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zoom RSS 戦時下の機密保護−その一端

<<   作成日時 : 2014/01/07 19:27   >>

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 「湾側の鎧戸閉ざし房総を旅せし日あり秘密保護して」(横須賀市・戸村健児) 12月23日付「朝日歌壇」に掲載されていた一首を見て,過去の思いを私と共有している人が在るのを知った。私は,横須賀と同じく軍港であった広島県呉市で敗戦の年の3月まで暮らしていた。瀬戸内海の沿岸を走る汽車に乗ると,海側の窓は全て鎧戸を閉ざすよう指示され,車窓の景色を眺めることは許されなかった。多くの軍艦が停泊している瀬戸内海の軍の機密を守るためであった。
 「特定秘密保護法」が問題になって,真っ先に想起したのがそのことだった。私にとっては象徴的な思い出だ。同時に,1943年6月8日に山口県柱島沖の錨地で原因不明の突然の爆発により沈没した戦艦陸奥のことを思い出した。母の実家が在った山口県の周防大島は沈没現場が望める所で,1945年春には,私も呉から疎開することになるのだが,そこで,陸奥爆沈当時の話を聞いた。陸奥の死者や浮遊物が大量に流れ着いた村には,直ちに大勢の憲兵がやってきて,見聞きしたことは一切口にしてはならないと厳しく統制されたという。戦後25年を経て,1970年に始まった作業で船体の4分の3が引き上げられたときには,サルベージの基地になったというが,私はすでに京都で暮らしていたので,詳細は知らない。今では,柱島を望む周防大島町(沈没当時は油田村)伊保田の岬の公園に,陸奥の資料を集めた町営の立派な記念館が建っている。 http://nagisapark.jimdo.com
 そのような,戦時下の記憶が蘇るとともに,為政者の都合で,国家機密を守るという理由で,恣意的に国民の耳目を閉ざすようなことが二度と有ってはならないと切に願う。
 注記)これの素稿は昨年末に記したものだが,同じ趣旨の文章を新聞に投稿したので,ブログへの掲載はこれまで控えていた。字数の調整等,編集を加えて,1月7日の紙面に載った。なお,投稿欄担当の記者と話し合っている中で,「汽車の窓の鎧戸」が分からないと言われて,世代の離れた若い人に過去のことを理解してもらう難しさを更めて知ったことだ。

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