ShoGのボヤキ念仏

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<<   作成日時 : 2006/06/26 19:22   >>

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 奈良県で自宅に放火して継母と幼い異母弟妹を死に至らしめた高校1年生が漏らしたという「リセットしたかった」という言葉が気に掛かる。彼は,何を「リセットしたかった」のだろうか。
 人は誰でも,自分の人生を,どこかでリセットして,そこからやり直したいと思うことが有ろう。しかし,人は,自分の生まれ育つ環境を自ら選ぶことはできないものだから,生まれて来たことをリセットするわけにはいかない。その環境を壊してみたところで,自分が生きている限りは,リセットしたことにはならない。真にリセットしようと思えば,他者の死ではなく,自らの死によってしか実現できないことだ。その見極めが冷静にできていない例が近年多いように思われる。
 リセットを想定できるのは,生まれ育ってきたことではなく,自分が選択し,決定したことについてであるはずだ。例えば,結婚や職業の選択をリセットして,やり直す人は少なくない。条件しだいで,それは可能なことだろう。
 しかし,人生には,いったん選択したからには,後戻りできないことも多い。インターネット上でも,アンケートや懸賞などで,「戻る」や「更新」をクリックしないでください,という表示の出ることが有るが,人生の選択もそのようなもので,自分の選択には最後まで責任を持ち,あとから生じた問題は,自ら解決しなければならないことだ。
 放火した少年の場合,これまで,良い子であり,良い兄であり,優秀な生徒であることを演じ続けてきたところに無理が生じ,そんな自分をリセットしたかったのかもしれない。
 その父親にしても,再婚した家庭におけるわが子への対処の上で,無理をしたところが有ったかもしれないし,継母には,良い母親であろうとする無理が無かったとは言えないだろう。今にして,リセットしてやり直したいことは,親のほうにも多いかもしれないが,一回きりの生涯で,過去に戻ることのできないのが,人の哀しく辛いところだ。
 去る5月30日に亡くなった映画監督・今村昌平さんの第1回監督作品「盗まれた欲情」(1958年・日活)のラストに,人妻である女(南田洋子)との恋を諦め,自分に惚れているその妹(喜多道枝)との再出発を決意する主人公の青年(長門裕之)を励ます妹娘の台詞で,「回り道なんてもん,あらへんと思うわ。その回り道がまっすぐな道やと思えば,まっすぐな道やと思う道が,ほんまは回り道や」という言葉が有る。過去を消去するのでなく,これからの道を改めて選択し,自ら行動することが求められるのだが,そういう逞しさが育てられていないところから,多くの悲劇が起きている。(ちなみに,今村昌平は,息子を医者の後継ぎにしようとした父親を騙して文学部に進んだ。)

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