念ライブ」をテレビ(BS11)で観た。「記念ライブ」がテレビにオンエアされた同じ日(4月26日)に,BS11では,「歌伝説・河島英五の世界」も,90分番組で放映された。  河島英五が亡くなったときの思いは,当時,書いた(HP:よしなし言2001「旅的途上」 http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/yoshinashigoto.01.html )けれど,今度の2つの番組で,私がこれまで聴いたことも無く,... ...続きを見る

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2008/05/06 20:01
なつかしの島
 前回に記した「島の思い出」にちなんで,「おじさんソング」の新曲を作りました。  http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/natsukashinoshima.html ...続きを見る

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2007/10/12 21:33
忘れたっていい
 加齢のせいか,人の名前をとっさに思い出せないことがよく有る。物忘れするときも増えたし,物覚えも悪くなった。再開したダンスのレッスンでも,決められたルーティンで踊る場合,前回に覚えたと思っていても,次のときには,また覚束なくなっている。前には無かったことだ。  しかし,嘆いていても仕方が無い。齢のせいだと居直るしかない。  そこで,一曲出来た。(曲は, http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/wasuretatteiino.html で聞いてください。) ...続きを見る

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2007/04/25 19:37
歌謡曲の著作権
 森進一の唄う「おふくろさん」の歌詞が「改変」されていたということで,作詞者の川内康範氏が怒り,その提起を受けたJASRAC(日本音楽著作権協会)が同一性保持権(著作権法第二章第三節第二款第二条)の侵害と認めたため,保富康午氏が付け加えたとされるバースを含んだ森進一バージョンの「おふくろさん」は唄えないことになった。  もちろん著作権は尊重されなければならないものだし,川内氏の主張どおり原作者の了解を得ていなかったとすれば,森進一の側に落ち度が有ると言わざるを得まい。しかし,その背後には感情的... ...続きを見る

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2007/03/18 20:21

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