人同じからず

 「年年歳歳花相似たり」と古来言うように,毎年,多少の違いは有っても,同じように季節は巡って来るけれど,私の齢になると,一年の差が大きく感じられて,「人同じからず」とは私のような老齢の身を言うのではないかと思われる。
 去年の夏は食欲が落ちていて,あとで健診により胆管結石が見つかったので,それが原因だったのかと思ったことだが,今夏は,飲食物が喉を通りにくくて食が進まないことが有る。唾液が飲み込みにくくて咄嗟に言葉が出せない場合も有り,嚥下力が落ちているように感じたので,誤嚥が案じられ,念のために診てもらったところ,内視鏡の検査では咽喉内部に異常はなかったものの,よく噛んで,気を付けて咀嚼するようにと言われた。3か月ごとに受けている前立腺,肝機能の定期検査の結果も順調で,要は,全体的に筋力が老化してきているということのようだ。
 義歯のせいで噛む力が弱まっていて,特に繊維質の食物は咀嚼しにくく,おのずから食欲も低下しがちで,歳が経つごとに老衰が進んでいると痛感する。
 足腰の力も衰え,体を動かす作業には気が進まない。体が使えなければ,せめて想念だけはフルに働かせたいと思うけれど,まだ認知機能の衰えとまでは行かないと思うものの,前向きな「創念」は進めがたい。体を憩めたくてちょっと横になると,すぐ眠くなってくる。晩年の母が,元気に庭仕事をしていると思っていると,いつの間にか横になってテレビを見ながらうとうとしていたのを思い出す。
 近年,テレビや新聞を通して高齢者を対象にした各種のサプリメントの宣伝広告が盛んだけれど,いくら寿命が延びても,老衰に効く薬や治療法が有るとは思えない。私と比べればまだはるかに元気そうな妻でも,最近は,自分の衰えを私の様子と重ねて感じることが有るようで,二人の将来の暮らしを危惧するのか,ときに苛立ちを見せるようになって来ている。
 これから本格的になるであろう猛暑の季節を今年はどう乗り切れるのか,楽な生き方はできないものかと,朝を迎えるたびに思うことだ。

My PC履歴

 ブログを始めてから13年になる。それ以前にホームページを開設した時期から数えると20年を超えることになるから,私のパソコン歴もかなり長くなったものだ。その間の事情について触れている記述が在るので,現在の思いにつながるところも有り,一部再録する。
 「このブログの冒頭の紹介で『日々の主な行動の記録と,言葉を尽くした随想や論考,Photo,Songなどは,ホームページで別に掲載しています』と書いているけれど,これは,ブログを始めた時点での記述で,9年前のことだ。それ以前の文章をホームページに保存しておいたという事情もある。今では,『言葉を尽くした随想や論考を記述することも少なくなり,ささやかな自己表現はブログで間に合う。『Song』はもう長らく作っていないし『Photo』も,もともと写真としての価値が有るものではなく,折々の情報のつもりでブログに掲載するだけにしている。それでも,一昨年(13年)までは,年が改まったところで,前年のブログに記載したものの中から残しておきたいものを選び,内容によってはジャンル別に分けていた従前の形に合わせてホームページのほうに収録していた。(中略)しかし,その手数も煩わしくなり,2013年分からは『日々の思い』として,内容に関わりなく日付順に羅列しただけで終わっている。」(2015年2月「『ブログ紹介』注記」)
 「パソコンを開けると,『ドライブの容量が少なくなっています』という警告が表示されるようになっている。使い続けて10年近く経つパソコンで,私なりに多様なデータを入れているので,(中略)そろそろ限界にきているようだ。OSも4世代ほど前のものなので,バージョンアップするよりは,この際,新しいOSの入っている機種に換える時期ではないかと考え始めている。視力の低下が進む状況の中で(略)機器の限界は,私自身のパソコン利用の限界でもあり,そろそろ諦める機会かもしれないとも思うけれど,私にとって生きている証しの一部のような営為になっているパソコンから離れてしまう決断もまだ付きかねる。」(2016年4月)
 (その後,新しいパソコンを購入して)「目下,私の机上には,新旧2台のパソコンが並んでいる。引越し可能な設定やデータなどは移行し終えた。(略)しかし,前のパソコンで作成した自分のホームページを更新しようとしても,webサイトからのダウンロードが思うようにならない。(作り直した)ホームページのトップページでは,『後半生のまとめとして,(1998年以来)1冊の本を編むような気持ちで,書いてきたことを整理しておきたい』と記しているけれど,これまでに作成したページを見ることはできても,今後も継続して記事を入れて行きたいという思いは叶えられない。(略)また,このブログを書いていく上で,これまではワープロ専用機を使って書いたものを,変換ソフトでパソコンに移してきた。できる限り意に叶う文章にするためには推敲もしたいし,そのためにはやはりワープロ専用機が使いやすく,パソコンに直接入力するのは書き辛いので,私にとっては欠かせないことだったのだが,今のところwindows10に対応した変換ソフトが見つからない。」(2016年5月)
 その後,昨年はキーボードによる文字入力の機能が不調になり,最近になって今度はマウスの操作が思うに任せなくなった。前者はスクリーンキーボードを併用することで,後者は当面マウスを買い替えるまで画面へのタッチ操作で凌いでいる。視力も指先の感覚も衰えてきているので,作業がスムーズに進まないもどかしさも有るけれど,これまで使うことの無かった機能を新しく経験しているわけで,人生いつになっても新しい経験の連続だと思いつつ,まだ諦めないでいる。

「資産寿命」?

 寒の戻りとやらで冷え込みの厳しい日が有ったかと思うと,5月というのに真夏日になったり,体調が調わず,過ごしにくい日を送っているうちに,庭の樹木や草が急に勢いを増してきた。これまでなら日数を掛けてでも独りで何とか処理をしてきたのだが,脚立に上がって高い枝を伐るのが自分でも危うく感じられるようになり,この齢になると1年の間に老化が進むのも速いと思い知らされる。隣県で暮らす息子が私の身を案じて手配してくれた知人に,体力を要する部分は1日で処理してもらったけれど,雑草引きまでは手が回っていない。
 幼いころ一緒に暮らしたことのある母方の祖母が呟いていた「子を見りゃ荷が重い」(若い人の姿を見ると労力の要る仕事はつい代わってほしくなる)ということわざを思い出した。民俗学者の宮本常一が「家訓の島」と呼んだ所で,老人たちは村に伝わる俚諺を事々に口にしたものだが,まさに子が手を差し伸べてくれた途端,すっかり気力を失い,「万事お任せ」したくなっている。
 雑草と言えば,ちょっと手を抜いているとすぐ伸びてくる不精髭と同様だ。体力が衰えると気力にまで影響して,電気シェーバーを使う髭剃りでさえ最近は億劫になり,古くなったシェーバーでは,伸びるとますます手が掛かる。
 「平均寿命」の延びた時代だが,人によって「健康寿命」には限りが有るし,最近は「資産寿命」という言葉も生まれているようだ。人生100年時代に向けて,平均寿命が延びる一方,年金支給額の維持が難しくなり,政府は,老後の生活費について,「資産寿命」を延ばすよう,国民の「自助」を呼び掛けるという。
 政府は「生涯現役社会の実現」に向けて認知症の予防促進目標を掲げるなど,対策を強化する考えのようだが,その一方で,5月17日の厚生労働省の発表によると,働く高齢者の増加に伴い労働災害が増えているという。加齢とともに,視力や聴力,バランス保持能力等の身体能力が低下していくことに因るもので,「生涯現役」の当然の結果と言えよう。「労災」に限らず日常の暮らしの中でも事故は増えるに違いない。
 齢を取っても元気なうちは働けと言われてもそう簡単ではない。老いてこの先「資産寿命」を今さらどうやって延ばすことができるのか,その対策は政府自体が考えなければならないことだろう。長生きをめでたいことのように言いながら,社会の現実は高齢者の生活へのしわ寄せが多くなるばかりではないか。高齢者は長生きだけを願っているわけではない。「姥捨て山」の時代ならずとも,何事も自力で叶わなくなれば,老いの苦しみに耐え周囲に迷惑を及ぼしてまで無為に生きていたいとは思わない。高齢者が安心して生きられるよう,政策として高齢者援護をさらに強化できないのであれば,むしろ,「高齢者自死援助法」でも制定してほしいところだ。
 間もなく本格的な梅雨期に入る。夏に向かって生きる辛さも増すことだろう。去年は越せたことであっても,今年はどうか,分からないことだ。