老いの実感

 「自分が老いたと思う。それが日々実感される」と,9月4日付「朝日新聞」の『終わりと始まり』で池澤夏樹氏が書いている。常は,池澤さんの社会批評的な穏やかで厳しい感想が述べられる欄なのだが,今回は,「(ぼく個人の)愚痴ないし繰り言と聞き流していただいて結構」と文中で断わった上での文章だ。
 老いた「実感」の内容は,「身体能力が少しずつ失われる」ということを,「食物として入ってくるエネルギーを活動に変える機能が低減する」「足元がおぼつかない」「視力が落ちる」「小さな字が読めない。振り仮名の濁点と半濁点の区別にルーペが要る」「小さな字が書けない」等々,日常の具体例を挙げながら記している。
 「身体能力が足りないからエネルギーを節約する。つまりすべてにおいて横着になる。すぐにしなくても済みそうなことはさぼる。身辺が散らかっていわゆる汚部屋に近づく」「不義理が増える。メールの返信が遅れる」などとも書いている。
 池澤さんはまだ私より10歳は若いはずだけれど,老いて感じることは私が10年来書いているのと変わらないようだ。ということは,他の多くの老人も大同小異の状態であるに違いない。
 「しかし社会の高齢化というのはつまりぼくのような老人がどんどん増えるということである」「新しいシステムは若い人が作る。それを次々に覚えて使って遅れないようにする。四十代の友人が、今はまだいいけれど六十代になったらたぶん追いつけないと語っている」「社会の平均年齢が年々上がる。若い世代を準備しなかったのだから当然である。我々は商業資本とテクノロジーが提供する目の前の悦楽にうかうかと身を任せ、出産・育児・教育という投資を怠ってきた。国の無策は今さら言うまでもない」「(いずれ退場する身としては)若い人に席を譲ろう」と,池澤さんは締めくくる。長々と引用したが,すべて共感することばかりだ。
 しかし,池澤さんにしろ,私にしろ,今となっては為すすべも無いが,若いときは有ったのだ。今の若い人もいずれ老人になる。このまま国の策に任せて流されていては,老いて同じ思いをしなければなるまい。そのことを池澤さんは言いたかったのではなかろうか。「年下の諸君、幸運を祈る」という結びの言葉は,「幸運」ではなく,実は「奮起」を促しているのだと思う。例えば,香港の若者たちのように。

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この記事へのコメント

いざよひ
2019年09月07日 19:51
いささか戯れ歌一首
歳ふればまろびにけりないたづらに 月をながめて帰る道の辺
岡目七目
2019年09月08日 20:15
深読み勝手解釈 「いささか戯れ歌」とは何か、しばし考えましたが多分、「ふれ」「けりな」「いたづらに」「ながめ」で連想されるのは小野小町の<花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに>ですから、4文字も本歌取りをしたことに心苦しさを感じて、パロディーですよとの断り書きでありましょうか。とまれ、転倒して骨折しないよう注意することが肝要です。骨折入院寝たきりと続きますから。