楕円の世界

 「(二十四歳で武田泰淳氏の『司馬遷』を読んだとき)わたしの世界は、わたしの価値観とはまったく無縁な価値観を持つ<他者>がもう一つの<中心>を支配するところの、楕円形となっていることを知った」。後藤明生(1932.4..4~99.8.2・作家)が書いている『円と楕円の世界』(「文芸」1971年2月)の一節を思う。
 後藤氏の文章をもう少し詳しく引用すると,「喜劇は、ドン・キホーテと風車との<関係>であって、なぜならば風車は、べつにドン・キホーテの突進を受けるためにそこに存在していたわけではないからである。作者の目はまさしくその<関係>に集められているのであり、それはドン・キホーテと風車とを対等に見る目だ。上下はもちろん、どちらが美でも醜でもない。しかもその両者は、異なった二つの世界に属するものではなく、同時に一つの世界に存在する二つの中心である以上、もはやそこに描かれる世界の形は、唯一つの中心によって決定される<円>ではあり得ない。いうまでもなく喜劇的に変形された<楕円>形の世界であって、同時にそして対等に存在する二つの中心は、互いに価値観を異にしつつ実在している、客観的<他者>にほかならない」。
 後藤氏が言うのは文学に関する問題だが,このことは,現実の社会においても,他人のみならず,夫婦の間であろうと,親子の間でも,全ての<他者>との人間関係について言えることではないかと感じるのだ。人は本来,自己中心的な存在で,「対等に存在する二つの中心は、互いに価値観を異にしつつ実在している」。そして,その価値観の相違は,齢が加わるとともに,自己主張が強くなるに伴って顕著になるものだ。そのとき,文学の世界とは異なる現実の社会では,自分だけを中心とした円に固執するのでなく,二つの中心とそれを囲む円周との距離の差によって造られる楕円の形状をどうするかを問題にしなければなるまい。しかし,近年の私の場合,そのことが解っていながら,自己中心の円に囲まれていることが多くなってきている。

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この記事へのコメント

いざよひ
2019年05月22日 21:24
五月晴れ若葉のかほり満ち満ちて ゆらりそよりと風に乗るらし

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