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zoom RSS 戦中戦後の暮らしを憶う

<<   作成日時 : 2011/04/10 19:48   >>

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 煙草を買いに行ったら,私がいつも購入している銘柄が売り切れていた。報道によると,これも東日本大震災の影響で,生産する工場が稼働できなくなっているという。いよいよ煙草も,敗戦直後の状況に似てきたということか。
 資料によると,戦争末期には,煙草も1日3本の配給制になっていたという。そこで,煙草を自家製造するための「煙草巻き器」が登場する。鰹節削りのような箱の上に紙を敷き,細かく刻んだ葉を載せて,巻き寿司を作る要領で,ローラーで巻く方法だ。当時はまだ子供だった私がそれを覚えているのは,当時,四国の田舎で煙草を栽培していた親戚が密かに送ってくれたものを刻んで巻き,食料と交換していたからだ。煙草の葉が手に入らない人は,野草の虎杖や山牛蒡の葉を採ってきて乾燥させ,煙草に代えて凌いだ時代だった。コンサイス英和辞典の用紙が煙草を巻くのに向いているということで,1ページずつ切り取って使った。
 ちなみに,「煙草巻き器」と並んで「一升瓶の米搗き器」,「電気パン焼き器」が,戦中戦後の「三種の神器」と言われる。
 「一升瓶の米搗き器」とは,玄米のままで配給される僅かな米を,芋や大豆かすと混ぜて食べるために,一升瓶に入れて細い棒で搗き,精白する手段だ。はたきの柄などを利用したと言うけれど,わが家では,矢筈(床の間の掛け軸の掛け外しに用いる長さ1メートルほどの棒状の道具)を使っていた記憶が有る。子供の仕事として,私もそれに携わった。
 「電気パン焼き器」は,長方形の木箱の側面に金属板を貼り付け,その中に水で練った粉を入れて電気を通す仕掛けだが,「焼く」と言うよりも「蒸した」という感じで,その粉も,小麦粉と言うよりも麩(ふすま)に近いものだった。
 敗戦直後は,電力不足が続き,停電が多かった。今,震災の被災地では,電気もガスや水道も,まだ通じていない所が多いというし,被災を免れた地方でも,電力不足による停電が懸念されている。電化が進んだ今の時代では,電気の使用量は戦後とは格段の差が有り,電気が通じなければ,ガスや水道も使えない。水は井戸から汲み上げ,燃料は薪や木っ端で賄えた時代より,むしろ不便だとも言えよう。
 節電の必要を言われても,人は快適な暮らしに狎れていて,家庭での節電には限界が有る。それよりも,巷に溢れている自動販売機や煌々と輝く電飾の電源を切ることのほうが有効なのではなかろうか。いずれも,敗戦直後には無かったものだ。自動販売機に代えて店頭や窓口での販売にすれば,いくらかは雇用を増やすことになるかもしれない。煙草屋の看板娘(お婆さん?)が復活するのも悪くない。

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