この命

 最近,髭を剃らなければならないと思いながら,気がついてみると何日も剃らずに過ごしていることが有る。加齢のためか暑さのためか食欲が出ず,体力も衰えているのに,髭だけは,ちょっと手を抜いていると見苦しく伸びてしまい,かえって手が掛かることになる。人は死んだのちも暫くの間,髭は伸び続けるというから,これだけは避けられないことなのだろうか。
 「身ぎれいにする」,「お洒落をする」必要を感じることが少なくなっている。外出する機会が減り,他者との関係が希薄になるに伴い,他者,特に異性に対して自分を飾ろうとする気持ちが薄れてくる。齢を取ればなおのこと相応のお洒落を心掛けなければならないのだろうが,それが面倒だし,経済的な余裕も無くなってくると,身なりに掛ける支出はできる限り少なくしようという気持ちになっているということも有る。
 原因はそれだけでは無さそうだ。体力が衰え,何をするのも面倒で,手を抜くことが多くなり,時間が有れば横になるなど,少しでも体を休めていたい。といって,横になってばかりもいられない。妻ならずしも,生活必需品を購入するために出掛けなければならないことも有るし,ちょっとした文章を書いたり,生計の記録を残したりするために,ワープロやパソコンに向かう時間も必要だ。楽しみだって少しは欲しい。
 生きて暮らしていれば,最低限の避けられないことは有るけれど,この齢になって今,私が生きているということにいったいどれだけの意味が在るのだろうかとも考えてしまう。自分が生きているということに意味を見出そうとしたときも過去には有った。だが,今では,何のために,誰のために生きているのか,その意味を見つけるのが難しくなっている。人間社会で生きていればこそ,身だしなみや健康の維持も必要になり,食欲が無くても食事は欠かせないし,病気になれば治癒の努力をしなければならない。辛い思いをしてまでどうして生きていなければならないのか。かといって,世間や家族に迷惑を掛けたくないと考えれば,自ら死を選ぶわけにもいかない。
 「死ねぬなら死ぬまで待とうこの命」「死ねぬなら天に任せるこの命」,と独り呟いている。

この記事へのコメント

いざよひ
2018年09月04日 20:08
老母ありその子命のよすがなる 老父孤にして命に従ふ
返し
2018年09月06日 20:59
脛細り足腰弱る老父なり 杖を頼りに歩むこの道

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