弟と短歌
「2歳と6歳年下の弟がどちらも元気でいる。私が今の彼らの年齢だったときはどうだったろうかと思う一方で,彼らが今の私の年齢になったとき,今の私が記しているようなことに思い当たるときがくるかもしれないと思いながら書いている」と,前(1月27日)に記した(「老化の日々」)。
その2歳下の弟が,インターネット上の「題詠100首」という「ネット短歌の会」に,2005年以来参加して,自作を投稿している。毎年,主宰者が提示した100の兼題に従って短歌を詠み,100首で「完走」ということになる趣向で,例年,完走者だけでも百数十人に達しているという。
弟は,幼少のころから短歌に親しみ,これまでに何冊もの歌集を出版していて,「覚めてより耳に離れぬ唄のあり そがまた実に下らぬ唄にて」(2003年12月20日砂子屋書房刊『春の道』所収)という歌が,かつて「朝日新聞」に連載されていた大岡信の『折々のうた』で紹介されたことも有る(2005年11月18日発行・岩波新書『新 折々のうた 8』収録)自称歌人だが,近年は,「ネット短歌」で,自作の投稿だけでなく,勝手に他の会員の作品の選歌までして,専ら楽しんでいるようだ。そのためには,まず自作を発表しなければならないから,9年目になる今年の投稿も,早,50題あたりまで達している。
題詠だから,題に合わせるために,過去の属目や実感を基にしたり,多少無理に拵えたりしたものも有るかもしれないが,今年の作品を見ていると,老いの感懐を詠んだものがいくつか目に付くようになってきた。公開されていることなので,当人には無断で紹介する。
(習) いつよりか駅の階段降りるとき手摺りに頼る習いとなりぬ
(券) 乗車券入れたる積りが見当たらずポケット探りうろたえている
(財) 外で飲む誘いも少なくなりたれば散財をする機会も減りぬ
(期) 日一日死期に近付きつつあるかとふっと思えり 年老いたれば
(括弧の文字がその歌の題である。)
最近では,会う機会もほとんど無いけれど,ネットで目にして,健在を慶ぶとともに,やはり彼もまた老いを感じつつあるのかと,ひそかに頷いている。
もう一首挙げると,今年の年頭の作で,
(新) 毎日が新しき日であることを七十五となりあらためて思う
というのが有る。人の一生は常に初体験の連続で,老いてもそれに変わりはないという思いなのだろうが,今の私は,既にその感懐の域を越えてしまった。そこで,即席の拙作を一首。
新しき日とう思いを持てずして起き辛き日をまだ生きている
その2歳下の弟が,インターネット上の「題詠100首」という「ネット短歌の会」に,2005年以来参加して,自作を投稿している。毎年,主宰者が提示した100の兼題に従って短歌を詠み,100首で「完走」ということになる趣向で,例年,完走者だけでも百数十人に達しているという。
弟は,幼少のころから短歌に親しみ,これまでに何冊もの歌集を出版していて,「覚めてより耳に離れぬ唄のあり そがまた実に下らぬ唄にて」(2003年12月20日砂子屋書房刊『春の道』所収)という歌が,かつて「朝日新聞」に連載されていた大岡信の『折々のうた』で紹介されたことも有る(2005年11月18日発行・岩波新書『新 折々のうた 8』収録)自称歌人だが,近年は,「ネット短歌」で,自作の投稿だけでなく,勝手に他の会員の作品の選歌までして,専ら楽しんでいるようだ。そのためには,まず自作を発表しなければならないから,9年目になる今年の投稿も,早,50題あたりまで達している。
題詠だから,題に合わせるために,過去の属目や実感を基にしたり,多少無理に拵えたりしたものも有るかもしれないが,今年の作品を見ていると,老いの感懐を詠んだものがいくつか目に付くようになってきた。公開されていることなので,当人には無断で紹介する。
(習) いつよりか駅の階段降りるとき手摺りに頼る習いとなりぬ
(券) 乗車券入れたる積りが見当たらずポケット探りうろたえている
(財) 外で飲む誘いも少なくなりたれば散財をする機会も減りぬ
(期) 日一日死期に近付きつつあるかとふっと思えり 年老いたれば
(括弧の文字がその歌の題である。)
最近では,会う機会もほとんど無いけれど,ネットで目にして,健在を慶ぶとともに,やはり彼もまた老いを感じつつあるのかと,ひそかに頷いている。
もう一首挙げると,今年の年頭の作で,
(新) 毎日が新しき日であることを七十五となりあらためて思う
というのが有る。人の一生は常に初体験の連続で,老いてもそれに変わりはないという思いなのだろうが,今の私は,既にその感懐の域を越えてしまった。そこで,即席の拙作を一首。
新しき日とう思いを持てずして起き辛き日をまだ生きている
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