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zoom RSS 喪われ行く過去

<<   作成日時 : 2018/08/07 17:12  

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 先月世を去った弟が亡くなる4か月前に送ってきた,下記の内容を含んだ文章が有る。
 「(前略)昨夜,(疎開先だった母の実家の)茶の間から収納式の階段で上がる屋根裏部屋での出来事を思い出しました。」「多分小学校上級生か中学生になったばかりのことだったと思います。あそこはぼくにとって一種の秘密の空間でした。そこにある箪笥の中に、亡父の思い出の品がありました。」(中略)「(その中にあった父の日誌に遠洋航海中に立ち寄った南アフリカの記録があり)、アパルトヘイト下のケープタウンでの感想として、『南阿の現状よりして我が国において水平社運動の起こるも必然なりと思いき』という趣旨が書かれていて、それが非常に印象に残りました。」「当時のぼくは、(敗戦後という時代に周囲の大人たちからいろいろ言われたこともあって)亡父は全面的に否定しなければならない存在だと頑なに信じ込んでいました。」(中略)「亡父の南阿での感想を目にしたぼくは、何かを感じたはずで、だからこそ今になってもその短い記述が忘れられないに違いないのですが、父が単なる『軍国主義者』ではなく、当時の日本の社会矛盾についても思いを巡らす、健康な批判精神を持った人だったのだと考えるようになったのはもうだいぶ後のことです。」(中略)「以上が昨夜蘇ってきた屋根裏部屋の思い出です。あの、今から見れば貴重な記録はどこへ行ったのでしょう。」
 「(昨夜こんな六十年以上も昔のことが半ば夢のように思い起こされたのは)、どうやら脳の崩壊や命の終わりを意識せざるを得なくなった(まだ切実な実感とまではいかないのですが・・・)ので、過去が現実そのものになって行っているのだろうと思います。」
 父が戦死したとき,弟はまだ2歳だった。その後,文中にも有る母の実家に親子3人で疎開して,その5か月後に祖父も,たまたま所用で出向いていた広島で原子爆弾の投下に遇い,行方不明のままになった。当時,疎開先だった瀬戸内海の島の民家が直接攻撃されたことは無かったものの,広島や呉を攻撃する敵機の進路に当たり,空襲警報が発令されたことも有る。そのときは,灯りを消して机の下などに身を潜めていたのだが,あるとき,警報が解除されても弟の姿が見当たらない。探したところ,布団を掛けた机の下で,当時は稀少だった砂糖を入れた壺を抱えてしきりに嘗めていた思い出がある。
 幼かった弟にそのころの記憶は無かったに違いないが,それでも,後年母が亡くなったのちは,父のことや当時の暮らしを語り合えるのは,年齢に差が有ったとは言え,共通する環境に育ち,重なっている記憶も少なくない弟と私の二人しか無かったし,知性や感性の上でも共通する点が多かったので,気持ちの通じる相手だった。昨日の広島「原爆の日」に続いて今日は父の命日でもあるのだけれど,弟も亡くなった今,過去を語り合う相手はいなくなり,遠からず私も逝けば,全ては消え去って行くことになるのだろう。

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有漏(うろ)の身の知る由もなき無漏の路 いづこより来ていづこにや往く
いざよひ
2018/08/08 19:37
有漏多き路にはあれど過ぎしかば 願ふは無漏の補陀落への旅
返し
2018/08/10 19:36

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