政治家の変わらぬ感覚

 1972年5月15日は,日米講和条約発効の後も20年の長きにわたってアメリカの施政権の下に置かれていた沖縄がようやく返還され,日本への復帰が実現した日だ。しかし,同時期に行われていた「本土」の地方選挙の保守系の立候補者のポスターに掲げられていた「暖かく迎えよう」という言葉に私はひどく抵抗を感じて,その気持ちを投稿したものが当日の大阪本社版「声」欄に載った。
 要旨は,「戦中から戦後の現在まで,沖縄の人びとは,われわれ日本人の苦難を最大限に背負わされて来た。その犠牲の上で,今日の繁栄を享受しているわれわれが沖縄の同胞のためにいったいどれだけの行動をしたであろうか。今なお薄らいでいないその痛みに対して,ただ頭を垂れて迎えるしかないと思う私は『暖かく迎えよう』という言葉の他人ごとのようなそらぞらしさに,憤りに似た気持ちをもたずにはいられない」,というものだった。
 その施政権返還の条件として,沖縄の米軍基地はさらに拡大強化され,沖縄県民の苦痛はなお緩和されることのない今,1952年のサンフランシスコ日米講和条約発効の日を期して記念式典を催すという政府の感覚は,沖縄の痛みに対する思いに欠け,72年当時の一地方政治家の独善的なものと変わっていないと思われて,41年前の憤りの気持ちをよみがえらせている。

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