葬送の形

 私が突然死んだとき,私が専ら処理してきたために,遺された家族が分からないことが有って困惑してはいけないと思い,思いついたことはできるだけ書き残すようにしている。一方,家族で話し合って処理できることであれば,遺った者に任せれば良く,「遺言」というような改まったものにする必要はないと思っている。「遺言」などとは所詮,死んで行く者の願望に基づいた情緒的で感傷的な所為に過ぎないとさえ思う。
 しかし,それよりも,死んだあとの当面の事務的な処理で戸惑うことが有るのではないかと,気に懸かり始めた。病院で死んだ場合の事後処理は病院の指示に従えば良いとしても,葬儀業者・斎場に頼まなければならないこと,檀那寺との連絡・打ち合わせ,関係役所への届け出等だ。私が家族に先立つとは限らないけれど,それならそれで,喪主として私が早急に果たさなければならない作業の内容を予め確認しておく必要が有る。母が亡くなったとき一度は経験したことだが,その後,10数年の間に,社会の高齢化が進んだせいも有ってか,葬儀の形態など世情も変わったし,私も齢を取って忘れてしまったことも少なくないので,復習しておかなければならないとも思うのだ。斎場の選択肢も増えた。
 まず,遺体をどこに安置するか,いったん自宅に連れて帰るか,斎場に直接移すかという情況判断が有る。いずれにしても,湯灌や納棺など,いわゆる「送り人」の世話にならなければなるまい。近年は,葬儀の形態もいろいろ有るようで,私自身のことであれば,遺族の負担を少なくするためにも「直葬(火葬式)か「一日葬」で十分だと思っているけれど,家族が逝った場合,連れ合いのほうの親族の気持ちも有ろうから,せめて「家族葬」の形は採りたいと思う。その際も通夜は斎場で行うとして,そののち宿泊できる場が有ることを斎場選択の条件にしなければなるまい。
 これまで書き残してきたのは,私の死後の生活につながる後始末に関することが多かったのだが,その前に慌てて処理しなければならないこともいろいろ有ることが気になり始めたのは,それだけ近い将来のことに感じるようになったからだろうか。私自身は,いつ逝っても未練を残すことは既に無いけれど,残された家族がどうするかということはやはり気に懸かるし,逆に私が残った場合,まずは葬儀を万端滞りなく処理できるか,自信が持てなくなってきているのだ。

関連:「往生」のとき https://shog.at.webry.info/201702/article_6.html

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この記事へのコメント

いざよひ
2019年10月04日 20:02
草枕旅の衣をととのへむ 死出の山路を越えまくあれば
JR奈良線
2019年10月06日 01:12
長生きして下さいね
shog
2019年10月06日 10:25
JR奈良線さま
どなたか分かりませんが ありがとうございます。