墓参事情

 隣県に住む息子が車で迎えに来てくれて,彼岸の墓参を果たしてきた。
 わが家の墓所については,昨年3月に書いた記事「墓園での会話」と重複する部分が有るけれど,もともとは四国の山村に在って,長年,祖母が独りで守っていたものを,1954年に祖母が亡くなってのち,時代とともに,その地で暮らしていた親族縁者もしだいに村を離れ,われわれが帰る家も機会も失われてしまったので,本籍を現住所に移すとともに,私鉄で2駅ほど先の霊苑に遷したのが,元号が平成に改まる前年のことだった。そのときはまだ達者だった母といっしょに亡父の古里まで出向いたのだが,母も身近な場所に遷墓できて気持ちが安らいだように見えた。
 周囲の環境も良く,比較的近い最適の立地を選んだと思っていたのだけれど,自宅から駅までと駅から墓苑までとの徒歩部分を合わせると往復で6キロほど有り,母の生前は,その脚力に配慮して,自宅から霊苑の入り口までは直接タクシーを利用していたものの,石段や石を敷いた坂の有る墓地までの道がだんだん歩き辛そうになってきて,「今年はもう,お墓参りは諦めようか」と言い出したのが亡くなった年の春のことだった。(関連: http://www7a.biglobe.ne.jp/~say/fukushi.02.html 「墓地のバリア・フリー」)
 その2か月のちに,母は脳室内出血で突然倒れ,僅か旬日の入院で96歳の生涯を閉じた。以後,それまでの春,秋のお彼岸とお盆,歳末の年4回の掃除を兼ねた墓参に,母の祥月命日が加わることになった。
 ところが今は,私自身が衰えて,息子の援けが無いと出掛け難くなり,息子の仕事の都合によっては,息子だけが時間を割いて直接出向き,昨年の命日を最後に,私が独りで出掛けるのは諦めなければならなくなっている。今年は春と秋の彼岸は息子が連れていってくれたけれど,それでもあとの数日は疲れが残って,横になる時間が多くなった。遠からず,私は墓で寝て待つ身になるのだろう。

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