「老人心理学」序

 他人と触れ合う機会の有る仕事が全て終わり,自宅に籠っているだけの暮らしになって旬日が経つ。老眼鏡や義歯を作り替えてみたけれど,期待していたほどには役に立たない。視力の衰えに対してはルーペに頼る程度の補いにしかならないし,義歯も自分の歯を使うのとは程遠い効果しか期待できない。長年の会社勤めから退いて自宅で家族に疎まれながら茫として過ごしている人はこんな気持ちなのだろうかと想像する。
 私が停年を前にして自ら職を退いたときは,自分でしたいことが有ったから,茫としている時間は無かったし,家事雑用や趣味のために費やす体力も残っていたけれど,今は,気に懸かっていることは有ってもなかなか体が動かない。3か月に1度の定期検査に出掛けるか,理髪店に行くほかは,体に負担を感じて外出するのも気が進まない。
 「老人性鬱」と言われる症状が有るようだけれど,老人の「鬱」は,変化や刺激の乏しい「老衰」がもたらす暮らしによる結果であり,「コロナ禍」からの自粛生活もまた同じではなかろうか。そう考えると,体力が残っているにもかかわらず気を紛らわせる手段を持たない人たちが外へ出たがる気持ちも解るような気がする。その一方で,情況の変化に適応できない人たちが情緒不安定におちいるのもまたやむを得ないことではないか。そういう「鬱」を防ぐには,話し相手やペットを持つことが有効で,趣味もまた役立つと言うけれど,それも当人の性格や情況によることだ。
 「老い」を知らない者が「老人心理学」を説いても空論になりがちであるのと同様に,諸々の「鬱」をもたらす要因を体験していない人たちが病的な「鬱」を論じたところで真の解決には至らないと思えてならない。私が今求めるのも,同等なレベルで語り合える相手だ。