ねばならない

 私が長年の勤めから退いたとき,母が「これで安心した」と言っていたと妻から聞いた。私は,自分の仕事に責任を感じていて,私的な事情で仕事を休むことはできないと常々漏らしていたので,その仕事を辞めたことで,当時既に90歳に近かった高齢の母としては,「これからは自分に何か有っても万事息子に頼ることができるという安心感を持っていける」という意だ。そのとき母はまだ元気で,私も傍らで共に暮らしていたのだけれど,それだけに母は,息子の仕事の邪魔になってはならないという緊張感を持って暮らしていたのだと思う。母はその後も96歳で亡くなるまで元気に過ごしていたし,私も特に責任を感じずに済む仕事を続けることができた。
 今は,私自身がいつまで元気でいられるか自信が持てず,いつ不慮の事態に陥るか予断のできない年齢だ。妻との老老暮らしだから,私の身に何か有ったときは,これまで世帯主として処理してきたいくつかの書類や諸々の公的な手続きをはじめ諸税・料金の支払い等,遺された者が戸惑うことも多々有るかもしれないと案じ,そのときに備えて具体的に分かりやすいよう書き残しておかなければならないと考えて,これまでに用意はしてきている。加えて,今年度は居住地の自治会の役の一端を引き受けているので,預かっているものも有り,それも,いざというとき,引き継いだ人にすぐ分かるようにしておかねばならない。
 しかし,最近の私は視力が衰え,細かいことを書き遺そうと思うと,手書きをするのは辛いので,機械に頼らなければならないのだけれど,私的に立ち入った事柄を他人の目に触れる可能性が有る所に遺すわけにはいかないから,ワープロで打って文書ファイルとして保存している。ところが先日,上書きする必要が有ってその保存文書を開こうとしたところ,フロッピーが開けない事態が起こった。機械ではたまにそういうトラブルが生じるから,新しい書き込みをした場合,その都度バックアップを取っておくか印字しておくかしなければならないのだが,つい怠ったときに限って困ったことになるものだ。
 「(炊飯器の)米の炊き具合を調節するダイヤルが『やわらかい』で固定されたまま反応しなくなり、」「15年もがんばってくれた強者です。もう引退してもいいのではないかと、感謝の気持ちを込めて磨き、リサイクルセンターに持って行きました。/外食の機会が減り、より出番の増えた炊飯器です。家電メーカー各社の新製品のチラシや、ネットの口コミなどをじっくり読み比べ、これだと思う一つを決めました。/革命です!/炊き立てのごはんはこんなにも心安らぐ香りだったのか。米とはこんなにも甘く奥深い味だったのか。」「前の炊飯器も当時の最新型で、かなり高性能のものでした。」「しかし、15年です。パソコンやスマートフォンの進化は、機械に疎くても毎年のように実感しているのに、炊飯器については、考えたこともありませんでした」と,湊かなえさんが7月29日付「朝日新聞・夕刊」の随想欄に書いている。
 私のワープロは1998年製だからそれ以上に古い物だ。しかも,使ってきたワープロ専用機は今は作られていない。人も機械も加齢とともに機能が衰え,やがて消えていくものだと覚悟しておかねばなるまい。

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この記事へのコメント

いざよひ
2020年08月03日 21:29
あすなろの生ひや繁るも口惜しき つひに成らぬにゆかねばならぬ