「老衰」総括

 体力とそれに伴う気力の衰えについて,このところ同じような「ぼやき」を繰り返し書いている。「ぼやき」も度重なると単なる愚痴に過ぎないことになる。読む人も鬱陶しいことだろうし,自分でも言うのが厭になってくる。このへんで,具体的な情況を総括していったん終わりにしたいと思う。
 要は,暮らして行く上での思いが現実の行動につながらないということだ。頭の中では処理したいことのあれこれを思いながら,行動を起こせないでいるもどかしさが有るのだ。少しでも体を楽にしていたい気持ちが先立ち,朝,目が覚めていても,起き出す気力がなかなか起こらず,朝食を終えて日常の作業に移れるまでに3時間近く掛かる。また,当面気に懸かっているのは,夏と冬と年2回を目途におこなっているガスレンジのフード換気扇と部屋ごとのエアコンの掃除だけれど,近年は高所に上がっての作業が体力的に辛くなってきている。
 体力を衰えさせてはならない,体力を付けなければならない,と思いながら,食べたい物を思いつかない,食べようという気持ちが湧かないので,食事を負担にさえ思う。まして,みずから献立に携わらなければならない立場になれば,その負担はより重く感じることだろう。
 少し読み書きを続けると,すぐ目が疲れて瞼が重くなる。眠っていると,書きたい言葉が次々と湧いて来るのに,目が覚めると,細部が思い出せず,まとまった文章にならない。視力の衰えとともに読み書きすること自体が辛くなりつつある。
 今年も,年に一度の高齢者の健康診査を受けてきたところだが,検査項目に限っては今年はまったく問題が無く,「元気だ」と言われたけれど,前述のような状態は多かれ少なかれ老人に共通していることであろう。横で見ているだけでは解らない「老衰」の現れにちがいない。
 私がブログを綴る気持ちの中には,単なる自己表現欲だけでなく,戦中戦後を生きて,今,高齢者時代に向き合っている人生の先達として,あとから来る世代に,まだ経験の無い高齢者の思いを知っておいてほしいということも有る。もっとも,知らないほうが良いことも有るかもしれないが,やがてそのときが来たときに思い当たることも有るにちがいない。

この記事へのコメント

いざよひ
2019年07月07日 19:38
見ぬ人のかもす心の色に惚れ 染まりて返す言の葉二百