○○適齢期

 蜷川幸雄さんが亡くなった(80歳=多臓器不全)。先日は冨田勲さんの訃報(84歳=心不全)を聞いたばかりだ。言うまでもなく私には,諸氏のように世に抜きん出た才によって広く知られた業績は無いけれど,私もまた80歳を超えれば,いつ死んでも不思議は無い齢だと思わせられる。それならそれで良いけれど,朝が起き辛くて,このまま眠り続けていたいと思いながら,隣で寝ている妻の目覚めた気配を感じると,自分も起きないわけにはいかないと,気持ちを奮い立たせる毎朝だ。老いた夫婦の暮らしでは,互いに気力を出して生きていかなければならず,いずれどちらかが先に逝けば,遺されたほうはその先どう生きるか,思い遣ってしまう。
 「靴を履く時よろける」「重たいものが長く持てない」「瓶のふたが開けられない」「歩幅が狭くなった」「下りの階段が怖い」「姿勢が前かがみになった」「手すりがないと不安」「何でもないところでつまずく」等々は,加齢に因る筋肉量減少のせいだというのが,「年齢筋力応援」サプリメントを売る会社の広告に列記されている症状で,確かに私にも全てが当てはまる。だからといって,その会社の製品を買ってケアしたいとまでは思わない。日常の心掛けや注意で少しでも防ごうとはしているものの,加齢の自然な成り行きに敢えて逆らっても仕方が無いことだと思っている。
 ただ,前途の希望や見通しが持てない身では,婚活や就活のように前向きな活動をするわけにはいかないのが辛いところだ。最近では,個々の症状にとどまらず,生きていることそのものに疲労を感じながら,憂え無く安楽国への往生が許されるのはいつになるのか分からないのが,人の背負わなければならない業なのだろう。
 今年も,亡母の命日が巡ってくる。「祥月命日は六月四日だが、その前に、母との会話が突然途絶えてしまった五月二十三日という日が、私には忘れられない日になっている」と,一周忌に当たっての文章に記している。その日の朝,96歳の高齢ながら,いつもラージボール(卓球)などを楽しみに通っている市の老人福祉施設に出掛ける時間になったので,妻の作った弁当を手渡しながら,出掛ける意思を確かめると,「行くのはいいけれど、バスに乗るまでが恥ずかしい」と母が言った。そのときは,老いてもシャイな面を持つ母なので,施設のバスに乗るまでの僅か50メートルほどの杖をついた歩行を恥じているのかと思ったのだが,母がバスに乗る前に倒れたと,近所の人が知らせてくださって駆けつけると,多くの人に囲まれて,路傍に横たわっていた。既に意識が無かった。「さっき『恥ずかしい』と言ったのはこのことだったのだろうか、という気がした」「母には虫の知らせのようなものが有って、何となく感じた不安が、そのような言葉になって表れたのかもしれないと思う」と,1年後に回想している(詳細は http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/haha.html に掲載)。
 しかし,私自身が齢を重ねた今にして思うと,平素元気な母だったから思いが及ばなかったけれど,当時の母に比べればはるかに若い今の私でもそうなのだから,当人にすれば,疲労感から,体を動かすことが億劫で,気が進まないときも有ったのではないかと思われる。妻もまた,今は同様ではなかろうか。

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この記事へのコメント

いざよひ
2016年05月16日 20:14
あめが下よはひふるほど諾(うべ)なひて 来し方よろずいとどなつかし

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