「ミテル」

 「朝日新聞」の朝刊に連載されている鷲田清一さんの『折々のことば』で,土佐(高知県)の方言で人が「亡くなった」ことを「ミテタ」と言う(竹村義一「土佐弁さんぽ」から)と紹介されていた(1月28日)。私のルーツは土佐なのだが,1954年に祖母が亡くなった後,年数が経つうちに,かつての本籍地には縁者もいなくなり,1988年に本籍と墓地を現住地に移した。それまでも,自分自身が高知県で暮らしたことは無いので,その言葉は知らなかった。むしろ少年時代を過ごした山口県で聞いた記憶が有るけれど,それは,日常の暮らしの中で,味噌・醤油などの消耗品を使い切って,無くなったという意味だった。鷲田さんも「ミテルは、人が死ぬこと、物がなくなること。『満たす』の古い形で、いっぱいにするという意味だそうだ」と記している。そこから転じて「使い切る」ことを言うようになったのだろう。そう考えれば,人の死も,命を「使い切った」ということになる。
 倉持保男・編『方言小辞典』(東京堂出版)に当たってみると,「無くなる」→「ミテル」岡山・広島・島根・山口・愛媛大三島・高知・大分東北部,「死ぬ」→「ミテル」岡山西南部・徳島中部・高知という記載が見つかった。耳から聞くだけだと,「見てる」と思い違いをしそうで,私だと,都はるみが唄った『アラ見てたのね』(関沢新一作詞・市川昭介作曲 1966年)というフレーズを真っ先に思い浮かべるのだけれど……。
 年が改まって早くも1か月がミテタ。私の齢になると,月日の経つのが速く感じられ,余命を日々使い切って行くような気持ちになってくる。月の末日を「尽(じん)」と言うけれど,これも「ミテタ」に共通する表現だろう。しかし,その月が終わっても,一夜明ければまた新しい月が巡ってくる。カレンダーに書き込んだ予定も有る。
 体力が衰えたから気力も衰えるのか,あるいはその逆で,気力の衰えが先なのか,分からないけれど,私は,体力の衰えは否めなくても,まだ気力が衰えたとは思っていない。私の人生としては既に「満願」と言っても良かろうが,少なくとも妻を置いて先には逝けないと思っているし,わが子の行く末をはじめとして,先行きが気に懸かり見届けるまでは生きていたいと思うことも少なくないから,こればかりは思いどおりにはなるまいが,まだ命を使い切るわけにはいかないと思っている。私のその余生を「見てる」のは,2002年に天寿を全うした亡母だろうか。

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この記事へのコメント

いざよひ
2017年02月02日 20:29
内視鏡検査の折モニターを見て詠める
「たまきはるおのが命のミテルらし 胃カメラのさき腺癌見テル」
返し
2017年02月03日 13:40
明日に待つ人の思ひのあればなほ 命のミテルときの長かれ

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