老いる苛立ち

 過日、長年使ってきた1998年製のワープロで打ってフロッピーに保存していた文書を開こうとしたところ,開けない事態が起こったことを記した(8月2日「ねばならない」)。機械が古くなるとそのようなトラブルが生じることが有る。ワープロに続いて,キッチンの壁に掛けてあった電波時計が動かなくなり,電話機の通話が子機に届かなくなるということも起こった。Wi-Fiルーターの機能にも衰えを感じる。いずれもかなり古い製品なので,この際思い切って買い替えることにした。ついでにOSのサービス期間が切れたまま放置してあったパソコンをメーカーに引き取ってもらい,部屋の隅に積んだきりだった古いプリンターや電話機も廃棄して,久しぶりに部屋にいささかの余裕ができたところだ。
 機器だけでなく,使う私のほうもかなり老化が進んでいると感じることが最近増えてきている。高齢化による衰えは,言わば障害者と共通する不自由な状況だと言えよう。視力が衰えて細かい字の読み書きが困難になり,聴力の衰えでテレビの音声が聞き取りにくい。高い所に上がらねばならない作業は危なっかしいし,低い所に屈むのも負担を伴う。身体的障害の面も増えれば知的障害と言えそうな事態も起こる。障害者の援助は何年も勤めてきた経験が有り,「障害は個性だ」と言われるように,恥じることは何も無いと思っているけれど,これまで自分で可能だったことができなくなると,焦りや苛立ちが募るときが有る。
 床に落ちている小さな塵埃は目に入らないから自分では気に懸からないで済むのだが,掃除機を動かすのは疲れるし,暮らしの中で出る雑物の廃棄や老朽化した家屋のメンテナンスとなると,なかなか実行に至らない。知的な面では分別,整理整頓が怠りがちになる。
 そろそろ他者の支援,介護に頼らねばならないことも有ると思いつつ,かつて自力で可能だったレベルを求める気持ちが残っていると,他者に要求するレベルも高くなり,満足する域にはなかなか達しない。自分が当面している事態は自覚しているにもかかわらず,他者にそれを指摘されたくないという気持ちも残っている。気持ち良く老いるというのは難しいことだと痛感する日々である。