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ShoGのボヤキ念仏

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ブログ名
ShoGのボヤキ念仏
ブログ紹介
今や念仏三昧の日々の合間に湧く断片的な雑念を,直感のまま投げ出したものです。
──日々の主な行動の記録と,言葉を尽くした随想や論考,Photo,Songなどは,ホームページで別に掲載しています。  
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内視鏡的大腸ポリープ切除術

2017/09/16 15:51
 「先日,消化器内科での内視鏡検査を受けたところ,腸にかなりの数のポリープが見つかった。小さいものはその場で除去したそうだが,まだ残っているものをどうするか,次回(8月)の予約日に主治医と相談することになっている。」と書いたのは7月31日のことだけれど(「夏眠のとき」),その後の主治医の話で,癌化する惧れが有るので今のうちに切除しなければならないと言われ,入院する腹を決めた。「9月に入れば少しは涼しくなるだろうから」という主治医の判断が思いのほか当たって,猛暑が和らいだ9月の初めに内視鏡による手術を受けた。
 先の検査のときもそうだったが,3日前から食事を制限し,前日の夕食後からは絶食して下剤を飲み始め,当日の手術前には腸管洗浄液を服用して腸の中をきれいな状態にしてしまわなければならない。2リットルの洗浄液を2時間かけて飲むのはかなり辛いことだ。いささか衰えた体力で,入院に必要な用品を詰めたバッグを提げ,指定された時間までに病院へ行く。
 対象となったポリープは,小腸に近い入り組んだ場所に有るうえに大きかったので,細かく切断して除去するのに時間が掛かり,ようやく一つ取り終えたところで,「もう一つ有るのですが,その施術は日を改めて行いましょうか」と問われ,「これ以上続けては患者がヤバイということでなければ,この際一挙にお願いします」と答える。
 術後2時間は絶対安静,通算3日間ベッドに寝たままの生活で,思えば50数年ぶりの入院経験だった。テレビも印刷物もあえて見ることをせず,ほとんど眠った状態で過ごしたのは楽だったけれど,そのわずか数日の間でも,世の中ではさまざまなことが起こっていた。
 ベッドで寝ていてふと目を開けると,前に白いボードのようなものが立っている。何だろうと思って目を凝らして見ると,姿勢を起こしているつもりで,天井が目に入っていたのだった。病室に様子を伺いに来る看護師さんが,ことさらに大きな声で,一語一語区切るようにして話しかけてくる。近年聴力が衰えているので,聞きやすいのはありがたいことなのだが,よほど耳の遠い老人だと思われているのだろうかと意識してしまった。
 幸い,出血も穿孔も無かったようで,予定どおり退院できたけれど,2週間経過するまでは低残渣食で過ごさなければならない。飲み物も,アルコール類,コーヒー等が禁止されていると,体だけでなく頭の働きもリズムが整わない感じで,自分の身体が思うに任せないのは情けないことだ。わが家の栄養士&調理師さんも,日々三度の献立に頭を悩ませている。
 帰宅後は,留守中に溜まった新聞やメール等に目を通して処理するだけでも時間が掛かり,ようやく,当面するその日その日の作業に手を回せるところまで追いついてきたので,今回の経験を記しておく次第だ。
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不意の来客

2017/09/10 22:05
 昨夜のこと,夕食後の片付けが済んだ食卓の上に,どこから来たのか一匹のカマキリガ乗っていた。最近は庭でも見かけることが無いのに,開いている入り口も無いはずなのに,不思議に思いつつ写真に収めた。
 しばらくして覗いてみると既に姿は無く,一夜明けて探しても,どこにもいない。どこを通ってどこに帰って行ったのだろうか。
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百日紅の花咲けば

2017/08/25 15:04
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 今年もサルスベリの花が咲き,「百日紅」の名のとおり,7月以来長く咲き続けて,夏を感じさせている。広島では.キョウチクトウとともに「原爆の花」と呼ばれている花だ。広島に原子爆弾が投下されて全市が焦土と化したあと,草木も二度と生えないと言われた中で真っ先に蘇り,毎年,原爆の日の8月6日を中心とした時季に咲き続けている。
 戦後22年,1967年に広島テレビが製作したセミドキュメンタリードラマ『百日紅の花』でも広島の「生」を象徴する題名になっている。これは,原爆を詠った広島の詩人として知られる栗原貞子の『生ましめんかな』から材を取ったドラマだ。
 栗原の詩は,こわれたビルディングのローソク1本ない暗い地下室の夜,「生ぐさい血の匂い、死臭」ただよう地下室をうずめている原子爆弾の負傷者たちの中で産気づいた若い女から新しい生命を誕生させた一人の産婆の姿を描いている。詩では「『私が産婆です。私が生ませましょう』と言ったのは さっきまでうごめいていた重傷者だ。かくてくらがりの地獄の底で 新しい生命は生まれた」と有る。テレビ番組は,そのとき生を得た娘と母の22年後の姿を,ドキュメンタリードラマとして捉えていた。
 「これまでにも何度か書いたことだけれど,8月は,父と祖父が亡くなった月だ。1944年8月,海軍軍人だった父は,乗艦が米潜水艦の魚雷攻撃を受け,沈没した艦と運命を共にした。そのあと,遺された母と子で戦火を避けて疎開した母の実家で一緒に暮らしていた祖父が,1年後の8月6日,たまたま所要で出向いていた広島で原子爆弾の投下に遇い,還らぬ人になった。父も祖父も,家族の許には遺骨すら戻って来なかった。私の記憶の中には二人とも今も生きているけれど,14年前に母が96歳で亡くなったあと,思い出を語り合い確かめ合える相手がいなくなったのは寂しいことだ。」(2016.8.15「亡き人を偲ぶ八月」より)
 父の戦死は,職業軍人として当然受け入れなければならなかったことだけれど,当時71歳だった祖父の思いがけない死は,祖父だけのことに止まらず,その後の私たち母子の暮らしに大きな影響を及ぼしたことだ。もし,もうしばらく祖父が生きていたら,私の人生も,今とはまったく違うものになっていたかもしれないと思わせられる。
 かくて,百日紅の花が咲くと,私は私で,「今年も生き長らえて夏を迎えた」という思いで眺めるのだ。
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蝉の生命

2017/08/20 14:59
 パソコンのインターネット接続ができなくなった。毎朝最初の作業としてパソコンを立ち上げ,肉親,知人のブログやツイッターをチェックし,メールの受信を確認するのを日課としているのだけれど,Webサイトもメールボックスも開くことができない事態で,パソコンや接続のためのルーターを再起動してみても,状況は変わらない。OSの業者,機器のメーカー,さらにはプロバイダーに問い合わせようとしても,どの電話も繋がらない。そこでようやく,原因は電話回線に有ると思い当たった。
 電話局に連絡するにも,電話が繋がらないのだからすぐにはどうしようもない。携帯電話で故障担当の番号に掛けてみたが,固定電話に関しては対応できないと言う。いろいろ調べて,何とか連絡が付き,点検に来てもらうことができた。
 私のパソコン接続は,電話の光回線と共通で利用している。その引き込みのケーブルにトラブルが生じて通信が不能になっているということで,原因は,ケーブルに蝉が穴を開けていたのだという。工事担当者の話によると,最近,同様なトラブルが増えているということだ。ケーブルに穴を開けて産卵するのだと聞かされたけれど,空中に張られた極めて細いケーブルに産卵しても孵化に至るとは思えない。
 近年,わが家の壁や窓枠などに蝉の抜け殻が止まっていることが多くなり,蝉の産卵できる地面や樹木が少なくなっているからなのかと思っていたのだが,最近では,その場所が軒先や窓の上の壁にまで拡がっている。地中で育った蝉の幼虫が脱皮するのは地上60cmくらいまでが限界だと聞いたことが有るけれど,蝉の生態も変わってきているのだろうか。それにしても,電話回線のケーブルにまで産卵するとは思いが及ばず,理解し難いことだ。また,漏水が懸念されることが有って上水道の水量計ボックスを開けてみたところ,中に数個の抜け殻が転がっていた。これは,地中から出る場所を間違えたということなのだろうか。脱皮したあとはどうなったのか,行く末が案じられることだ。蝉にとっても生き辛い時代だと思われる。
 ともあれ,ケーブルを繋ぎ替えて一件落着した。肉親,知人のブログやツイッターも接続が確認できた。ちなみに,上記のサイトは10件ほどなのだけれど,中には,書き込みが久しく途絶えているものも有る。半年以上書き込みの無いものや,長いものでは,1年を超える場合も有る。文章を書こうとする意欲が衰えているのだろうか,パソコンを操作するのが煩わしく感じられるようになってきたのだろうか,わが身の情況とも重ね合わせて安否を気遣いつつ,それでも,毎朝の日課として開けてみている。
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夏眠のとき

2017/07/31 20:26
 7月も末になったけれど,今月はまた,ブログの発信を怠ってきた。各地での豪雨が伝えられている中で,当地は連日の猛暑,夕立の気配さえ無い。頭も体も弱って,何をする気も起こらず,「無為徒食」というけれど,「食」も進まない状態だ。足腰にも力が入らず,家の外回りは荒れ放題,室内にいても,すぐ横になりたくなり,横になれば半ば眠っているようなことで,辛うじて,社会人野球の都市対抗大会と高校野球選手権大会に向けての各都道府県予選,大相撲名古屋場所の記録だけを何とか残して,この1か月が過ぎた。
 若い(と言っても60代半ばの)知人から「決して『やる気』など起こされずに、涼しくなる迄冬眠ならぬ『夏眠』をされていて下さい。」という暑中見舞いを貰ったけれど,まさに「夏眠」の状態と言える。
 前立腺がんの治療の後,3か月ごとに受けてきた次の検診でまる3年になる。結果は順調なようなので,その間,あえて放置していた他の部位も,この際調べておいたほうが良かろうかと思い,先日,消化器内科での内視鏡検査を受けたところ,腸にかなりの数のポリープが見つかった。小さいものはその場で除去したそうだが,まだ残っているものをどうするか,次回(8月)の予約日に主治医と相談することになっている。他の部位と言えば,喉や呼吸器のほうも気に懸かっているけれど,異状が見つかったとしても,この齢になって,経済的な事情も有り,さて,今さらどうしたものかと迷うところだ。
 ブログに書いても,タイトルどおり,まったくの「ボヤキ」にしかならないことが多くなれぱ,「グチ」と違って「ボヤキ」には批評が含まれていると考える私としては,書く理由が無くなると思ってしまう。そうなれば,あとは永眠するのみだ。
 先日105歳で亡くなった日野原重明さんは,新聞紙上に最後のメッセージを遺していたけれど,そんな身の程でない私の場合,死ねばそれっきりで,いつの間にかブログの発信が途絶えたと思われるだけだろう。せめて,限られた私のブログの読者にお別れを告げるにはどうすれば良かろうか。予め家族に頼んでおいて,ブログページのコメント欄に,通知だけでも書き込んでもらおうかと思ってみたりしている。
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ネットに頼り難い

2017/07/04 17:37
 先月の初めに,「ブログでの発信が途絶えると,気に懸けてくださる方が在るかもしれないと思い,かつて,『ボヤく暇が無い』と近況を記した記憶が有るので,探してみたところ,・・・・・・」という書き出しで,10年前を振り返って現在と対比した記事(「ボヤく余裕の無い日々」)を載せたばかりだったのだが,そのちょうど1か月後に,関東在住の弟から「(先日)ブログを開けてみたら消えていました。もう止められたのでしょうか。ひょっとして体調が悪いためなのではないかと心配しております。」 というメールが届いた。「消えていました」というのがどういう状況なのか分からないけれど,このところ1か月間は,むしろ頻繁に発信していて,記事に対するメッセージやコメントも,数人の読者からはその都度戴いているので,私としては予測していない事態だった。
 私と同年輩の知友だと,パソコンを使わない人も多いから,近況を伝えるにも手書きしなければならないのが億劫で,つい無沙汰になりがちだが,その点ネットは便利で,ブログに目を通してくれているはずの相手だと,近況や折々感じていることはそれで知ってもらえると思い込んでいたので,意外なことだった。
 近年はネットがもたらす弊害も少なくないようで,使う身としては心していることだけれど,私のブログは,不特定ではあっても,読んでくれる相手を想定して書いているものなので,ときには,批判的な内容に思い当たるところの有る人には不快なことかも知れないと思いつつも,私としては,分かっていてほしいことを記しているつもりだ。
 しかし,相手のパソコンに生じているトラブルまでは思いが至らない。当人も気付いていない場合も有るかも知れず,となると,ブログなら,その気が無ければ読まないでも結構だが,必要な連絡で送ったメールが届いたかどうか,返信が来るまで分からない。そうなると不便なことで,メールを出したあとから電話で確認するといった笑い話のような事態も考慮しなければなるまい。さて,どうしたものか。
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今にして思う

2017/06/30 15:25
 加齢とともに,楽しめなくなったことが増えている。
 旅行や行楽をはじめ,映画鑑賞など,時間を要する外出は,出掛け辛くなったし,時間の余裕ができたときの楽しみにしようと思って保存しておいたビデオや,ゆっくり読み直せると期待していた書籍も,今になってみると,視力の衰えで,思っていたようには楽しめない。それよりも横になって体と目を憩めるのが一番だと感じるときのほうが多い。
 外食はもとより,同様に老いを託ちながらも私の身を案じて悩んでくれている妻の心尽くしの手料理も,噛み辛い,飲み込み難いときが有って,楽しむところまではなかなか行かない。硬いものに限らず,野菜類でも,繊維質のものは食べ辛いし,米飯やパンでさえ,喉を通り難いときが有る。かといって,粥や,軟らかく煮込んだ老人向きの料理には食欲が湧かないので困る。
 96歳まで元気で生きた母が晩年,朝食時の食パンを,温めた牛乳に浸して食べていたのを想起する。愚痴めいて訴えることは少なかった母だけれど,私には気付けなかったことも有ったろうと,今にして思う。
 私としても,自分のことで愚痴っぽいことは言いたくないと思うのだけれど,このようなことをブログに書くのは,現実を客観視する意味のほかに,社会の高齢化の中で,やがては私と同じ年齢に達する人たちに,のちになって思い当たる前に,知っておいてほしいという気持ちからだ。離れて暮らしている息子にも,老いた両親の実態を知って,先行きのことを考えておいてもらいたいという思いは有るものの,まだできるだけ心配を掛けたくはないし,彼等にしてみれば,気には懸かっても,今どうにもならない「ボヤキ」を聞いても辛い思いをするだけなので,避けているところも有ろうかと察しられる。彼等には彼等の暮らしが有るのだから,それはそれで良いことだと思っている。
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耐用年数

2017/06/27 16:33
 地域の主だった医療機関の協力で毎年行われている各種検診の中で,後期高齢者対象の健康診査を受けて来た。4年前の健診で前立腺ガンが疑われ,精密検査の上で,翌年,39回の放射線治療を受けて以来,3か月おきの検査で経過観察を続けてきて,前立腺ガンのほうは順調な経過を辿っているけれど,その間,他の健診は受けていないので,今年あたり他の部分も確かめておく必要が有ると思い,行くことにしたわけで,10日後の結果診断を待っているところだ。
 ところが,当日,健診から帰ってみると,妻が,ウォーター・オーブンでパンを焼こうとして,生地を練り,いざオーブンに入れようとしたとき,スイッチが入らなくなったと言う。既に耐用年数は過ぎている製品だけれど,これまで役立って来たので,急に使えなくなると,暮らしの上でいろいろと支障が生じる。メーカーに問い合わせると,幸いなことに修理部品の在庫がまだ有るということで,早速,修理してもらえることになり,いったん冷蔵庫に保存しておいたパン生地も,2日後にはいつもどおりの出来で焼き上がった。しかし,遠からず,新しい製品に買い替えることを考えなければならないかもしれない。
 耐用年数と言えば,2003年製のガス・コンロも同様で,現行の安全基準には達していないと言われている。現在日常的に使っている製品でも,電気温水器が1998年,洗濯乾燥機が2006年、冷凍冷蔵庫が2010年と,いずれも購入したのはかなり前のことになり,いつ動かなくなるか,不安を抱えている。各種インフラが整い,それぞれに応じた機器が普及して,何事も便利な今の世だけれど,それらが急に使えなくなると,たちまち暮らしが成り立たなくなるものばかりで,考えようによっては不便な時代だ。乏しい年金収入に頼っている身では,耐用年数の切れた機器を買い替えるのも思うに任せないとなると,心細い限りである。
 さて,かく言う私自身の耐用年数はあとどのくらい残っているのだろうか。日常の雑用でさえ体を動かすのを辛く感じる昨今だ。健康診査を受けてみたところで,どうできることでもないようにも思う。人生の賞味期限はとうに過ぎているけれど,消費期限はどうなのか。今の住まいや使っている機器のほうが少しでも長く保てば良いのだけれど・・・・・・と思わざるをえない。
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思い出すこと

2017/06/18 15:38
 私が大学生だったとき,当時,出来て間も無かった予備校にアルバイトに行っていた。校名は広島英数学館,館長は田中勉と言い,のちに,西日本最大の私立学園組織「学校法人・加計学園」を作り上げた加計勉氏(1923〜2008)で,広島英数学館の設立がその出発点になる。そのころはまだ30代に入ったばかりだったと思うけれど,大柄で温厚な人だったという印象が残っている。予備校のアルバイトと言っても,授業を受け持つ力は私にはまだ無かったから,当初は,模擬試験の監督の仕事だったが,なぜか,館長に認められ,各地の高校を訪問して模擬試験の参加者を募る仕事を任せられ,主に山口県を担当して学校巡りをした。
 加計氏は,戦中の広島高等師範学校の出身で,卒業後赴任した兵庫県立姫路工業学校の生徒と共に陸軍に召集され,生徒たちを引率して小倉の戦闘機工場に配属となった。その折,引率責任者として生徒たちの待遇改善を求めて,軍側責任者と対立したことも有ったと言われる。
 戦後,広島文理科大学に入り直し,卒業後数年間の教職経験を経て,自ら学園を設立したのちは,「私学にしかできない,よりリベラルでアカデミックな場所を」という理念の実現を目指して,岡山理科大学をはじめ多くの学校の経営に当たったが,「教育者を名乗るのは現場の先生方に対しておこがましい」と,自らは「教育事業者」を名乗ったという。
 以上は,私の個人的な思い出と,のちに仄聞した氏の経歴だ。私としては,大学を卒業したのちはまったく関わりの無いまま過ごして来たけれど,最近になって,加計学園が安倍首相との関連で報道され,世間から注目されているので,思い出すことになった。
 氏が85歳で亡くなったあと学園を継いだのは息子の孝太郎氏だというが,その人柄はまったく知るところでない。孝太郎氏と安倍首相とは,アメリカ留学時以来長年の親交が続く仲だと聞くけれど,孝太郎氏が事業欲を満たすために首相を利用しようとしたのか,首相が現在の権力を誇ろうとしたのか,はたまた,首相の取り巻きが過度に「忖度」を働かせたのか,いずれにしても,「原子爆弾によって廃墟と化した広島の街を前にして教育による日本の復興を志した」という,かつての勉氏の気持ちからは遠いことのように思われる。
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政権の横暴を止めるには

2017/06/16 17:46
 安倍政権の横暴な国政運営は,国会の会期末に当たって,今や極限に達した感が有る。自民党員は首相の言うなりに従う手下であり,協力的な政党は,もはや傀儡でしかない状態だ。批判の自由を放棄しつつある報道機関まで出始めている。
 さらに,内閣官僚からの内部告発に対して,義家文部科学省副大臣は,「一般論として」と断りながらも,「非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可無く外部に流出されることは,国家公務員法(守秘義務)違反になる可能性がある」と脅しを掛けている。
 すべては,国会議席数の圧倒的多数に頼った政権党としての振る舞いで,そういう状況を作り出してしまった国民(一般有権者)であってみれば,対処のすべが無い。
 さすがに少しは取り繕わなければならないと思ったのか,「共謀罪法案」を成立させておいてから,加計学園問題の集中審議の場を改めて設けはしたものの,所詮は,限られた時間内での,つじつま合わせと弁明の場にしかなっていない。
 それにしても,公務員は政権の召し使いではあるまい。「公僕」の「公」には「国民」の意味も含んでいるはずだが,その国民が選んだ「公」の政権であると居直られれば,政治主導を建前とする制度下で,官僚は異議を申し立てるわけにもいくまい。
 国民が解散請求もできないとすれば,かくなる上は,実力行使しか無いのかという気にさえなるけれど,穏やかな方法で民主的に事態を打破するには,有権者が選挙区ごとに力を結集して,個々の選出議員に働き掛けていくしか無いのだろうか。

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南無阿彌陀佛

2017/06/12 20:43
 母が96歳で亡くなってから,この6月で15年になる。母の没後,毎朝欠かさず仏壇に向かって「佛説阿彌陀經」を唱えてきた。特に信仰心を持っているわけではないのだけれど,母が生前欠かさず唱えていたので,母の供養のつもりで引き継いできたことだ。しかし今では,毎朝10分余りの読経が,腹から声を出す機会が無くなった私自身にとって,健康法の一つになっているとも言えよう。もっとも最近は,思うように息が続かず,声も出し辛く感じるようになってきた。一方で,読経の前後に「南無阿彌陀佛」と名号を唱えると,少年時代の一時期一緒に暮らしていた母方の祖母が,「ナマンダブ,ナマンダブ」と折々小声で口にしていた姿を思い出し,私の称名も,音調が祖母に似てきたような気がしている。 
 人は加齢とともに,体のあちこちに苦痛が生じ,痛まないまでも,体力を消耗して辛く感じることが増えてくる。体調が優れないと,人に対しても,苛立ちを感じたり不快感を抱いたりする場面が多くなるようだ。それやこれやで気持ちが落ち込み,何かにつけて嘆息を漏らすことが有る。
 「南無阿彌陀佛」は,阿彌陀如来に辛さを訴えたり,救いを求めたりする言葉だと思うのだが,「あー」とか「ふー」とか,愚痴っぽい気分を伴う嘆息よりも,自らの気持ちを安らげる力が有るのではなかろうか。老いた祖母が名号を口にしていたのは,何が辛くて自分を慰めていたのだろうかと,今にして思う。
 私も,老いて生きることの辛さを感じるとき,「往生安楽国」を願い,阿彌陀如来のお迎えを待つのに近い気持ちになっているときが有るけれど,私が先に逝くと,遺った妻が困惑することも有ろうかと考えると,自分だけが楽になるわけにもいくまいと思いつつ,「ナマンダブ,ナマンダブ」と呟くことになる。
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過去に学ぶ

2017/06/09 20:25
 自分にとって不利な言論に対して「印象操作」という「レッテル貼り」を繰り返す安倍政権は,他国からのテロやミサイル攻撃により国家・国民の安全が脅かされるという不安を煽り,その危険を防ぐことを理由に,「安保法制」の制定に次いで,「共謀罪」を盛り込んだ新しい法律を強引に成立させようとしている。
 しかし,過去の歴史を顧みると,国家により国民教育が支配され,「挙国一致」体制下で制定された「治安維持法」を基に,国民に対する国家権力の監視活動が強められ,権力に反抗する力は悉く潰されただけでなく,無辜の一般人まで,官憲の手で虐げられた記憶は,それほど古いものではない。ドイツでナチスが全権を掌握し,国を挙げて戦争に突き進んだ情況とも思い合せられる。
 「主権在民」,「戦争放棄」,「基本的人権の保障」を柱にした現在の「日本国憲法」が成立し,今日まで命脈を保ってきたのは,多くの国民が過去の過ちを教訓としているからにほかならない。にもかかわらず,憲法の柱を根底から揺るがそうとしている現政権の動きに,過去を知る国民は不安を抱いている。
 過去を知らない若い国民は,教育の「中立」の名の下に過去の歴史から教訓を得る手段を奪われ,逆に,支配者のほうは,都合の悪いことは全て「機密」として覆い隠すとともに,国民に危機感を抱かせることによって権力を握るという手法を過去から学んでいるように思われる。トランプ米大統領のやり方と共通しているところも有る。
 国による教育の支配と選挙権の年齢引き下げとは,国政を意のままにしようとする政権の深慮が有って連動しているものではないかとさえ勘ぐりたくなる。北朝鮮のミサイル発射実験に際して交通機関を止めたのも,危機感を持たせるための政権の方策ではなかったかと疑われてくる。
 思えば,「印象操作」や「レッテル貼り」は,もともと安倍政権が得意とした手法ではなかったか。危機感は,国政の行き先に対することのほうがより強い。
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ボヤく余裕の無い日々

2017/06/03 16:17
※(以下の記述は,6月1日に書いたものだが,このブログを始めてから長年使ってきたワープロ専用機からの文章変換のためのシステムが使えなくなり,ブログ・ページに直接入力することにしたので,時間が掛かり,ミスも有るのではないかと気に懸かりつつ発信することだ。)

 このところ,ボヤく暇の無いまま,5月が終わった。「暇」というよりも,気持ちの「余裕」というほうが適切かもしれない。
 食事を伴う会合が続いたり,しばらく音信が無くて安否の気遣われた旧友が何年ぶりかで訪ねて来たりした。最近は,日常の暮らしの範囲を越える事が有ると,体力的に疲れてしまい,気持ちの余裕まで失われる。
 ブログでの発信が途絶えると,気に懸けてくださる方が在るかもしれないと思い,かつて,「ボヤく暇が無い」と,近況を記した記憶が有るので,探してみたところ,10年前の「世の中にはボヤきたいことが次々と出てくるけれど,ボヤく暇が無いのは良いことか,困ったことなのか,どちらか分からないが,考えて文章を書く時間が減っているのは確かなことだ」という記述が見つかった。今,そこまで遡って読んでくださる人は在るまいから,一部抄出してみる。
 10年前と今とでは,「暇が無い」理由はかなり変わってきている。10年前の場合は,「意識調査アンケート(延べ8,000項目を超えるデータ)のパソコンでの集計を頼まれた」,「盲目の人から図書の音訳を(ボランティア・サークルからは退いて数年になるのだが)個人的に依頼された」などで,「社交ダンスの練習とウクレレ・サークルの活動」も,今では遠ざかってしまった。そのころはまだ若かった,と顧みて思う。
 季節の変わり目に当たっての家の内外の雑用,庭木の徒長した枝や落ち葉の始末,衣替えのための衣服の出し入れ等は,毎年変わらないことだけれど,体力が衰えてきているので,長時間の作業は続かず,少し無理をして疲れが溜まると.体力だけでなく,集中力や思考力,視力まで衰え,回復するのに何日も掛かる。
 変わっていないのは,シーズンたけなわの大学・高校等の野球データの処理で,「先月(2007年8月)初めに亡くなった阿久悠さんと同世代の私は,同様に,野球と歌謡曲とが戦後の平和と共に与えられた最大の愉しみで,今も飽きること無く記録し続けている」と,かつて書いているとおりだ。
 「世の中にはボヤきたいことが次々と出てくる」のも十年一日のごとくだが,今は,安倍政権の独善・専行と追随者の批判力の欠如が目に余る。同じように感じている人も少なくないことだろうが,誰でもが言うようなことを更めて書いたところで始まらないだけでなく,所詮はゴマメの歯軋りで終わることだと思うと,書く気にもなれない。政権を批判する記事をメディアが書けば,「報道テロ」と一蹴されるばかりでなく,「共謀罪」とまで言い出されかねない。私としては,今の政権のやり口のほうが国民と民主主義に対する「政権テロ」ではないかと言いたくなるし,それに追随する政権党員や協力政党こそ,「共謀罪」を犯しているようなものだと思われてならないのだが・・・・。
 ところで,暇の無かった日々の締めくくりで,この週末に,私の次男が身内だけでのささやかな結婚式を挙げる。人生も半ばを過ぎてようやく伴侶を得たということで,一安心できることではあるけれど,親としては,この齢になって,祝ってやれる経済力が既に無い自分をボヤかなければならない。
 
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「老人性うつ」

2017/05/08 19:32
 最近,新聞等で目につくのは,「尿のトラブル」と「うつ」に関する記事や広告で,それだけ,同様な悩みを持つ人が多いということなのだろうかと思いつつ,私にも当てはまる点が有るので,他人事とは言っていられない。
 「老人性うつ」の症状としてそこに挙げられているチェック項目を見ると,下掲のようなことが有り,その全てが当てはまるわけではないし,「病」というほどの状態でもないけれど,日常の暮らしの中で,心身の老化,生活力の低下に伴う「症状」として私が感じていることのいくつかが該当するのは事実で,体調として気候の変化に順応し難くなっている面でもある。
*  *  *
□体がだるく疲れやすいので,何をするにも億劫で,身辺の雑事がなかなか思いどおりに片付かない。特に朝は調子が悪く無気力になりがちだ。
□首筋や肩が凝り,頭痛が起こりやすく,耳鳴りや吐き気を感じることも有り,ときに,腹部や胸部,関節等が痛む。
□進んで食べたいと思う物が無く,食欲が出ない。
□心悸が昂進し,不眠になりがちだ。
□喉が詰まって息が続かず,呼吸が辛いときが有る。
□体調が優れないために,医療機関で検査を受けても,特に異常は見つからない。
□気持ちの上では,楽しい,面白いと感じることが少なくなった。何事にも,興味や意欲が湧かず,テレビ番組を見てもつまらなく感じることが多い。
□身辺の些細な事にこだわり,思い詰める。
□周囲の人に気を遣い,行き届かないのを惧れて,対人関係が煩わしくなる。
□自己主張,自己顕示が強くなり,押し付けがましく高飛車な物言いが多くなる。
□物忘れが増え,不安感や焦燥感が強くなって,気持ちに落ち着きが無くなる。
*  *  *
 私の場合,該当するのは5項目くらいで,神経症的なものであれば,重症にならない限り,医師や薬には頼らないほうが良いと思い,それよりも,自覚的に気持ちをコントロールするよう心掛けている。老化による体力の衰えが影響するのは自然な成り行きだろうけれど,経済的な不安が無くなれば解消することも,案外有るのかもしれない。それを願って宝くじを買い続けている。
 また,「うつ」の原因には,個人的な性格や家庭の事情によることも考えられるが,今の世の中には,「うつ」を引き起こす社会的な要因も少なくない。「うつ」だから気が晴れないのか,気が晴れないことが多いから「うつ」になるのか,どちらとも言い兼ねる。
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問われる「資質」

2017/04/25 17:24
 内閣閣僚としての資質が問われる問題が次々と指摘されている。失言を撤回する例も多いけれど,「失言」とは,立場上言うべきでないことを言ってしまったということで,内心の思いを正直に口に出したということにほかならず,むしろ「暴言」というべきことが多いように思われる。その根底に在るのは,職務,役割の自覚に欠けているということだ。閣僚に限らず,社会人の「資質」として必要なものは,自らの職務,役割についての自覚と責任感であり,職務上向き合う対象を理解する力だ。上司は部下の気持ちを,教師は生徒の思いを把握し理解することだ。そして,自分の判断を省みて検討を加えることも,必要な資質の一つだろう。
 まして,政治や行政に携わる者であれば,国民の暮らしに対する理解と,きめ細かい配慮が欠かせないと思うのだが,今の政権にそれが有るとは思えない。逆に,「暴言」の言いたい放題で,政権はそれを庇い正当化するばかり,閣僚の資質を問う姿勢は皆無と言っても良い状態だ。それを問えば,最高責任者である首相の資質そのものを問うことになるから,触れるわけにはいかないということだろうか。
 それに対して官僚は,自らの保身に関わるからか,終始,権力者の思惑を忖度し顔色を窺っているように思われる。現役の間はやむを得ない面も有るかもしれないが,職務を退いた後は,省みて内実を語り,構造上の問題点を指摘する人がもっと在っても良いのではなかろうか。
 民主主義の成立には批判勢力の存在が不可欠だ。国を思いどおりに動かそうとする政治権力に対して,野党だけでなく,ジャーナリズムも批判的な立場で臨むのは当然の役割であり,それに対して政権側が反論するのもまた当然のことだろう。国民は,両者の意見を聞いた上で,各自が判断を下すことが必要なので,権力者が意に添わないメディアに圧力を加え,そのためにメディアが萎縮したり,チェックするべき機関が権力者の御機嫌を窺ったりするようなことが有ってはなるまい。
 アメリカとの関係にしても,アメリカ政権の独善的な動きに対して,日本の政権がどう対応するかということにこそ重点を置いて論調を展開しなければならず,そうでなくても,最近の日本メディアの動きには,政権に遠慮する姿勢が感じられる折から,他国を批判するよりも,自国の政権と向き合って,国民の立場で正面から戦うことこそが,健全なジャーナリズムの在り方として重要だと思う。そうでなければ,日米ともに民主主義は遠からず終わってしまうとさえ危ぶまれる。
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帰らざる旅

2017/04/07 13:37
 4月5日,詩人の大岡信さんが亡くなった。大岡さんの業績を挙げれば書き尽くせないほど有るけれど,1979年から2007年に至るまで「朝日新聞・朝刊」に連載されたコラム『折々のうた』ほど,「和歌や俳句から歌謡や漢詩、近・現代詩に至るまで多彩なジャンルの詩歌を取り上げた」(4月6日付「朝日新聞・朝刊」)一大アンソロジーとして,多くの人たちの心を引き付けたものはなかろう。足掛け29年,6762回にわたって掲載された詩歌は,作者の有名無名にこだわらず,私の何人かの知人の作品も取り上げられたことがあり,まさに現代の『万葉集』と呼ぶにふさわしいもので,その全ては,岩波新書としても,80年から07年にかけて19冊に及び,2冊の索引も付して出版されている。
 岩波新書版は,先年,私の「終活」の一環として蔵書を整理した際に知人に譲ったので,今は手許に無いけれど,2007年2月14日付の新聞の切り抜きが残っているので,転記しておきたい。
 「わが妻を愛(かな)しみにくみかくしつつしづかなる老(おい)に入り難きかも」結城哀草果『まほら』(昭23)所収。「現在の日本では農業の性格も変革をとげたし、農民のあり方も大いに変わってきた。農民歌人といえば真っ先に名前があがった結城哀草果だが、哀草果のような純然たる農民歌人は、今後現れることはないのではないかと思われる。彼はきびしい農耕に従事し、かたわら数冊の歌集をはじめ、『村里生活記』『農村歳時記』のような随筆集で大いに健筆ぶりを示した。右の歌、最後の七音が印象的。」
 これを切り抜いた理由は,連載の最終回となるものとして残しておきたいと考えてのことだったと記憶しているのだけれど,「朝日新聞」の今回(4月6日付)の死亡記事では,「最終回は『薦(こも)着ても好(すき)な旅なり花の雨』(江戸時代の女性俳人、田上菊舎)」となっている。「ねがはくは花のもとにて春死なむ」という西行の歌が好きだったという大岡さんがそのとおりの旅立ちだったので,記者の思い入れが先行したのではなかろうかと,勝手に憶測している。
 享年86歳という大岡さんは,2009年に脳出血,2011年に誤飲性肺炎を患い,会話は出来ない状態で療養中だったというから,大往生と言っても良い最期だったのだろう。昨年来,永六輔(83歳),船村徹(84歳)など,私と年齢の近い人たちが次々と逝ってしまった。永さんや船村さんにしても,既に何年か前から重篤な持病を抱える状態になっていたと聞くから,それも寿命だったのだろう。
 80代の享年と聞くと,私にはまだ先のことのように思っていたときも有ったけれど,「平均寿命」が伸びている中で「健康寿命」ということが言われるようになり,「2014年の日本人の平均寿命は,女性86.83歳,男性80.50歳にまで伸びている。平均寿命が大幅に伸びた今,一方で,日常的に介護を必要とせず,自立した生活を続けられることを示す『健康寿命』の2013年の算出結果は,女性74.21歳,男性71.19歳だというから,平均寿命との差は大きく,わが老々夫婦もとっくにそれを超えていることになる」「高齢化がわが身の問題としても現実に迫っていることを認識し,先行きの覚悟をしなければなるまい」と,かつて書いた(15.8.31「健康寿命」)けれど,そう考えれば,私の齢は,未だ「日常的に介護を必要と」はしていないものの,亡くなった人たちを既にはるかに越えていることになる。
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川柳の力

2017/04/01 19:24
 「かねて私は,ツイッターが長文の記述には向いていないために,断片的で言葉足らずの内容になりがちで,誤解も生じやすいことから,事実の即報的な発信の外は,安易なツイッターの使用に疑念を抱いていた。特に,言葉を尽くして行き届いた説明をしなければならないはずの政治家がツイッターで軽はずみな発言をすることには不信感を拭えなかった。」(11.3.12「ツイッターの功罪」)
 「ツイッターとは,もともと少ない字数で,現況を伝えたり,連絡を取りあったりするシステムだと思っている。その限りでは役立つと思うけれど,最近,意見表明の手段として使われるようになってきていることには,疑問を持つ。ときには,敵対する意見の人への誹謗が中心になることも有る。字数が限られているから,真に意を尽くすことはできず,一方的で独善的な自己主張のみになりやすい。政治的には,ポピュリズムを助長する扇動になる場合も有ろう。」(12.3.2「ツイッター雑感」)
 「愚痴や鬱憤をツイッターで晴らすのも良かろうが,時と場合を考えなければ,子どもが刃物を振り回すようなもので,まして,公的な立場に在る人が職務に関わることで私的な感情を露骨に表せば,問題は大きい。つい本音を漏らして正体を露わにしたとも言えるけれど,一方的な自己主張や誹謗・中傷の手段になれば危ういことで,そういう無思慮な人が公職に就いているというのは嘆かわしいことだ。首相や閣僚をはじめ,地域の首長や議員も心してほしい。」(13.6.19「ツイッターの危うさ」)
 上に抜粋したように,ツイッターに対する疑念をこれまでに何度か書いてきた。最近では,トランプ米大統領の言いたい放題の濫用ぶりが目に余ることだと感じている。公職に在る人のツイッター使用は,害にしかならないものが多く,禁止すべきだとさえ思う。一般人の場合でも,ヘイトスピーチに属するようなものは排除すべきことだろう。
 そこで思いつくのは,「川柳」という表現手段だ。かつて鶴彬(1909〜1938)という川柳作家が在った。帝国主義の時代に軍国主義・資本主義優先に対抗する「一つの武器」として「火箭」と呼ぶにふさわしい川柳を発表し続け,治安を乱すと見なされて検挙された獄中で罹った病のため,29歳の若さで世を去った。代表作としてよく知られているのは,「手と足をもいだ丸太にしてかへし」(1937年)だけれど,「重役の賞与となった深夜業」(1929年)は,現代において,過労死を招く時間外の超過労働で問題になっているブラック企業の経営に共通している。
 ツイッターに代わる社会批判の端的な手段としては,「川柳」こそ有効だという気がして,直近の新聞の投稿川柳欄『朝日川柳』(西木空人選)で目についたものを拾ってみた。
 「忠誠を尽くせ大奥守り抜け」(3月29日・長崎県 下道 信雄)
  ……自民党では「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」が生きている。
 「春うらら各省逃げ足競い合い」(同・三重県 山本 武夫)
  ……あちこちでさんざん権威を振りかざしておいて。
 「もごもごと屁理屈をいう傘の下」(3月30日・神奈川県 石井 彰)
  ……発言できない「折り鶴」だけが席に着いている。
 「この国はそもそも司法が忖度す」(同・東京都 久保 陽介)
  ……行政のみならず司法までもが顔色を窺って。
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永六輔は生きている−−知らなかったこと・続

2017/03/21 19:46
 「人の死は一度だけではありません。最初の死は、医学的に死亡診断書が書かれたとき。でも死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。そう僕は思っています」(「永六輔のお話し供養」2012年12月刊・小学館)
 「人の死」についての同様の思いを,これまで私も,どこかで聞いたこととして何度か書いてきたけれど,永六輔さんの言葉だったということを,BS朝日のザ・ドキュメンタリー(3月16日)永六輔「上を向いて歩こう〜黒柳徹子が語る“心の友”〜」で知った。
 昨年7月7日に83歳で亡くなった永六輔さんについて,雑誌「話の特集」の編集長として交わりの深かった矢崎泰久氏が,9月11日の「朝日新聞」(読書欄)に,「永六輔 その世界」と題して書いている文章の最後に,「(永六輔作品集「上を向いて歩こう」というCDに収録されている)『ここはどこだ』を是非聴いて欲しい。沖縄への想(おも)いと深い反戦の意志が聞こえてくる」と有るのを読んで,「そういう曲が有ったのを知らなかったので,まだ知らないことが有ると痛感しながら,早速,ネットで探して聴いた……」と書いた(2016.9.13「知らなかったこと」)けれど,「知らなかったこと」がまた一つ増えたことになる。
 同じ番組で,「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返してゆくこと。誰かに借りたら誰かに返そう。誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう」という言葉も紹介されている。これもどこかで読んだ覚えが有り,心に残っているのだが,永さんの言葉だとは知らなかった。
 また,永さんが大学生のときに民俗学者・宮本常一さんから言われた「スタジオでものを考えるな。放送の仕事をするなら,電波の飛んでいく先に足を運び,そこで見てきたこと,聞いてきたことを,スタジオに持ち帰って発信しなさい」という言葉が,その後の永さんの仕事の基になっているということも教えられた。私とは地縁の有る宮本常一さんと永さんとがそういうところで結び付いているということに,「人の縁」についての思いを深くする。
 かくて,永さんは今も,私の「心の中で生き続けている」。
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我が良き友

2017/03/17 12:38
 先日(3月1日)亡くなったムッシュかまやつ(かまやつひろし)が1975年に歌ってヒットした『我が良き友よ』(作詞作曲・吉田拓郎)が頭に浮かぶ。当時,かまやつは36歳だった(吉田はもう少し若い)はずだから,詞の内容からしても,歌われているのは大学生時代の「友」に違いないが,私の場合,「下駄を鳴らして……腰に手ぬぐいぶら下げて」いたのは,中学生から高校生の頃だ。靴など手に入り難い時代だったということもあるけれど,私にとっては,それが一つのダンディズムだった。
 中学生の頃,学校の休みの日には,担任だったN先生の家に級友たちと集まった。私は,先生の蔵書を読み漁った。先生が当直の日には,当直室で遊んだ。先生の恋人だったO先生も一緒のことが多かった。あるとき,O先生が「人を恋するって苦しいことよ」と,早熟な文学少年だった私にふと漏らしたことが有ったのを覚えている。N先生は,私たちが中学3年になる春,退職して東京に出た。謄写版で手刷りにした学級新聞に私が書いた校長批判の文章の責任を取ったのかと考えられるけれど,彼にとって,田舎の中学校教師で終わりたくないという野心を実行に移す良いきっかけだったのかもしれない。O先生は取り残され,彼女もまた学校を辞めて,私が1年後に入学することになる高校が在った町の実家に帰った。
 半農半漁の田舎で,高校に進む者は少なかった当時,郡内で唯一の高校に入学すると同時に下宿をすることになり,友人も,文学仲間,スポーツ仲間など,幅も数も変わった。休日で下宿暮らしの無為の時間を持て余すときは,O先生を訪ねた。かまやつの歌では「語り明かせば 下宿屋のおばさん酒持ってやってくる」と有るけれど,彼女は,私が煙草を欲しいと言えば買ってきてくれたし,下宿での夜,独りで飲むための酒も,一升瓶で調達してくれた。私は,もちろん未成年だった頃のことだ。学校に比較的近く,自転車通学をしていた友人の家で語り明かしたことも有るし,沖の小島まで舟を漕ぎ出し,夜の浜辺で酒宴を催したことも有る。
 今ではもう,N先生もO先生も亡くなった。当時の友も齢を取って,多くが先立ち,便りが途絶えたまま現況不明の友も少なくない。「便りしたため探してみたけれど 暑中見舞いが返ってきたのは秋だった」という歌の文句と似た情況だ。
 老いたのちは,インターネットでのブログやメールを通して生じた交流の相手が,数少ない「良き友」だけれど,それも年を経るほどに,ブログ・サイトをクリックしてみても,書き込みの無い日がずっと続いていることが多くなり,健在かどうか,確かめられないのは寂しいことだ。
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「教育勅語」を問う

2017/03/12 15:47
 敗戦後72年を迎えようとしている今,127年前の「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」)を国民の道義として更めて称揚する人が在る。彼ら・彼女らは,どれだけ「教育勅語」を知り,真に理解した上でのことなのだろうか。
 私は,小学校(=当時の国民学校)に通っていたころ,「教育勅語」を暗唱した世代だ。学校の門を入ると右手に,立ち木に囲まれて小さいながら神殿を模した荘厳な建物(=奉安殿)が在り,中を見たことは無かったけれど,天皇皇后両陛下の御真影(=肖像写真)と「教育勅語」が納められていると聞かされ,校門を出入りするたびに最敬礼をするよう教えられた。国の祭日に学校で催される儀式の際には,校長先生がそこから取り出された「教育勅語」を白い手袋をして捧げ持ち,講堂の壇上で謹んで朗読する間,「朕(ちん)惟フ(おもう)ニ我ガ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」で始まる「爾(なんじ)臣民」へのお言葉を頭を垂れて拝聴していた。
 今,「教育勅語」を日本国民不変の道義だと称揚する人たちは,「父母ニ孝ニ兄弟ニ友(ゆう)ニ夫婦相和シ」という部分を念頭に置いているのだろうが,当人自身,それに続く「朋友相信シ(あいしんじ)恭儉(きょうけん)己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ(およぼし)」を心から信奉し実践しているのか疑わしい。
 東日本大震災から6年になるけれど,今なお苦しんでいる被災者に対して「博愛衆ニ及ホシ」の心で臨んでいる政治家がどれだけいるのか,3月11日を中心にマスメディアの報道が震災で亡くなった人々への追悼と6年後の現実に向けられているのを好機とばかりに,当面している己に都合の悪い情況から国民の目を逸らし,記憶を消して,無かったことにしようと図っているとしか思えない政権の動きをはじめとして,「朋友相信シ」られないことが続出している。「徳器ヲ成就シ進テ(すすんで)公益ヲ廣メ」の実現にも真剣に取り組んでいるとは考え難い。
 それでも,確かに遵守できれば理想として良い徳目も有る中で,最も否定しなければならないのは,国民を戦争に駆り立て多くの命を失わせる裏付けになったとも言える「常ニ國憲ヲ重シ(おもんじ)國法ニ遵ヒ(したがい)一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(ほうじ)以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分だが,それまでも「拳々服膺」すべきことだと考えているわけではあるまい。
 今の時代になって「教育勅語」を持ち出し,戦前・戦中の教育を蘇らせようとする考え方が堂々と語られるとは,これ以上長生きしたくないと思いたくなる。
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