取り残される思い

 例年のことだけれど,年頭を控えて,喪中欠礼の挨拶状が届く時期になった。しかし,同年配の知己からのものは年々減ってきている。賀状を送ってくる当人が既に世を去って少なくなっているのだ。今送られてくるのは,故人と私との交流を知るごく限られた家族か,私より若い世代からの家族の訃報に関わるもので,型通りに印刷されたはがきを見て知るだけで終わる場合がほとんどだ。
 それよりも,賀状とは関わりの無いところで,私と年齢の前後する知名人の名を思い起こして追憶の念を深くすることのほうがはるかに多い。この1年で,市原悦子(1月12日=82歳),降旗康男(5月20日=84歳),金田正一(10月6日=86歳),和田誠(10月7日=83歳),八千草薫(10月24日=88歳),眉村卓(11月3日=85歳)等々が亡くなった。発表されている死因は肺炎,がん,心不全などそれぞれだが,70代60代と違って,共通するのは身体機能の老衰によることだと思われる。
 私も,いつお迎えが来てもおかしくない年齢になっている。「身体が動かない、好きなものが食べられない」と,大竹しのふさんが,昨年96歳で亡くなった母親の江すてるさんの晩年を書いていたけれど,その齢になるまでにはまだ間が有るとは思うものの,齢にかかわらず,私自身が最近同じことを痛感している。好きだったものでも,魚介類や繊維質の食品など噛みしめたり飲み込んだりする手間が掛かり,食が進まない品が増えるばかりだ。私の食欲が落ちるのを気に懸けて,美味しそうなものを常々届けてくださる人が在るのだけれど,それすらが,戴こうとすると負担になる場合も有るようになってきている。

今年の大相撲

 大相撲一年納めの九州場所が横綱白鵬の4場所ぶり43回目の優勝で終わった。しかし,将来角界を担うであろうことが期待される若手の台頭が楽しみではあるものの,横綱と優勝を争うべき上位力士の不振が寂しい。
 この1年間の役力士の休場が,途中からのものを含めると延べ10名(昨年は18名),幕内力士の合計では30名(同30名),延べ日数だと263日(同216日)に上り,初場所には横綱・稀勢の里が途中で引退を決めている。
 早大教授(スポーツ倫理学)友添秀則氏によると「オーバーワークですよ。興行化、商業主義の影響がケガとなって表れている」「力士にも人権という視点を入れる必要があるし、力士の『働き方改革』をやっていかないといけない」「これだけ休場者が出ると大相撲の存立が危うくなってくる」ということになる(11月16日付「朝日新聞」)。巡業日数の抑制,公傷制度の復活なども一考の要が有ろう。
 「働き方改革」のみならず,一般社会並みに「パワハラ対策」もさらに厳しくしなければならない情況が今年は続出した。
 私が子供だったとき,ラジオで野球と歌謡曲を聴くのが楽しみだったことはこれまでも何度か書いたけれど,大相撲も楽しみの一つだった。それを映像で視ることができるようになって楽しみは増した。今年は,その中でも名力士と言える豪風,安美錦,嘉風が相次いで土俵上から去って行った。私の生きる楽しみがますます少なくなっていく。

これでお別れ

 冬が来て,今年の野球シーズンが終わろうとしている。中学生のころから「1年に1冊,B5判50枚1ページ30行のノートに自分で線を引いて,プロ野球だけでなく,大学,高校,社会人,全ての公式試合の記録を残すようにしてきた」けれど,今年を最後にしようと思い定めたことは先日記した(10.30「気力喪失」)。未練がましいようだが,70年続けてきたことの見本として最後の年の最後の記録を転記しておこう。
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 【プロ野球日本シリーズ】10月19~23日 セントラルリーグ・巨人対パシフィックリーグ・福岡ソフトバンク第4戦 10月23日 球場=東京ドーム ソフトバンク(投手=○和田,スアレス,嘉弥真,甲斐野,モイネロ,S森 安打8) 4対3 巨人(投手=✖菅野,中川,デラロサ 安打6) 本塁打=グラシアル(ソフトバンク),岡本(巨人) 福岡ソフトバンク優勝4勝0敗
 【第45回社会人野球日本選手権大会】10月25日~11月4日 球場=京セラドーム大阪 決勝戦 大阪ガス(投手=阪本 安打9) 4対1 日本生命(投手=本田,高橋拓,阿部 安打7)
 【第50回記念 明治神宮野球大会】11月15日~20日 球場=神宮球場 決勝戦
大学の部 東京六大学・慶應義塾大(投手=高橋祐 安打9) 8対0 関西学生・関西大(投手=森,肥後,高野 安打3)
高校の部 東海地区・愛知・中京大中京(投手=松島,高橋宏 安打9) 4x対3 関東地区・群馬・健大高崎(投手=橋本拳,桜井,長谷川 安打7)
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 今年で最後にする理由は,前記の記事でも書いたように,年々視力が衰えて細かい字の読み書きが難しくなってきたからだ。先日も新聞の天気欄を見て「ギュッと福の詰まった」と読んで,等圧線の「幅」の読み誤りに気付いたという例も有った。左右の視力に差が生じてバランスが悪くなり焦点が合いにくくなったこともあるかもしれない。特に画数の多い漢字だとルーペを使っても確認し辛い。野球の記録も,近年は選手の負担を減らす目的で1試合に登板する投手の人数が増え,狭いスペースに多くの名を書き込まなければならず,限界に達しているという事情も有る。
 「これで最後」と思うことは他にもいろいろ有るけれど,ワープロ機能を使って文章を書くことだけはまだ暫く続けられそうで,それが救いになっている。

あの頃じゃない

「取り残された俺はダセーよ」
「金も女も仲間も全部上手く行かねえ いつまで耐える?」
「時間は経った 誰かとかの下にだけは付きたくなかった」
「たまにはッて逆に言う くたばりな」
「何も無かったあの頃じゃない」
「燃え尽きた時 俺は辞める」
「兄貴が富士山に立った 俺は出なけりゃ良かった あの景色見たらもう前に進むしかねえ くだらねえ迷いはもう踏み潰したぜ」
「この想像の上 現実と夢 狭間を埋める 自分に言え 必ず出来る あの頃じゃねえ 一番強えのは今だぜ」
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 いささか古い話題だが,「第2回NHKヤングラップバトル」(2019.7.28)にゲストとして出場した般若のパフォーマンス『あの頃じゃねえ』から歌詞の一部分を抜き出した。8月22日の「BSプレミアム」での放映を録画してあったものを今になってゆっくり視る機会ができた。
 もはや40歳を越える?般若としては,バトルに挑むヤングを励ますメッセージの気持ちが有ったのかもしれないと思うが,「毎日挫折」の末に「やっと出したアルバム」,「何も無かったあの頃じゃない」「一番強えのは今だぜ」という歌詞にはラップだけの世界に限られない「人生」が在る。そんな「人生」を既に通り越した年齢の私にも活を入れられる気がするけれど,私はもう「燃え尽き」ている。
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 今年の夏は,異常気象の影響も有ったのか,同じ自治会の中でも私と同年配の人たちの何人かが亡くなった。昔,自治会や小学校の育友会で力を出し合った仲間だが,自治会でも高齢化が進み,老人世帯では誰かが亡くなっても斎場での家族葬だけで済ませることが多くなり,何か月も後になってから知る場合が増えている。

「見出し」の巧拙

 新聞に目を通していたとき,離れて覗いていた妻が「2分では火災は消せないでしょう」と言う。何のことかと思って見たら,私が読んでいた朝刊の第一面(11月7日付「朝日新聞」)に「スプリンクラー対応二分」という見出しが有った。首里城の火災でスプリンクラーが未設置だったことに関連して,消防法の規定では設置義務は無く,「誤作動で所蔵する文化財を傷める恐れがあるため」などの理由で,法隆寺,二条城,彦根城にも設置されていないのに対して,姫路城では「消失すると取り返しがつかない」という意見が強くて約1千カ所に整備されているという。そこまで読めば,文化財によって対応が二つに分かれているという意味だと解る。「ニフン」と読むか「ニブン」と読むかで意味が異なってくるのは,私が先日載せた「ゴミの分別」の中で「ブンベツ」と「フンベツ」と二つの意味に使い分けたことを想起するけれど,新聞報道の見出しとしては言葉足らずで,妻の咄嗟の誤解も無理の無いことだ。
 意味の解りにくい見出しでは,5日付朝刊のトップ記事も気に懸かった。「庁舎電力 大手『取り戻し』」と「都道府県・指定市 新電力から」と2行に分かれたものだが,助詞の省略が多いので,見出しだけでは「電力会社大手が,新電力会社から,都道府県・指定市の庁舎で使用する電力の調達先を,取り戻している」という意味が伝わらない。
 新聞の見出しは,スペースの制約が有る中で記事の内容を短い言葉で的確に表し,読者を記事の中身にまで引き入れる,重要で難しい役割を担っている。私は,多くの紙面に目を通して比較しているとは言えないものの,近年,その質が低下しているように感じることが有る。大学入学共通テストで「国語」に記述問題を採り入れようという案が検討されているけれども,「見出しの作成」を出題するのも一案かもしれない(採点方法などは別の問題として)。さらには,政治家の基本的な資質を見るのにも役立つのではなかろうか。

現代「ミーハー族」

 「ミーハー」という言葉が,「みいちゃん はあちゃん」という昭和初期の流行語が元になって,後年,新しいもの好き,流行かぶれの若者を揶揄する気分で使われたのは,既に6~70年前のことだと思うのだが,近年,インターネットの普及に伴い,メールやブログ,ツイッターなどで絵文字が盛んに使われているのを見ると,現代の「ミーハー族」だと言えそうな気がする。私の同年配ではさすがに少ないけれど,若者でなくても,30代40代の人の書いたSNSなどでも,絵文字が溢れていて,むしろ漢字やかなを使ったほうが分かりやすいのではないかと思われる部分さえ在るくらいだ。これでは,深い思考や行き届いた気持ちを表す文章を書くのは無理なことで,読書離れが進んでいるというのも当然のことだと感じる。加えてスマホの流行で,50代以降の中高年でも,特に女性の間でインターネットを利用したコミュニケーションが増え,その場で絵文字が盛んなのは,まさに,現代の「ミーハー」は流行かぶれの「ミーばあちゃん,ハーばあちゃん」だと思えてくる。
 もっとも,どんな形であれ,日常の人付き合いの上で文章によって気持ちを通い合わせるということは,これまでそういう交流が少なかった世代にとっては悪くないことだと思うけれど,疑問に思うのは,政治家が自己主張をするためにツイッターを濫用することだ。政治家は社会に対して自分の考えを行き届いた言葉で伝えることが重要であるはずだが,型にはまった決まり文句や,その場の思いつきだとしか思えない発言は,絵文字を混じえてツイートするのと変わりない行為で,そこでは言葉があまりにも軽い。古来「文は人なり」というけれど,安易に言葉を弄ばないほうが良いのではなかろうか。自分の言う言葉の意味を吟味すること無く,軽い気持ちで社会に向き合う政治家の「ミーハー族」はお断りしたい。