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zoom RSS 往生安楽国

<<   作成日時 : 2013/12/17 20:01   >>

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 一年のまとめとして,新聞からの切り抜きやワープロ,パソコンに収めた記録などを整理している。しかし,考えてみれば,それらは明日につながることを想定した営為であり,この齢になって,何人もの知友にも先立たれる中で,この先まだ生きるつもりなのかと,心の中で己を嗤う思いが無いでもない。過日,前立腺がんの精密検査を受けるために久しぶりで病院に行き,この前に来たのはいつのことだったかと思い出そうとしたが,記憶が定かでない。激しい目眩と吐き気に襲われて診療を受け,頭位変換性眩暈症という診断だったのだが,すでに全ての仕事を退いた後のことだったのは確かだとしても,何年前のことだったかはっきりしない。そのときの情況をどこかに書き残しているはずだけれど,フロッピーディスクに残したものは,ディスクの老朽化で失われたものも少なくない。所詮,記録を残したところで,いずれは自分の記憶とも併せて消滅することなのだ。
 「我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず」という,浄土真宗本願寺八世蓮如の「御文」(「白骨の御文」)の一節がふと思い浮かぶ。この齢になれば,今日明日のことではないにしても,2,3か月先のことは分からないと,最近では,先の予定は約束できない思いになってきている。「来年の事を言えば鬼が笑う」ということわざが有るけれど,世俗的な意味だけでなく,「御文」に言われることともつながるのではないかという気がする。
 私は仏教を信仰しているわけではなく,亡母の供養だと思って毎朝「阿弥陀経」を誦してはいるものの,極楽浄土の存在を信じることもできないでいる。しかし,真宗の経文の最後に唱えられる回向文(偈)の「往生安楽国」という言葉には惹かれる。この世に生きていれば,嫌なこと,辛いこと,気に懸かることも多いけれど,死ねば,仏の導きの有る無しにかかわらず,「安楽」な所に「往く」ことができるのではないかと思うのだ。であれば,生きている間も,先のことは何とかなると,安楽な気持ちでいたほうが良いのかもしれない。

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