人生あとさき

 結婚当初から,妻の寿命は私より短いとひそかに思い,妻の最期は私が看取るつもりでいた。亡きあとの暮らしも,自分で処理して行くと覚悟していた。ところが,二人とも思いのほか長く生きて,これからは老老介護の情況が予測される中で,体力の衰えとともに私の自信もしだいに揺らぎ,むしろ私のほうが先に逝くかもしれないという不安を持つようになっている。もしそうなったら,老いた妻に苦労をさせた上に,遺して行くことになるのが,いろいろな面で気懸かりだ。
 今は昔,「人生二回結婚説」を唱えた人物が在った。大脳生理学者で,1936年下期の直木賞受賞作家でもある林髞=作家名・木々高太郎(1897~1969)だ。詳しくは忘れたけれど,初婚では20歳年長の人を選び,20年後には離婚して,今度は20歳年下の相手と再婚するのが,男女ともに理想だとする説だったと記憶している。今で言えば「年の差婚」ということになろうが,では40年後にはどうすれば良いのか,そこまでの言及は無かったようだ。もともと性生活に視点を置いた説で,老後のことまでは考慮していなかったのかもしれない。
 昔のように,老いては,子の許で暮らすのが当たり前だった時代であれば,老後のことまで考えなくて済んだかもしれないが,核家族化が進行した現代では,事情は異なる。私としても,これまで,わが子に対して,親として出来る限りの力になりたいが,子の生き方には干渉すまい,と思って生きてきたけれど,今では,老いて子どもの足手まといにはなりたくないと念じつつも,所詮,最後の始末は子に任せるしかないのかと,そのときを思って懸念することも少なくない。
 私が,長年一人暮らしを続けていた母を呼び寄せて同居するようにしたのは,母が60代になってからのことだった。その母が天寿を全うしたとき,私は既に60代後半になっていたけれど,最期を見送り,七回忌を勤め終えたころまでは,子としての務めを滞りなく果たせたと思っている。しかし,今であれば,同様な対処を負担とせず果たせるかどうか心もとない気がする。現に十三回忌は催せなかった。
 夫婦に限ったことであれば,「人生二回結婚説」を現代的に敷衍し,「年の差婚」をもっと拡げて,30歳くらい年長の配偶者の最期を看取った後で,30歳ほど若い連れ合いを得て,順送りにその世話になるのが望ましいことかもしれないが,それには,心置きなく生活できる経済的な裏付けが必要になろう。
 いずれにしても現実には考え難いことで,老いて衰えるというのは,現代に生きる人間の「業(ごう)」としか言えないことに思われる。

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この記事へのコメント

いざよひ
2016年08月28日 20:17
うつせみの世にかこちぬる翁草 ちちろの闇にまつは月影

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