日々ルーティン

 朝,寝床から起き上がろうとするとき,「このまま死んでしまいたい」という既に60年近く前に唄われた歌謡曲(「アカシヤの雨が止むとき」)のフレーズを思い浮かべる。起き上がる力が体に湧いてこないのだ。自然に死んでも不思議は無いとさえ思える。何とか起き出して,玄関の鍵を外し,新聞を取り込み,各部屋の雨戸を開け,曜日ごとに定められている分別ゴミを収集場所に出し,手洗い・洗面を済ませたのち,仏前で,母の没後の習慣になっている毎朝の読経を果たす。僅か10分余りのその読経も,最近は息が続かず,声を出し難くて,辛く思えるときが有る。その間に妻が調えてくれている朝食を摂り,食後のコーヒーを飲んで,ようやく少し目覚めた気持ちになる。
 まだ死なずにいるからには,欠かせない営為が有る。パソコンを起動し,まず受信メールをチェックする。前夜から朝までの間に20~30件のメールが入っているけれど,ほとんどはPRがらみのもので,「知らせ」と言えるものではない。特に最近は,個人的な関わりの有る人からの「便り」は,互いに齢を取ったせいもあって,稀にしか送られてこないので,受信メールと言っても,チェックだけして削除する作業で終わることが多い。
 次に,肉親や知友のブログやツィッターのサイトにリンクして,新しい情報を確認する。これも,インターネットを利用している知友は,年代が上がるほど少なくなり,限られた数でしかない。それでも,その人たちの動向を知るために,ともかくリンクしてみるのだけれど,一か月近く書き込みの無い場合や,中には半年も途絶えている人も在って,気軽に問い合わせるわけにもいかない相手だと,安否が気懸かりになるだけだ。
 それから新聞に目を通し,記録として残しておきたい事柄を書き写し終えるころに,ようやく足腰に力が入るようになり,体が動き始めるので,昼食の後,ちょっとした所用で出掛けたり,外周りの作業に取り掛かったりするのだけれど,猛暑日が続く昨今だと,その時間には気温が上がって,今度は体に掛かる負担が大きくなり,ひどく疲れてしまう。ブログの書き込みが途絶えがちになるというのは,他人事でなく,私自身,読んでくださっている方に心配を掛けているのではないかと思いながら,7月から8月にかけて一か月近く書き込みを怠ってしまったのは,暑さ疲れで,キイボードに向かう気力がなかなか出なかったためだ。
 夕食の後片付けが終わったときには,きょうも一日何とか過ごせた,お疲れさんと,「老衰」の思いを抱きながら,また明日の朝につながる夜を迎えることになる。「老衰」は,身体の機能だけでなく,気力や知力,経済力にまで至る「生活力」全体に及んでいると感じる日々の暮らしだ。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント

いざよひ
2016年08月18日 20:48
今日もまたそのこととなく過ぎぬめり 秋風ヒラリいのちことほぐ

この記事へのトラックバック