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ShoGのボヤキ念仏

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ShoGのボヤキ念仏
ブログ紹介
今や念仏三昧の日々の合間に湧く断片的な雑念を,直感のまま投げ出したものです。
──日々の主な行動の記録と,言葉を尽くした随想や論考,Photo,Songなどは,ホームページで別に掲載しています。  
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うとうとタイム

2018/06/17 15:24
 「80歳の坂をこえたあたりから昼寝を貪るようになった。朝食をとったあとや昼めしをすますと眠くなる。」「昼寝三昧である。楽しむようになってずい分になる。後期老人の仲間入りをしてからこんな特権を享受しようとは思いもしなかった。」と,(宗教学者の)山折哲雄さんが「朝日新聞」に連載中のコラムで書いている(6月9日)。私も「一緒や」。
 ただし,私の場合は,朝食後は,まずパソコンを開けて,知己のWebサイトとメールをチェックする。もっとも最近はその量もめっきり減り,何か月も音信が途絶えると,その安否が気遣われる。加齢のせいか,手書きの書信は重大な通知以外はほとんど来なくなっているし,インターネットを使える人も少ないので,メールのほとんどは無用の宣伝や詐欺まがいの迷惑メールで,その削除に費やされる時間のほうが圧倒的に多いのだけれど,その間に少しずつ体や脳が働き始めてくる。それからゆっくり新聞に目を通すのだが,そのころになると,目が疲れてきて,早くも再び眠気が襲ってくる。
 次に,山折さんは,「原稿用紙をひろげて、あれこれとよしなきことを書きはじめる。それもあまり長くは続かない。体力の衰えから気力も追いつかないからだが」と続けているが,これも「右に同じ」だ。私の力は氏に及びもつかないから,既に原稿用紙に向かう気力は無く,昼食後は,パソコンで雑文を綴るか,体を動かさなければならない雑用を片付けるだけだけれど,それも長くは続かず,昼寝のタイムになる。
 今年の気候は草木の成長に適していたのか,例年に増して庭木の徒長が著しい。放ってもおけず,わが家の情況では人に頼むこともできないので,天候に合わせて刈り込み作業にかかっているものの,去年はこれほどではなかったと思うほど足腰に力が入らず,脚立に上がっての作業が我ながら危なっかしい。疲れるのも速く,一時間とは持続できないので,休み休み,少しずつの仕事になる。昼寝の時間が奪われると,日ごとに疲労が蓄積して行く気がする。尿漏れの量も増えているようだ。
 最近は,午後の作業能率を上げるために,昼食後に仮眠タイムを設けている会社も有ると聞くが,私は,山折さんのように「特権を享受する」とまではなかなかいかない。

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我が「生老病死」

2018/06/04 17:14
 人生の終末が遠くないことを思うようになるとともに,今までの人生を顧みて,人は自らの意志で生まれてくるわけではないのだから,自分が生まれたのが良かったことなのかどうか,考えることが有る。
 しかし,私は祝福されて生まれたことに間違いは無い。母が後年,そのときを思い出して書いている。「結婚以来、何年たっても子宝に恵まれないので、私としては、少しずつ気になり出しました。」「(お父様が長期間日本を離れる任務に就き)、留守になったのを幸い、思い切って(後屈の)手術を受けました。」「○○が産まれた時、我が家と周囲の人々の喜びは大変なものでしたが、私は、この子を立派に育て上げなくてはとの責任感で頭の中は一ぱいで、単純に喜びに浸っている気分にはなれなかった事を、今でもハッキリ覚えています。その時の出産祝は、今でも忘れません、百五人の人から頂きました。ほんとに待ちに待った初孫の誕生だったのです。」
 私自身も,生まれてきたことに不満を感じたことは無い。父の死後,戦後の混乱期に母が女手一つで子育てに苦労したことは知っているけれど,母自身は「終焉の地と心定め移り住む子が家の日々心安けし」「悔い一つ無しと云わねど八十年力のかぎり生きし満足」と詠んでいて,96歳まで健在で生を全うした。
 その母が逝って既に十七回忌を迎える。共に老いた妻との暮らしも長くなり,これまでは地位や財を求めることなく,自分の思いを通して生きてきたものの,今の世情では,子や孫に囲まれた心安らかな老後と言うには縁遠い余生をどう生きるか,そんなことを考えると,わが子の老後までもが案じられてくる。「生老病死」という言葉が有るけれど,親の思いだけで子どもを産むのが良いのかどうか,生きる上での業苦を背負わせることになってしまうのではないかと考えてしまう。
 「死」は,仏教を信じているわけでもないが,「安楽国」に「往生」することだと思っているので,むしろ願わしいことで,恐れてはいない。問題は,その前に有る「老」と「病」だ。若いときは,そこまでは考えないから,結婚相手を選ぶにも子を産み育てるにも迷わずに来たけれど,老いるとともに,妻や子への責任は全て私が負うべきことだと感じて,私だけが先に往って楽になるわけにはいかないと思ってしまう。できることなら,私の生死にかかわらず妻や子に苦労を掛けずに済むよう,体力と経済力が有ればと願うけれど,今の状態では叶えるすべが無い。
 少子化を問題にする前に,誰もが安心して子どもを産み育てられるためには,子どもの将来にまで責任が持てる社会の豊かさこそが求められるが,庶民生活の現実でそれを望むのは無理なことだろう。
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権力者の無責任

2018/05/26 20:50
 大学のアメリカンフットボールの試合で悪質な危険行為によって相手チームの選手にけがを負わせた事件で,「私からの指示ではございません。ルールを守るのが基本」と加害者側の監督(当時)は言い,「相手選手を潰せば(試合に)出してやる」と過激な表現はしたけれど,「けがをさせることを目的としては言っていない」とコーチは弁明している。それはそうだろう。そうでなければ,傷害示唆の罪になる。その一方で,「責任はすべて私に有る」と口先だけの「きれいごと」は言うけれど,どう責任を取るのか,はっきりした行動で示すことは無く,事実上の責任は一人の選手が背負わせられることになる。しかし,具体的な指示は無かったにしても,監督やコーチの意向に従わなければならない選手にすれば,むしろ被害者と言っても良い立場である。
 同様な構図は,政治や企業の世界でも,しばしば見受けられる。絶対的な権力者の下に所属している者の立場では,権力者の意向を忖度して随うほかなく,追い詰められた気持ちになり,自殺者すら出る例も有る。
 「セクハラ」は,それによって傷ついた者がセクハラと感じるから「セクハラ」なのであって,加害者は自分の行為が「セクハラ」だとは思っていない。被害者の気持ちに思い至ること無く,「セクハラという罪は無い」と居直る無神経な人間さえ,今なお存在する。被害を告発すれば逆に二次被害を招く惧れが有るので,受忍している場合も多いのではなかろうか。
 「パワハラ」にしても,全てのハラスメントはそうして起きるのではないかと思われる。まさに権力的上位者の無自覚,「無責任」がまかり通る世の中だ。
 「可愛いお尻を見れば/手当たり次第に触り/帰りゃカアチャンの尻の下/もともとお尻に弱い」。50年以上前の話だが,植木等の『無責任一代男』の替え歌で職場の上司をからかったことが有った。からかわれた上司の立場からすれば,「名誉棄損」と怒っても当然なことだったと思うけれど,地位の上下の区別無く和気藹藹としていた職場だったから,宴席などでは当の上司も一緒になって唄っていた。今にして思えば,上司のセクハラを告発していたことにもなるのだが,それを材料にして面白がっていたのだから,皆がセクハラの共犯者だったと言うこともできよう。お尻を触られた?彼女たちの気持ちはどうだったのか,確かめてみたいと思うことだ。
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諦めるとき

2018/04/29 17:18
 新刊書の広告を見たり書評を読んだりして,買って読んでみたいと思う本がときどき有る。著者の訃報を聞いて,読み直してみたい著書も少なくない。しかし,視力の衰えとともに細かい字が読み辛くなり,集中力や持続力が弱まってくるにつれて読書の習慣が無くなり,本を購入しなくなって既に何年かが経つ。蔵書も若い人に譲ったものが多く,読書はもう諦めるときだと感じる。
 映画を観るのも同様で,近年は映画館に出掛けることが無くなったし,テレビからテープに録ってあった映画も,録画方式がDVDになり,機器も変わってしまったので,古い機器を繋いでVHSを観るのを面倒に思う。そういう意欲がすっかり無くなってしまったのは寂しいことでもある。
 世はゴールデンウィークを迎えて交通機関の混雑ぶりが話題になっているけれど,今の私には縁遠いことにしか感じられない。行楽や旅行に出掛けたいと思うことも無いではないし,たまには,まだ私よりは元気が残っている妻を観光や温泉に連れて行けば喜ぶだろうとは思うものの,何しろ体力が衰えているので,気力も萎えてしまう。旧知との交歓の機会も減るばかりで,訃報に接したときにお別れに行くことも危ぶまれる。肉親の葬儀さえ,遠隔の地だと出席が叶いそうでない。
 四月はブログを書くことも少なくなっていた。昨秋の大腸がん手術から半年が経過して,その後の状態を確認するための内視鏡検査を受けなければならなかったことと,前立腺がんの4年前から続けている定期的な診察の時期とが重なった上に,歯科の治療が加わり,食事を制限しなければならないことも有って,余計に体力が衰えると,出掛けた日の後は机に向かうのも億劫になっている。
 体力に加えて,経済力も心細くなるばかりだ。老朽化する一方の居宅のメンテナンスが気に懸かっていても,その余裕が無いし,家屋や外周りの日常的な手入れも滞りがちで,体力不足を補えるような新しい機器が欲しくても,思うに任せて購入するわけにもいかない。
 1月末に91歳で亡くなった映画監督の沢島忠さんが最後に撮りたい作品が一作だけ有ったものの,製作を引き受けてくれる会社が見つからないので,自主製作の費用を得るために宝くじを買い続けていたと聞いたけれど,私の場合,映画製作などという大それたことは望まない。日々の暮らしで,命の有るうちはまだ諦めたくないことがいくつか有るだけだが,それらも無理な望みになりつつある。
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「信無くば」

2018/04/12 17:37
 「信無くば立たず」という孔子の言葉が有る(『論語』)。「信」は民衆の信頼,「民信」が無かったら一国の政(まつりごと)は成り立たないという含意だ。わが国でも,この言葉を座右の銘として事あるごとに口にしていた首相もこれまでに何人かいたけれど,今の首相はどう考えているのだろうか。
 事は政治だけに限らない。最近のわが国の情況を見ていると,立場を換えて,これを逆に「信無くば従はず」とも言える事象が多い。教師を信頼できなければ生徒は従わないし,上司が信頼できなければ部下は忠実に働こうとはすまい。スポーツ界でも組織内での混迷状態が続出しているのは,中心になるべき人物が信頼するに足りないことに因ると思われる場合が多いようだ。「信」が欠かせないのは,人間社会の全ての関係に当てはまることではなかろうか。
 政治の場では言うまでもない。最も責任を負うべきはずの政治家が自らを省みず,問題が起きると,その責任の全てを下僚に転嫁して平然としている状態では,機構の長を信頼できないから,官僚は報告を怠り,つじつまを合わせるために文書の改竄や削除,廃棄まで行う。言葉の上では,自衛隊に対するシビリアンコントロール(文民統制)が唱えられるけれど,古来,軍が独走するのは,政治が乱れて権威を失っているときだ。
 ちなみに,孔子は,国政を担う上で重視しなければならないことを問うた子貢に対して,「食」「兵」「民」の3項目を挙げ,さらに,情況によって已むを得ず捨てなければならないときの順番を質すと,第一に「兵」を捨て,次に「食」,最後まで保たねばならないのが「民」の信頼だと答えている。現代の政治家も深く考えるべきことだろう。
 安倍首相はマザーコンプレックスだという説が有るようだが,思い当たる節が無いでもない。女性を政府の要職に就けるのは良いことだとしても,力不足が露呈されても庇うばかりだし,昭恵夫人の気ままな言動を抑えることができず,言うに任せて,ひたすら擁護するのも,その一端ではなかろうかと思われる。もっとも,閣僚の失態は女性だけではないけれど,任命責任が自らに及ぶのを惧れるためか毅然とした対処ができず,もともと人材が乏しいのか,真に信頼できる人物はなかなか現れそうにない。かくて,民の「信」を無くした首相の思いを忖度して,なお支持しようとしているのは,己れの利害に関わることしか念頭に無い輩だけだとさえ思えてくる。
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権力は独裁を目指す

2018/03/29 14:31
 人が自己顕示,自己主張をするのは,自分の存在価値を認められたいためだ。そういう人は,組織の大小にかかわらず,自分の属する場所での権力を持ちたがり,いったん権力を手にすると,それをいっそう強固なものにしようとして,意に添わない者を排除し,独裁を指向する。
 最近の世界各国の情況を見ていると,時の権力者の動きにそのことを強く感じる。その中で,権力を持てない者は,権力者の意に従い,虎の威を借りて,偏った信念の基で,自らも権力を使いたがる傾向が露わになっている。そのために,名も無い庶民は虐げられ,自由を奪われるのだが,支配される側にその自覚が無いと,ともすれば自己の利益を求めて権力に頼ろうとし,結果的に権力者に力を与え,ますます増長させることになる。
 たまたま最高権力者の位置を占めた者が,本来それだけの器ではないにもかかわらず,自分の持つ力を錯覚して,その思いを通そうとするのは始末が悪い。昨今のわが国の情況はそれに近いことに思われる。また,かりそめの権力者に追随し,支えようとしている者の中には,今は表立つことを控え,時機を窺って自らが次の権力者の地位に就こうとひそかに狙っている場合も少なくないように思われる。どちらにしても自己中心の発想で,支配される者にとっては,危うくて不幸なことだ。それを思うと,絶望的でさえある。
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墓園での会話

2018/03/21 16:38
 きょうは「春分の日」,彼岸の中日だが,昨日からの雨が降り止まない。天気予報で予測はしていたので,先日,彼岸の入りに当たって墓参に出掛けたのは正解だった。
 わが家の墓所は,もともと四国の山村に在って,長年,祖母が独りで守っていたのだが,祖母の死後,時代とともにその地で暮らす親族縁者もいなくなり,われわれが帰る家も機会も失われてしまったので,本籍を現住所に改めるとともに,私鉄で2駅ほど先の霊園に遷したのは,元号が平成に改まった前年のことで,以来,ちょうど30年経ったことになる。
 周囲の環境も良く,最適の場所を選んだと思っていたのだが,往復6キロほどは歩かなければならず,私自身の加齢とともに,年に5回ほど出向く墓参が体力的に少し負担に感じられるようになってきている。亡母が健在だったころは,その脚力に配慮してタクシーを利用していたけれど,16年前に母が亡くなってからは,料金を倹約するためにも電車と徒歩で行くことが多くなり,最近では,妻のスケジュールによっては,私だけで4時間ほど掛けて出掛けることも増えている。今回も,独りで行くことになった。
 お彼岸ということで,お墓参りに来ている家族連れも多く,隣のお墓の家族ともたまたま一緒になり,就学前と思われる兄妹二人の幼児と,30年目にして初めて顔を合わせることになった。なかなか可愛い子どもたちで,せっせと掃除を手伝い,神妙に合掌している。
 「表立った暮らしから遠ざかって既に10年以上になる今では,他者と会話をする機会は,近隣の人との挨拶程度のことか,時たま出掛ける病院や医院での医師や看護師との短い会話しか無い」と書いたのは今月の初め(3月2日「認知力の維持」)だが,幼い二人が私の顔を見て話しかけてくるので,相手をしながら,久しぶりに気持ちが和んだ。
 冬季オリンピックのカーリング競技に出場していた日本女子チームの選手たちの「そだねー」という試合中の会話がマイクで拾われて話題になり,流行語にもなっているけれど,これも,会話と,相槌を打つことの大切さを現していることのように感じる。
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老老不定

2018/03/16 16:29
 「老少不定」という言葉が有る。北島三郎さんの次男の孤独死という過日の報道を聞いて,必ずしも他人事ではないと思い浮かべた言葉だ。近年の家族構成の実態を思うと,親子が離れた所で別々に暮らしている家庭も多い。昨今は,独居生活をしている高齢の親を案じつつも一緒に暮らせる情況にない子が電気設備などによる「見守りシステム」を設置する手段もできているようだが,逆に,親が独り暮らしの子の様子を案じる場合も増えているのではなかろうか。
 「逆縁」とも言う。東日本大震災から7年が経ち,逆縁の辛い思いを今なお抱き続けて生きている人たちがどれだけ多く在ることかと想うだけでも胸に迫るけれど,不慮の災害によるとは限らず,北島父子のような場合も有ることだ。
 私の場合,幸いなことに,そのような思いに直面すること無く済んで来たものの,老夫婦二人の今の暮らしでは,「老老不定」,当然のこととして,いつどちらが先に逝くか分からない。
 妻は,自分が先に逝けば遺された私がどう暮らして行くだろうかと案じてくれているようだが,私の暮らしくらいは何とでもなろう。逆に,私が先に逝ったときのほうが気に懸かる。自分自身の問題としては,死生についての恐れも憂いも持たないが,私が専ら処理して来た,暮らしに関わる事務的な手続き上のことで気に懸かることは有る。読んで解るようなことは,できるだけ書き遺してあるけれど,日々の暮らしに直接関わる具体的な問題として,公共料金等の支払いのために設けてある銀行口座からの自動払いにしているものが有る。ガスや上下水道など文書で通知されてくるものはその都度対処できるとしても,電気,電話の使用料金やNHK受信料等に関しては,最近では,業務上の効率を図るためか,請求金額も引き落とし日も全てインターネットによってしか通知されないので,私のパソコンを通さなければ確かめることができない。口座内の預金額に十分な余裕が有れば良いけれど,毎月の最低限度額しか入れておけないのが実情だから,私の体調が急変して,変更手続きが事前にできないような場合の対応策は,事業者としてどうなっているのか案じられる。私としては,最近の体力の衰えを感じるとき,そんな不安がときにふと横切る。
 妻と分担して処理している日常の雑事でも,全てが妻の負担になるような事態になれば,戸惑うことも少なくないのではなかろうかと思って,私自身の状態が心細く感じられるのだ。

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瀬戸内少年歌謡曲史

2018/03/07 15:46
 阿久悠に関わる思いを先日(2月12日)書いたばかりだが,阿久悠がその著書の中で語る時代と歌の歴史は,そのまま,私も共有する時代と歌の姿であり,取り上げられた歌は,想い出とともに自然に湧いて出る歌ばかりなので,先日触れていないことについて,かつて掲載した文章の引用を含めて,もう少し書いておきたい。
 阿久悠は『瀬戸内少年野球団』(1979年)の中で書いている。「(戦争が終り、年が明け、昭和二十一年の夏ともなると)町の人々自らが芝居をすることが流行になったのだ。」「演し物は、大抵流行歌に材をとったもので、第一幕、舞踊劇、第二幕、のど自慢、第三幕、やくざ芝居というのが通常の構成だった。」
 阿久悠は淡路島の出身だが,私の暮らしていた島でも,復員してきた青年たちが中心になった素人演芸会が,仮小屋のような所で盛んに演じられ,のちに週に一度くらいの割合で巡回してくる映画が上映されるようになるまでは,それが村人たちの最大の娯楽だった。(2011年10月19日「阿久悠と歌謡曲」)
 「『そして、そこで歌われる流行歌が、何故か、『長崎物語』と『港シャンソン』と『勘太郎月夜唄』に限られている。』と,阿久悠は書いているが,私の中に在る当時の流行歌も,『誰か故郷を想はざる』(西条八十作詞・古賀政男作曲 1940年)であり,『長崎物語』(梅木三郎作詞・佐々木俊一作曲 1938年)や,『勘太郎月夜唄』(佐伯孝夫作詞・清水保雄作曲 1943年)だった。『湖畔の宿』(佐藤惣之助作詞・服部良一作曲 1940年)も含めて,いずれも戦中に作られた歌ばかりで,戦後最初の大ヒット曲『リンゴの歌』(サトーハチロー作詞・万城目正作曲 1946年)は,そのころの私の記憶の中にはまだ無い。」
 『愛すべき歌たちー私的歌謡曲史ー』(阿久悠・岩波新書1999年7月発行)では,その「あとがき」に記されていることが私の想いにつながる。
 「新聞連載第一回に『湖畔の宿』を書いたら、ずいぶん多くの知人たちから、あれは意外だったと言われた。当然『リンゴの歌』から始まると思っていたと言うのである。」「しかし、ぼくは、きわめて個人史からスタートして、やがて社会史に繋がっていく書き方をしたかったので、(中略)これによって、全体の書き方、歌の捉え方は決したのだが、その代わり『リンゴの歌』が入り込む余地がなくなってしまったのである。」「戦後の歌は、『リンゴの歌』からというのが定説であり、常識であるが、ぼくらにとっては、間違いなく、『妻恋道中』とか、『裏町人生』とか、『旅姿三人男』とか、『流転』とか、『勘太郎月夜唄』とか、戦前、戦中に発売され、戦時下の国情にも意識にもそぐわないとして封印されていたアウトローの歌であった。」同じ瀬戸内海ではあっても,県の異なる離れた島で全く同じ時が流れていたのは不思議なことにも思われる。
 『勘太郎月夜唄』は、1943年の映画『伊那の勘太郎』(監督=滝沢英輔)の主題歌で,当時としては珍しくヤクザを主人公にした作品だ。そのころ私はまだ疎開前だったので,月に一度だけという母との約束で映画を観に連れて行ってもらっていた。毎月の上映予定を前もって調べて選んだ映画は,『轟沈』,『勝利の日まで』,『加藤隼戦闘隊』など,戦争を題材にしたものばかりだった中で『伊那の勘太郎』は異色と言える。ここに挙げた作品には全て主題歌が有り,中でも『加藤隼戦闘隊』(作詞=田中林平・朝日六郎,作曲=原田喜一・岡野正幸)は,疎開して映画とは無縁の暮らしになったあとも,敗戦に至るまでは私の十八番にしていた曲だった。
 1〜3番から4番に入ると,それまでの勇壮な曲が転調して哀感を帯びる。「干戈交ゆる幾星霜/七度(ななたび)重なる感状の/勲(いさお)の蔭に涙あり/ああ今は亡き武士(もののふ)の/笑って散ったその心」。5番では「世界に誇る荒鷲の」「われらは皇軍戦闘隊」と勇壮なマーチに戻るのだが,唄うとき4番に思い入れが深かったのを覚えている。

 話を戦後に戻すと,村の青年団の演芸会でいつも『別れ船』(作詞=清水みのる,作曲=倉若晴生 1940年)を唄った女の子がいた。そのころの学校はまだ男子と女子とでクラスが分かれていて,彼女は女子組の級長で,男子組の級長が私だった。級長同士ということで,男子組の悪童たちは彼女と私とを結び付けて冷やかしの対象にしていたけれど,二人は一度も言葉を交わしたことも無かった。しかし,私の心の隅のどこかで彼女の姿を意識していた。その彼女も疎開者だったので,戦争が終わると間も無く,小学校を卒業する前に村を去って行った。彼女の乗った瀬戸内海航路の蒸気船が村の港を離れて行くとき,一抹の感慨を持って密かに見送ったことを,のち(1984年)に映画化された『瀬戸内少年野球団』(脚色=田村孟,監督=篠田正浩)の一場面と重ねて思い出す。
 映画や歌謡曲がらみで 思い出を辿りはじめるときりが無くなるので,またの機会に書くことにしよう。

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認知力の維持

2018/03/02 21:32
 加齢に伴い他者との社会的な接触が少なくなると認知力の低下につながりやすいという。特に男性の場合,表で活動していたときとの差が大きいので,問題が顕著になるとも言われている。思えば私の場合も,表立った暮らしから遠ざかって既に10年以上になる今では,他者と会話する機会は,近隣の人との挨拶程度のことか,時たま出掛ける病院や医院での医師や看護師との短い会話しか無い。その中で冗句を交えて話すのが唯一の楽しみになっている状態だ。
 対人関係が認知症の進行を防ぐことに役立つというけれど,それも,相手の気持ちを推し量り,表現を考えて会話を交わしてこそのことだと思う。自分の知的老化が気に懸かりはじめると,対抗心と自己防衛の心理が働き,逆に自己主張が強くなり,相手に対して攻撃的,あるいは,批判的な気持ちになりがちだけれど,それではコミュニケーションの意味が無くなる。
 もう一つ,文章を書くことが認知力の衰退防止に役立つとも言われる。文章を書くことで思考を掘り下げ検討することができれば,確かに自己確認の効果が上がるはずだし,過去を想起して記憶を呼び覚まし省みるのも効果的であるにちがいない。こうしてブログを綴るのも,そんな気持ちも有ってのことだと言えようか。自分が書いたことに対してメールやコメントを貰えれば,不足がちな他者とのコミュニケーションが補えることにもなるので,二重の効果が期待できそうだ。そういう意味でも,メールやコメントを戴くのはありがたく歓迎したいことだ。
 安倍首相以下,与党政治家や政府官僚の判断力の劣化とでも言うべき相次ぐ失態も,黙っていられない気持ちにさせられることだけれど,こればかりは,老化防止に役立つとありがたがるわけにはいかない。
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戦争の昭和は遠く

2018/02/24 16:46
 俳人の金子兜太さんが98歳で亡くなった(2月20日)。1月には野中広務さんの訃報(1月26日=92歳)を聞いた。昨年末に逝った早坂暁さん(12月16日=88歳)も含めて,立場や業績はそれぞれ異なるものの,いずれも敗戦体験を持ち,反戦の意志をバックボーンとして,人間に対する優しい視線を失うことなく,現代社会に立ち向かって来た人たちだ。2月には,水俣の石牟礼道子さんも亡くなっている(2月10日=90歳)。
 戦争の昭和は既に遠く,平成も来年で終わろうとしている今,戦争を知り,真に平和を希求して行動する人は少なくなるばかりで,戦争を否定し,平和のために力を注ごうとする人がいなくなっていく感が有るのは悲しいことだ。
 「軍国酒場」と呼ばれる店舗が東京をはじめ全国各所にいくつか在るという。55年前鹿児島市に開かれた店が嚆矢だと聞くが,戦中の雰囲気を残していて,酒を飲んで往時を語り合い,軍歌を唄って,明日への活力を鼓舞するのだそうだ。
 昨年5月のことだが,関東在住の中学時代の同級生が約2年ぶりに訪ねて来た。私と同じく戦争で父親を喪い,母子家庭として疎開生活をしていた友で,兄弟のような仲だったのだが,就職し結婚してからは会う機会もしだいに減り,最近では,お互いに齢を取ったこともあって,ほとんど会っていない。その彼が顔を見せて,その折,「軍国酒場」に「突撃」して唄いたいから,『勝ちぬく僕等少国民』という戦時歌謡を教えてくれと言う。私が歌謡曲に詳しいのを知ってのことだ。
 1945年の歌(作詞=上村数馬,作曲=橋本国彦)で,「勝ちぬく僕等少国民 天皇陛下の御為に 死ねと教へた父母の 赤い血潮を受けついで 心に決死の白襷 かけて勇んで突撃だ」という1番の詞で始まる。この歌が作られた半年後には広島,長崎に原子爆弾が落とされ,日本が殲滅させられたのだけれど,そんな時期にもまだこんな歌を唄わせていたのかという思いを,二人で改めて深くした。
 そのあとには,「八幡様の神前で 木刀振って真剣に 敵を百千斬り斃す ちからをつけて見せますと 今朝も祈りをこめて来た」「僕等の身体に込めてある 弾は肉弾大和魂 不沈を誇る敵艦も 一発必中体当たり 見事轟沈させて見る 飛行機位は何のその」というような詞が続く。
 軍歌でも,『戦友』など明治時代のものには,反戦歌と言っても良い作品も在ることを思うと,昭和の戦争がいかに愚かなものであったかを知らされることだ。
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わが人生

2018/02/21 17:03
 省みて思うに,私は自我が強いほうだ。ということは,自分の価値観にこだわり,自己を主張しがちになる。そのことを自覚しているから,社会的にはできるだけ自我を表に出さないようにしてきたつもりだ。自己顕示に陥らないよう心掛け,具体的には,「長」と名の付く立場に立つのは避けてきた。高校卒業までは「長」の地位に就く(就かされる)ことが多かったけれど,大学では,自分を消すことを身に着け,社会に出てからは,職場でも地域社会でも役職に就くのを極力断わり,やむを得ないいときは,次席の立場で,蔭ながら「長」を支えるようにしてきた。しかし,心の内では自分に強いプライドを持っていて,特に逆境に在った少年時代は,それを支えにして乗り越えて来たところが大きかったと思う。
 この齢になるまで生きて来て,いまさら自我や自分の価値観を捨てることはできない。しかし,自分が見えていると思っているものが他人には別のものに見えているかもしれないという自覚だけは常に必要だと考えている。だから,他人を見ていて,自分の価値観を他人に押し付ける人物を避けたい気持ちは強く,何かと自己顕示をしたがる人の小賢しさは疎ましい。もっとも,齢を取って,「好々爺」になりきりたいと思うことも有るけれど,これだけは死ぬまで実現できそうにない。
 「家系」ということを思う。科学者,文学者,芸術家,政治家,アスリート,名を成した人々には,背景にそれぞれの家系が在るように感じることが有る。それを産み出すのは,遺伝子なのか,育てられた環境なのか,断定はし難いけれど,家系が影響しているのは否めないことだと思われる。背景を持たないまま真に自己実現を図ろうとすれば,出家をするか武士になるかしか途の無かった時代も有る。近代では,博士か大臣かという立身出世が目標になったかもしれないし,軍人になるという選択も有ったろうが,敗戦後,経済優先の社会になった現代では,家の経済状態による格差が大きく,他に考えられるのは芸能界への進出だけれど,これには強い意欲と努力に加えて運が必要になる。いずれにしても独力での自己実現は容易ではない。
 私にも私なりの才能は有り,それで他者を超えることが可能だったかもしれないと想像することも無いではないが,今日までの周囲に在った環境を考えると,それは夢想でしかないと思い直す。所詮,私は「私」であり,別の家に生育すれば,そのとき既に私は「私」ではない。雀は生まれたときから雀であり,鷹にも鶯にもなり得ないと気付いたとき,もはや人生の終末が近付いている。
 私の自我の根底にはニヒリズムが根付いて在る。それは,個性が形成される時期に直面した敗戦体験によるものだと思われる。中学生時代に独りで作った個人誌に『心の防波堤』と題して小説らしき文章を書いたことが有るけれど,それは気持ちの拠り所となった私のプライドをテーマにしたものだった。今にして気付くのは,私の心の闇を直感で見抜いていた母は,密かにその行く末を案じていたのではなかろうかということだ。今,私は来し方を省みて,それなりに自己を顕示している。そして,「行く末」はもう無い。
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高齢者が歩く道

2018/02/18 21:29
 関連法改正案の2020年提出を目指す政府の「高齢社会対策大綱」が決まったという。公的年金の受給開始時期を70歳を超えても選択できるようにする,公務員の定年の引き上げを具体的に検討する,高齢者の起業を支援する,等々の施策を盛り込み,少子高齢化社会に対応して,人を年齢で区別せず,高齢者も意欲や能力に応じて生活し,負担もしてもらう社会を目指すという意図のようだ。それに応じるかのように,生命保険業者は,加入可能な年齢を延長し,条件を緩和する傾向にある。それはそれで良いとしても,乏しい年金収入のみで細々と暮らして行くしかない今の私には,いずれも縁の無いことだ。
 近年,健康寿命が延びているというデータも有るが,その一方で,最近の新聞報道やテレビの健康番組,広告などでは,高齢者の健康を対象にしたものがあふれている。視力・聴力の衰え,排尿・排便のトラブル,筋力・関節の老化による膝や腰の痛み,さらには認知症をもたらす脳の衰退など,高齢者の不安を高めるものが多い。自分にも思い当たることが多く,それだけ同じ悩みを抱えている人が多いのだろうと思い量るものの,広告を掲げる業者は,高齢者を営利の標的にしているようだし,メディアはそれを後押ししている感すら有る。
 新聞の定期購読者を対象にした,広告に関するモニターを募集している調査会社が在るけれど,その応募条件に,満15〜69歳とあるのが,何年も前から気に懸かっている。対象に高齢者も含んでいると思われる広告のモニターから高齢者を除外する業者の意図を疑い,かつて当該業者に直接質したことも有るのだが,検討しますという回答が有ったきりで,そのままになっている。
 新聞報道によると,「あの世でも元気に歩き回ってほしい」という遺族の願いに応えて,金具やゴムなどを使わず,亡くなった人と一緒に棺に納められる仕様の杖の製造販売を始めた業者が在るという。高齢化に伴って杖の需要が高まり,デザインや機能も多様化して,市場規模は10年余りで2倍近くの伸びを見せているというけれど,「天国仕様」の杖まで出来たことになる。しかし,安楽国に行ったらのんびりと眠りたいと願っている私としては,杖まで持って行きたいとは思わない。
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阿久悠再び

2018/02/12 20:23
 阿久悠が逝って10年6か月になる。
 阿久悠と私は,私のほうがわずかに年長ではあるものの,「高校を卒業するまで瀬戸内海の島で暮らしたという体験も共通するので,通い合うものが多い」と書いた一文がブログに有る(2011年10月9日「阿久悠と歌謡曲」)。「阿久悠は島の高校を卒業すると東京の大学に進んだ。そこからは私とまったく異なる道を歩むことになるのだが,私と比べれば早世と惜しまれるその人生で,阿久悠の語る時代と歌の歴史は,そのまま,私も共有する時代と歌の姿であり」「想い出とともに自然に湧いて出る歌ばかりだ」と書いている。その後,早くも6年が経ち,私は彼より10年以上も長く生きた。
 今,2月8日に放送されたBS朝日の「ザ・ドキュメンタリー」で阿久悠を取り上げているのを観て,時代とともに生きた彼に寄せる思いを再び深くした。それによると,死の2週間前まで書き続けていたという日記の中で,「体が弱っても 頭と右手が元気ならいい 飽きるな 生きることに飽きるな」と書いている(2007年2月)。また,没後に見つかった未発表の詩が数百編を超えていたという。彼にとっては,書くことこそが,人として,時代とともに生きることだったのだろう。そのことにも私は,今なお生き延びていて共感する。
 河島英五の唄で知られる『時代遅れ』(1986年発表)の詞が思い合わせられる。「妻には涙を見せないで/子供に愚痴をきかせずに/男の嘆きは ほろ酔いで/酒場の隅に置いて行く/目立たぬように はしゃがぬように/似合わぬことは 無理をせず/人の心を見つめつづける/時代おくれの男になりたい」「ねたまぬように あせらぬように/飾った世界に流されず」
 「酒場の隅に置いて行く」のも今となっては私には叶えられないことなので,ブログでボヤくことしかできないのだけれど・・・・・・。
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建前と本音

2018/02/01 20:06
 政府の要職に在る人の暴言,失言があとを絶たない。その都度,弁明として使われるのは,「誤解を招いた」という言葉だが,発言の内容は誤解のしようの無いことばかりだ。例えば,米軍基地の沖縄に住む人々の思い,被災地の人々が味わっている苦難などに対する想像力の欠如から出た言葉で,当人は間違ったことを言っているとは思っていないことが根源に在る。政府の最高責任者である首相は,自分が任命したはずの人物の発言を「政府としての考え方とは異なる」として,更迭したりするけれど,首相の言うのは建前であって,首相本人の心の底は実は発言者と似たようなものかもしれないと疑われる。建前を通して本音を抑えるというのが実態ではなかろうか。沖縄に対する首相の内心の思いを忖度したかのような一方的な報道が一部のテレビや新聞にも現れてきているが,政府与党の中から出てくる「暴言」としか言いようのない言葉に対して,「びっくりするようなものではない」と言う翁長沖縄県知事の発言が,政府の変わらない態度に抱く県民の率直な気持ちではなかろうか。現地から遠く離れている私でも「またか」という気持ちが先に立ち,絶望的な思いを深くする。
 政府だけではない。企業や組織の中で問題が起きると,責任有る地位の人たちが会見で並んで頭を下げ,「原因を究明し,指導管理を徹底して再発防止に努める」と謝罪するのが通例だが,これも多くは,形式的に取り繕っているだけのことで終わっている気がしてならない。
 政治家をはじめとして,何事でも,自分中心の発想を疑うことが無く,そのことで苦しんでいる他者に寄り添って考える気持ちに欠ける当事者が多すぎる今の世には,人としての質の低下を嘆かわしく感じるばかりだ。
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目下冬眠中

2018/01/28 16:46
 各地から積雪の情況が伝えられてくる。東京でも48年ぶりの寒さだという。我が家の地域では,今年はまだ積雪こそ無いけれど,半端でない毎日の冷え込みで,瀬戸内海の温暖な地方で育った私には身に染みる底冷えだ。
 年が改まって,新年の三が日は,例年どおり,全日本実業団ニューイヤー駅伝,関東大学箱根駅伝の放送を見ながら,年賀状の整理で過ごした。中・高等学校時代の同期生からの賀状は年々減り,数えてみると,今年は7通になった。それでも,返信をはじめ,歳末に発送した欠かせない送り先のものを含めると,まだ70通は書いている勘定で,住所録の確認整理をしておかなければならない。
 3日には,これも例年どおり,東京で仕事をしている長男が帰って来て,関西で暮らしている次男も顔を出し,年に一度の一家揃っての夕食を共にした。次男が昨年伴侶を得たから今年は1人増えたことになる。老夫婦だけの暮らしに馴れた妻がそれだけの人数の食事を支度するのはそろそろ負担になるようなので,今年は,近くの料理店で集まることにした。その間に,東京在住の甥夫婦が10数年ぶりに訪ねてきたということも有ったけれど,長男が3泊して引き揚げたあとは,また老夫婦二人の暮らしに戻り,私は,昨年のさまざまなデータの整理と確定申告書作成の作業に取り掛かる。それらが終わって,一月も既に下旬だ。そこに寒波がやって来た。
 厳しい寒さの中で,昨年の十月から通っていた歯の4年ぶりのメンテナンス治療が終わり,新しい義歯が出来あがった。作り直すたびに覆われる部分が広くなるので,噛みしめる力が弱くなり,味覚も鈍くなる。「自前の歯と義歯とで噛み合わせるのは,大人と子どもが相撲を取っているようなもの」だと,歯科医は言う。
 3か月ごとの前立腺の検診にも出かけた。自分の年齢を考えると,周囲の同年配の人たちの情況とも思い合わせて,「健康寿命」もそろそろ限界の域に近づいていると感じることも有る。寒さと相まって,体を動かそうとする気力が衰えてきて,横になっているばかりではないものの,ブログの発信も滞りがちで,目下冬眠中の感だ。
 間もなく二月に入る。そろそろウグイスも鳴き始めることだろう。
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あした待たるる宝船

2017/12/31 22:01
 「笹や笹々笹や笹/笹はいらぬかススザサは/大高源吾は橋の上/あした待たるる宝船」
 師走になると思い出す唄である。ジャンルを言えば「端唄」ということになるのかもしれないが,「奈良丸くずし」という題名も,詞も節もはっきり覚えている。どこで,いつ知ったものか,少なくとも70年以上前のことで,母に聞けば判るかもしれないけれど,その母も今は亡くなり,確かめる術が無い。
 思い付いてネットで調べてみたら,添田唖蝉坊・作詞,神長瞭月・作曲で,春日八郎や美空ひばりの歌ったものも在るようだが,私が知ったのはそれよりずっと前のことであるのは間違いない。歌詞も少し異なっていて,「笹や笹々笹や笹/大高源吾は橋の上/水の流れと人の身は/あした待たるる宝船」となっている。これは,雪の降る師走の江戸,俳諧の師匠・宝井其角が門人であった赤穂浪士の大高源吾に両国橋の上で偶然出会い,歳末の煤払いに使う竹笹売りに身を窶している源吾に「年の瀬や 水の流れも 人の身も」と発句を向けると,源吾は「あした待たるる その宝船」と付けて飄然と去って行ったという言い伝えを基にしたもので,この場面は,歌舞伎の「義士外伝」の一つ『松浦の太鼓』でも演じられているという。
 「義士外伝」と言えば,中山安兵衛や赤垣源蔵の名も思い出す。
 大高源吾の「宝船」は,吉良邸への討ち入りを意味していたわけだが,今の私の場合は,宝くじに当たることくらいしか無い。確率から言ってもその可能性は極めて薄いと分かりつつも,60数年買い続けてきている。もちろん当たったことは無い。それでも買うのは,抽選日までは,もしかして当たるかもしれないという期待が持てるからで,その間は,気持ちの拠り所にすることができる。今年の年末ジャンボも見事に外れたけれど,来年こそは幸運に恵まれるかもしれないと願って,また年を越すことになる。
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「不倫」の時代

2017/12/30 21:19
 今や今年も終わろうとしている。歳末恒例の「流行語大賞」や「今年の漢字」の選定結果が発表されているけれど,私は,芸能人や政治家に関連して頻繁に登場した「不倫」という語に違和感を覚え,そのことが気に懸かっている。手許の国語辞典を見ると,いささか古いものしか無いのだが,「不倫」=「道徳に反すること。特に、男女関係についていう。」(明鏡国語辞典2005年版)とある。しかし,さらに古いものでは,「人が踏み行うべ゛き道からはずれること。」(岩波国語辞典1979年版)としか記されていない。「倫理」とは本来「行動の規範としての道徳観や善悪の基準。」(新明解国語辞典2505年版)ということだと思うのだが,そう説明する「新明解」でさえ,「不倫」は,「男女が、越えてはならない一線を越えて関係をもつこと(様子)。」としている。なぜ「男女が」と限らなければならないのか,そこに違和感を覚えるのだ。
 一人の独立した人格を持つ男女が惹かれ合うことに「超えてはならない一線」というものが有るのだろうか。教育勅語で「夫婦相和し」と言うのは,明治以降の家族制度に基準を置いて作られた道徳観に過ぎず,人としての絶対的な価値観ではないはずだ。独立した男女の恋愛は,良くも悪くも,当人の責任において解決すれば良いことで,他人がとやかく騒ぎ立てる問題ではあるまい。
 岡山大大学院保健学研究科の調査によると,産後クライシス(出産後2年以内に夫婦の愛情が急速に冷え込む状況)について,女性の半数以上が実感しているという(12月28日付「朝日新聞」)。夫婦の仲の睦まじさを譬えられる鴛鴦でさえ,「仲がいいのは交尾して産卵するまで」で,年ごとに相手を変えるオシドリは「少しも珍しくない」という(12月22日付「朝日新聞」『天声人語』より)。
 まして人間は,そのときの自己中心的な感情の赴くままに結婚した後になって,相手の真の姿が初めて見えてくることも少なくなかろうし,特に芸能人であれば,自分の価値観や生き方と関わって,考え直さなければならないことも多かろう。そのときに別の感情が生じることに何の不思議も無い。
 それよりも,「倫理」という観点で言えば,人には,政治,企業,職業等に関わる厳然とした倫理と責任が有るはずで,それらに携わるからには,それぞれの「行動の規範としての道徳観や善悪の基準」が無ければならないはずであるにもかかわらず,その「道からはずれ」た「不倫」行為がいかに多いかということを感じさせられたこの一年だった。
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寒い冬

2017/12/24 21:42
 冬の寒いのは当然のことながら,例年であれば,その間に何日かは比較的穏やかな日が有ったのだけれど,今年は厳しい寒さの和らぐときが無く,歳末に当たっての庭木の処理や窓の清拭など,外周りの作業をする気も進まない。この様子では,新年を迎えるための墓の掃除も,体調を考えると,危ういかもしれない。無理をするのは避けて,年が改まった後でも,暖かい日に行くことにしようかと考えている。
 日常の暮らしでも,寒さがこたえるのは加齢のせいだろうか。滞りがちな便通とは逆に,排尿の回数が増え,特に寒い中で外出すると,尿漏れをすることも多くなっている。
 寒い冬の暮らしで,老人の気を付けなければならないことは,入浴などの際の外と中との温度差や,寝ていて起きたときの急激な動きだと言われるけれど,家に閉じこもっていても,蒲団を被って寝てばかりというわけにもいかず,移動する部屋ごとに暖房を入れていると,光熱費が嵩むばかりで,年金暮らしの家計に懸かる負担は大きい。
 もっと寒い地方で暮らしている人はどうなのだろうか,震災や豪雨の被害で不便な生活を強いられている人たちのことも案じられて,他国の権力者の顔色ばかり窺っていたり,大企業中心の経済を最優先に考えていたりする施政者は,低所得の国民の暮らしにもっと積極的な手を打つ気は無いのだろうかと,愚痴りたくもなる。
 まったく愚痴ることばかり多い日々で,ブログの筆も進まないのだが・・・・・・。
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賀状準備

2017/12/17 17:09
 私の机の脇に掛けてあるカレンダーは,近くの仏壇仏具店のもので,月ごとに箴言が書かれている。今月の言葉は,「必ず来るぞ 人生の大晦日」とある。
 さて,今年も,賀状を書いて投函する時季が来た。
 長年の信条として,賀状には,形式的な祝詞を記すのではなく,その年年の所感を述べ,それが伝わると思われる人にだけ送るようにしてきたけれど,その所感も「老いの繰り言」が多くなり,相手によって書き加える文言も,健康や活躍を祈るありきたりのことしか無くなってきたので,4年前に,
 「『我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず』(蓮如『御文』より)/多くの知友に先立たれる中で、まだ生きるつもりなのかと、明日につながることを想定した営為を続けている己を嗤いつつ、先の希みとて持てそうにない世で、また年が更まりました。いつか途絶える日まで、いま暫くお見守りください。/甲午(二〇一四年)元旦」
 と書いたのを最後に,以後は,一律に「予祝」の言葉をプリントして一言加える,言わば,生存を伝えるだけのことになっている。
 今でも,相手のことを思い浮かべながら,宛て名と署名だけは手書きにすることにこだわっているけれど,今年書き始めてみて,視力の衰えで宛て名も書き辛く,疲れやすくて,時間が掛かることを思い知らされた。
 「後期高齢者と呼ばれる齢になり、体力、気力ともに衰えを感じるとともに、これまでのさまざまなお付き合いは、そろそろ絶っても良いのではないかと思い始めています。『生前葬』を営むほどの身分ではありませんが、言わば、社会的な人生の『停年』という心境です。余命の有る限り、地域での対人関係だけは保つとして、あとは、自分独りの生き方をしたいと考えます。その意味で、ホームページ(ブログ)での発信だけは続けるつもりです。/向後、音信が途絶えても、そのように御理解いただければ幸いです。末長い御多祥をお祈りいたしております。」
 と書いたのは、前記の引用よりさらに遡ること数年前だが,もう一度宣言しておいたほうが良いのではなかろうかという気がしている。
 さりながら,もうひとがんばりして,書きかけている来年の賀状は,これから書き終えてしまおう。
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