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zoom RSS 譲り葉

<<   作成日時 : 2009/04/23 20:32   >>

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 この季節になると,河井酔茗(1874〜1965)に『ゆずり葉』(1932)という詩が在ったのを想起する。今は,同題名の全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画が話題になっているが,これは,ろうあ者の権利を訴える活動の記録を,さまざまな人との出会いの中で,あとに続く若い世代に伝えて行くストーリーだという。

 「子供たちよ。/これは譲り葉の木です。
  この譲り葉は/新しい葉が出来ると
  入り代ってふるい葉が落ちてしまうのです。

  こんなに厚い葉/こんなに大きい葉でも
  新しい葉が出来ると無造作に落ちる
  新しい葉にいのちを譲って――。」

 ユズリハではなくても,新芽の出るこの季節は,庭の大小の木々の落葉,落花が盛んだ。私としては,日々,掃除に追われることになる。そして,それすらも億劫で,年ごとに「いのち」の衰えを感じさせられるが,仕事を譲り渡す相手は無い。木々は,若い葉が茂り,新しい花芽を付けて,さらに成長していくけれど,一枚の葉にすぎない一人の人間は,そうはいかない。

 酔茗は,続けて歌っている。

 「子供たちよ。/お前たちは何をほしがらないでも
  凡てのものがお前たちに譲られるのです。
  太陽の廻るかぎり/譲られるものは絶えません。

  輝ける大都会も/そっくりお前たちが譲り受けるのです。
  読みきれないほどの書物も/みんなお前たちの手に受取るのです。
  幸福なる子供たちよ。/お前たちの手はまだ小さいけれど――。」(以下略)

 しかし,今の子供たちが譲り受けるのは,酔茗の言う「良いもの」「美しいもの」とは限るまい。今の子供たちが「幸福」と言えるかどうか分からない。それを思うと,酔茗の時代は,良き時代だったと言えよう。そして今は,子供たちに譲るものとて無い老いた葉も,安んじて散り落ちることができそうにない。
 それにしても,政治家の「譲り葉」だけは,戴けないものが多いことだ。

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