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ShoGのボヤキ念仏

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ShoGのボヤキ念仏
ブログ紹介
今や念仏三昧の日々の合間に湧く断片的な雑念を,直感のまま投げ出したものです。
──日々の主な行動の記録と,言葉を尽くした随想や論考,Photo,Songなどは,ホームページで別に掲載しています。  
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楕円の世界

2019/05/21 17:25
 「(二十四歳で武田泰淳氏の『司馬遷』を読んだとき)わたしの世界は、わたしの価値観とはまったく無縁な価値観を持つ<他者>がもう一つの<中心>を支配するところの、楕円形となっていることを知った」。後藤明生(1932.4..4〜99.8.2・作家)が書いている『円と楕円の世界』(「文芸」1971年2月)の一節を思う。
 後藤氏の文章をもう少し詳しく引用すると,「喜劇は、ドン・キホーテと風車との<関係>であって、なぜならば風車は、べつにドン・キホーテの突進を受けるためにそこに存在していたわけではないからである。作者の目はまさしくその<関係>に集められているのであり、それはドン・キホーテと風車とを対等に見る目だ。上下はもちろん、どちらが美でも醜でもない。しかもその両者は、異なった二つの世界に属するものではなく、同時に一つの世界に存在する二つの中心である以上、もはやそこに描かれる世界の形は、唯一つの中心によって決定される<円>ではあり得ない。いうまでもなく喜劇的に変形された<楕円>形の世界であって、同時にそして対等に存在する二つの中心は、互いに価値観を異にしつつ実在している、客観的<他者>にほかならない」。
 後藤氏が言うのは文学に関する問題だが,このことは,現実の社会においても,他人のみならず,夫婦の間であろうと,親子の間でも,全ての<他者>との人間関係について言えることではないかと感じるのだ。人は本来,自己中心的な存在で,「対等に存在する二つの中心は、互いに価値観を異にしつつ実在している」。そして,その価値観の相違は,齢が加わるとともに,自己主張が強くなるに伴って顕著になるものだ。そのとき,文学の世界とは異なる現実の社会では,自分だけを中心とした円に固執するのでなく,二つの中心とそれを囲む円周との距離の差によって造られる楕円の形状をどうするかを問題にしなければなるまい。しかし,近年の私の場合,そのことが解っていながら,自己中心の円に囲まれていることが多くなってきている。
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自家乗用車運転の怖さ

2019/05/13 14:56
 乗用車の過失運転による致死傷事故が後を絶たない。犯罪行為と言えるような場合も有るけれど,認知機能の衰えた高齢者が起こす事故が増えているようだし,被害者にしてみれば防ぎようの無い事例が少なくないのは酷いことだ。
 今月8日朝に起きた,保育士に守られて散歩していた保育園児が巻き込まれた滋賀県・大津市の事故などは,親の気持ちを思えばたまらないことだし,関係者の受けた衝撃も想像を絶するものだろう。
 今回の場合,事故を起こしたのが高齢者だというわけでもない。高齢者や持病の有る人であれば,事前の検査や治療も必要だろうし,運転を控えることもできようが,誰でも,いつどこででも起こす可能性の有る,注意力の不足と咄嗟の判断力,反応に欠けていた結果だと思われる。そういう自律性に欠ける人は,年齢に関係無くどこにでもいることだろうし,日常の暮らしの中で病的な因子を発見して防ぐことは,ほとんど不可能だ。
 事故で死亡した園児やその家族だけでなく,他の園児や保育士が受けた心的な傷も大きいはずだし,この先,自動車に対する恐怖心として深く残ることだろう。
 既に50年ほど前のことになるけれど,職場の仲間との宴会の帰りに乗ったタクシーが脇道から出てきた自動車に追突されて,救急車で運ばれたことが有った。当時はまだ耳慣れなかった「むち打ち症」で、かなり長い期間病院に通って「首吊り」治療(頚骨牽引)を受け,「首輪(コルセット)」を嵌められて過ごしたことが有る。同乗していたのは同じ方角に帰る3人だったが,3人揃ってそのころは珍しかった首輪をして職場に出ていた姿は異様に見えたことだろう。私は,過去も,現在に至るまでも,車の運転はしないのだが,その事故ののち何年もの間,タクシーだけでなくバスや知人の乗用車にも乗るのが怖く,今で言う「トラウマ」に悩まされて不便な思いをしたことが有る。
 今回の大津市の事故でも,幸いにして無事で済んだ人であっても,トラウマは長く残るのではないかと案じられる。まして,車を運転していて事故を起こした中高年?の女性は二人とも日用品の買い物の帰りだったというけれど,幼い無辜の生命を奪った加害者としてのトラウマを生涯背負って生きて行かなければならないのではなかろうか。思えば怖いことだ。
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改元の賑わい?

2019/04/30 20:46
 「平成」の時代が終わり「令和」と改元される。去年8月のブログ(「最後の夏」)でも書いたことだが,何事にも「平成最後の」という枕詞が付けられてうんざりさせられることが多かったけれど,今度は「令和最初の」という言葉を繰り返し聞かされることになるのだろうか。
 先のブログにも書いたように,私個人の気持ちとしては,戦中・戦後の記憶につながる「昭和」は特別だとして,今の元号にはそれほど深い思い入れは無いのだが,私にとって「平成」は,全ての社会的な仕事から退いて,体力的にも経済力でも高齢化が進む時期だった。その間に母と弟は先に世を去り,昔の暮らしに関わる共通の話題を語り合える相手もいなくなってしまった。そして,私の人生で三代目の元号になる「令和」の時代が,より高齢化する私の暮らしの上で今より良い時代になるとは思えないし,いよいよ西暦に統一して数えたほうが分かりやすくなるように感じる。
 改元に当たって設けられた大型連休もうれしいことではない。連休初日4月27日付の「朝日新聞」(beページ)に掲載されていた「10連休はうれしい?」という設問に対する読者アンケートによると,「うれしくない」が,「全然うれしくない=32%,あまりうれしくない=35%」と合わせて3分の2を超える結果だった。
 「労働者の4割が非正規雇用者で、7人に1人が貧困層という今の日本で、10連休をフルに楽しめるのは恵まれた人たちだけでは?」主婦(59),「10連休を享受できるのは、学生と、ほとんどの公務員と、半分くらいの企業人では? サービス業の人々には『ふだんより激務の10日間』だ。そんな連休を作っておいて、何が働き方改革なのか」パート勤務の女性(44),「非正規雇用者を殺す気か」パート勤務の女性(50),「取引先が10連休を取ると、月収が3分の1減る。こちらは節約倹約の10日間だ」業務請負の女性(58),「10連休は迷惑以外の何物でもない。休みを増やせば消費が増えると思うのは、食うに困らない政治家や役人の浅知恵だ」時給制で働く女性(54),等々の回答が並んでいる。回答数の分母は不明だが,私と共通する思いの人が少なくないことだけは確かだと言えそうだ。
 一方では,多くの旅行者による混雑ぶりが大きく報道されているけれど,健康や経済力に恵まれている人と,暮らしに困窮している階層との格差は広がるばかりのように思われる。休めば市民生活に及ぼす影響の大きい職業に携わっている人の数も多いはずだし,人手不足が社会問題になっている業種も有り,そういう実態をどれだけ考えた政策なのか疑われる。
 いろいろ論じられている新しい元号の意味の適否は判らないか,元号で世の中が良くなるとは思えないし,悦に入っているのは,安倍首相をはじめとする限られた人たちだけのように感じられてならない。
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生き延びるということ

2019/04/20 15:46
 パソコンの操作が覚束なくなってきた。新聞の字が読み取りにくくなった。認知障害が遂に顕著になってきたか,と思っていて目が覚めた。どこまでが現実の思いで,どこからが夢の中のことなのか定かでないけれど,現実に老化が進んできているのは確かなことで,足腰に力が入らなかったり,一日の疲れが出る夕食時になると食事が喉を通りづらくなったりするのは,日々感じていることだ。転倒を防ぐ注意は常に心掛けていることだが,生きているのがだんだん辛く感じられてきて,朝起きるときなど,もうこのままで楽になりたいと希う気持ちになるときもしばしば有るけれど,自分だけが楽になるのは許されないことだろう。
 近隣の人に出会って「お元気ですか」と声を掛けられると,「まあ齢相応に」と答えることにしているものの,「齢相応」とはどういう状態を言うのか,人それぞれでかなり違いが有ることだろう。
 結婚してからのちは,炊事洗濯などの家事は妻に任せきりで頼ってきたけれど,妻にしても,今の年齢になれば,毎日の負担は決して軽くはないことだろうと思われる。しかし,核家族化が一般的になっている現代では,近隣の世帯を見ても,高齢の夫婦二人という家族構成は珍しくないことだ。私の若かった頃を振り返ってみても,働き盛りのころは,老いた母の面倒を見る余裕はなかなか無く,独り離れて暮らす母の生活を思い遣ることも少なかったと,今にして思うが,それでも,亡母がわが家に来て隠居の暮らしをするようになったのは,今の私より15歳以上は若いときだったから,息子たちに面倒を見てもらうわけにはいきそうにないわが家の現状からすれば,まだ良いほうだったと思われる。
 高齢化社会と言われる今の時代,政治の力は,フツーの高齢者の暮らしの現実にまでは遠く行き届かず,老いても安心して生活できる社会の有り様ではない。この先さらに厳しい現実に直面することも多々予測されるから、長生きしたいとは思わぬが,命の有る限り,老夫婦で出来る限り助け合い,何とか生き延びていかなければならないことだろう。
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繰り返される事

2019/04/10 16:52
 またまた,内閣の副大臣が軽率な発言の責任を取って辞任した(4月5日)。このブログで取り上げた現与党政治家の「失言」だけを検索してみても,昨年2月掲載の『建前と本音』( https://shog.at.webry.info/201802/article_1.html )を直近として10件近く出てくる。「失言」と言えば軽い印象だが,いつも思うのは,根底に在る独善的な意識が不用意に現れたにほかならないということだ。「暴言」「妄言」と言うべきものも多く,もはや,その都度言及するのは我ながらうんざりするので,安倍政権の姿勢に関することでぼやくのは止めたいと思い始めている。しかし,いかに絶望的な情況であっても,諦めてしまえばおしまいだから,当たらないのを承知のうえで宝くじを買い続けるようなものだけれど,選挙となれば棄権するわけにはいかない。
 同様に,最近は,社会的な問題に限らず,言いたいことが有っても,前にも取り上げたことが有るような気がして探してみると,このブログだけでなく,ずっと前のホームページで書いていたのを見つけることも少なくない。同じことを何度も言うのは,まさに「老いの繰り言」でしかないと思うものの,社会的に見れば,「繰り事」とも言える「事」も有る。そんなことが繰り返されると,身辺の諸事も含めて,世の中と人の現状に絶望的な気持ちになることが多く,「ボヤキ」というよりも,ブログそのものを続ける意欲を失いがちだ。しかし,うんざりしながらでも生きていなければならず,生きていればせめて,読んでくださっているかたへの「近況報告」だけでも綴るしかないと思っている。
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老いを悲しむ

2019/03/29 16:03
 5月には行きつけの理髪店の店主の十七回忌を迎える。休日の趣味にしていた写真撮影に出掛けていて脳梗塞に因り急死したのだが,告別の日,突然取り残された夫人が棺にすがって慟哭していた姿を思い浮かべる。その後,夫人が店を継ぎ,二人の子息はそれぞれ独立していたので,70歳を越えて今も独りで頑張っている。私も40年来の馴染みなので変わらぬ客として通っているけれど,同様に残っていた高齢の固定客も一人二人と減って行き,細々ながら店は続けているものの,独り暮らしの寂しさを思いやった子息たちが連れてきた一頭の犬を気持ちの支えにして暮らしていたようだが,その愛犬も昨秋先立ってしまい,そろそろ「オカアチャン」も心身の衰えが見えてきて、店を閉めることも考え始めているようだが,今はまだ子息たちの厄介になるのも気が進まず,かといって独りで仕事の無い生活では衰えがさらに進む惧れも考えてしまうと言う。
 昔から床屋が町内の情報を語り合う場としてよく言われるけれど,店を開けている限りは,通ってくる古い客との会話も有り,私のようにこちらから話し掛けることは少ない者にも,それらの馴染み客の話の内容をいろいろ聞かせてくれるが,それも老人の愚痴がもっぱら多くなってきているようだ。
 認知症の進行が目立ちつつある老妻を介護する苦労を語る人が何人も在り,既に連れ合いを喪った人の家をときに見舞うと,室内は乱れ,仏壇には花も供物も無い寂しい暮らしの様子が感じられるし,顔剃りに来る女性の中には,やがて自分が入ることになる墓について,先立った夫の身内の墓に入るのは気が進まないというような気持ちを語る人も在るという。核家族化が進む時代に,老いて独り暮らしの境遇に置かれている人も少なくないと思われる。
 そんな客の姿を見聞きするにつけても,亡夫の墓参も意のままにならなくなってきた自分の行く末が心細く思われて,夫と犬の遺影に語り掛けながら眠れない夜を過ごすことも有る思いを聞いてくれる相手が欲しいようで,最近は,散髪が終わっても代金だけ支払って帰るわけにいかず,暫くは話の聞き役を果たさなければならない時間がしだいに長くなってきた。
 それも他人事であれば,慰めや励ましの言葉も掛けられるけれど,いつ我が身の上になるか分からないことだ。
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夢物語

2019/03/19 21:59
  古い昔がふと偲ばれる/夏の祭りが近づく頃は/
  遠い古里/麓の水車/風に流れる遠囃子/
  「のぞきからくり」お七の恋を/二人覗いた宵宮の夜が/
  永い別れになった人
                   (2013.07.23「蘇る十代」より)
 この歌詞(のようなもの)は,まだ十代のころの作で,口ずさんでいたメロディは今でも覚えている。「麓の水車」も「のぞきからくり」も実体験には無かったことで,インターネットも,テレビさえ無かった時代に,「のぞきからくり」など,いつどこで知ったのだろうか。誰かに尋ねようと思っても,もしかして覚えが有るかもしれない母も弟も既に亡くなっているので聞くすべも無い。あるいは,夢の中でむかし見た記憶かもしれないと思うのみだ。
 私は,過去に携わった職業に関わることのほかは,現実の人物や事柄の記憶を夢に見ることは今でも少ない。それは最も縁の深い肉親であっても例外でなく,そういう記憶は,夢に見るより前に文章化して,思い出として完結させているからなのだろうか。夢で見るのは,物語的な架空の人物が登場するストーリーであることがほとんどだ。
 ほぼ同じ年代のころ,歌謡曲と意識して創った曲も有る。
 1.風の便りに聞いたこと/あの娘はこの春,嫁に行った/
   幼馴染のあのお下げ髪/淡い想いの初恋心/
   なぜか今さら胸にしみじみ浮かぶよ
 2.梅の花散る川の土手/白い花びら流れてた/
   瞳そらして交わした写真/涙ぐんでた別れのあの日/
   今も瞼の底に哀しく残るよ
 3.指折り数えりゃ五年前/あの娘も今年でもう二十歳/
   ぐるり廻った峠の道を/越えて行ったろ花嫁衣装/
   瞼を閉じればあの日のままの幼顔
 これもまた,現実の体験とはつながりの無い世界の物語だし,今となれば,夢にさえ見ないことだ。この齢になるまでには,戦後の辛い体験も厭な思いもずいぶん重ねて来ているけれど,それを夢に見ることは無い。夢そのものを見ることの少なくなった今でも,たまに見るのは懐かしいことか楽しいことで,目覚めてからもう一度見直したくなるような「夢物語」が多いのは,悪い記憶は引きずらず,何事も前向きに捉えようと気持ちをコントロールしているからだろうか。
 ちなみに,昨夜たまたま見た夢は,どこかの観光地で土産物店を営む家族と触れ合っている旅行者の姿だった。これは,最近の体調の衰えのために満たされていない旅へのひそかな願望から生まれたドラマだったのだろうか。
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老いの願望

2019/03/09 21:17
 「人間はなぜ死ぬのでしょう」「千年も万年も生きたいわ」と嘆いたのは徳富蘆花『不如帰』の中の片岡浪子だけれど,明治の悲劇のヒロインではない私は,「人生100年」と言われる現代でも,百歳まで生きたいとは思わない。逆に,高齢者の貧困が問題になっている今の世の中で,すでに人生を終えていても不思議でない年齢に達して,「安楽死」「自然死」を願いつつ,「人間はなぜ死ねないのでしょう」という思いのほうが強くなっている。今のところまだ「健康寿命」だけは保っていると思うものの,無為の暮らしで老いてなお生きる意味はどこに有るのだろうかと考える。
 この先も生きていくための条件は,今の暮らしの中で私が持っている願望だけで,それが家族の役に立つとは思えない。家族にしても私の死を願っているわけでは無かろうが,私と家族との願望は分けて考えてみる必要が有るのではないかと思う。
 そこで,私の願望を整理してみるとしよう。
 まず,生きて行く上で,「食」は欠かせない。そのためには食材を購入し調理しなければならない。食材の入手手段は,近隣の店舗か通信販売に依ることになろう。調理は自宅で熱源,水源を利用できることが必要だ。これらに関しては,今のところまだ妻に頼ることができているが,この先どうなるか予測は不可能だ。
 次いで,健康を維持して行くためには「医」に頼らなければならない。ここ数年の間に次々と既往症を重ねた私の場合,引き続き定期的な検診や治療を受けに出向く必要が有る。また,その他にも,日常生活を送る上で行政・金融機関等に行かねばならないことも多々有る。近隣の店舗に行く場合も同様だが,暮らしの中での自力による外出は,交通機関を利用する時間も含めて,最近では体力的に2時間が限界だと感じられる。この点では,週に2回程度,音楽関係の趣味の集まりに出掛けて行くことを気持ちの張りにしている妻の場合も,同じではなかろうか。
 体力面では,家屋や庭の清掃,手入れなどの作業もそろそろ限界を感じるようになってきている。といって,現在の家で暮らすからには,経済上の事情も有り,誰かに頼るわけにはいかない。全てを子の世話にならなければならない時がいずれは来るのだろうと思うけれど,自我を放棄してただ生きているだけという暮らしをする気にはまだなれそうにない。
 今の私が自我を保つ手段は,メディアを通じて社会とつながり,インターネットで日々の思いを発信して行くことで,それが唯一の「生きている証し」かもしれないと思うので,命の有る限りは,それまでを失ってしまうことには耐えられないし,インターネットは,光熱費等の確認や支払いの面でも今や必須のものになっている。
 いっそ適当な時機に自然に生が途絶えるのが最もありがたいことだと思うのだが,それまでに,老いた親の面倒を看なければならない子の負担を考えると,介護を初め,どれだけ手が掛かるかと案じてしまう。そこで「人間はなぜ(思うままに)死ねないのでしょう」という命題に直面するのだ。
 死んでしまえば,事は簡単かもしれない。この場で言いおくことではないけれど,あとは公共料金の名義変更の手続き等が有るだけで,物品等については,家族として残しておく意味の無い物は,処理の全てを業者に一任する,葬儀,死後の供養,いま在る墓所,仏壇などは,遺った者の考え方に任せれば良い,と思っている。私としては,それまでの生きている間に,前述したような願望がどれだけ叶えられるかということが問題なのだ。
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ボケ十戒

2019/02/25 14:27
 たまに所用で出向いた先で,店員や窓口職員の滑舌の悪い話し方に苛ついて,つい荒っぽい言い方で何度も聞き返すことが有る。かつては常に相手の情況を推察して,言いたいことを聞き取るよう心掛け,それが出来ていたはずなのに,最近は,聴力の衰えたせいも有ろうが,自分の気持ちがコントロール出来ていない。逆に先方からすれば,私のことが「ボケ老人」に見えているかもしれない。
  ヒトとワレ比べ居直るボケも在り
  わがボケを庇い 他人のボケ攻める
  自己主張 自省無ければ ボケただけ
  わがボケに気づき 苛立ちまた募り
 ボケは老人に限らない。物忘れや思い込み,思い違いは,老化現象としてもよく有ることだが,近年は政界を見ても,ボケが大手を振って歩いている。官僚もそれに従う。
  悪夢消え 居座り続け ボケ進み
  政界を ボケ繰り返し 泳ぎ抜く
  黒海は ボケていないと 越えられぬ
 勢いで思いつくままにあと3句。
  気まぐれも 自覚無ければ ただのボケ
  行き先の分からぬボケを持て余し
  言うまいと 思っているのに 言うもボケ?
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生き方改革

2019/02/21 17:20
 朝起きるとまず,その日の分別収集に合わせたゴミ出しを済ませ,洗面ののち読経を終え,そのころには調えられている朝食を頂く。朝食のあとは,パソコンを開けて,登録してあるウェブサイトと着信メールを確認する。そこまでがパソコンを設置している一階の部屋での作業だ。
 今なお愛用している文章専用ワープロは,保存用ファイルと併せて二階の別室に置いてあるので,持って上がった新聞にゆっくり目を通し,記録しておきたいことが有れば,分野ごとに分けたフロッピ―に保存する。
 そのあと,昼食までに時間が有るときは,ちょっとした買い物や家の内外の雑用処理に当てる。午後は,日によって異なるけれど,午前中にできなかった雑用を果たしたり,文章を書いたり,昼寝の時間になることも有る。パソコンをチェックするのは,朝・昼・夕の食事のあとと,少し長い時間を要する場合は,午後3時以降が多い。
 これが終日家で暮らすようになってからの私の一日のスケジュールだ。
 そのスケジュールを見直す時期が来ていると感じる。一階と二階の部屋に分けている作業では無駄が多いと思うからだ。特に部屋ごとに設置しているエアコンを使う季節は,冷暖房費が嵩むので,作業の場所を一定したほうが効率的だ。そこで,できるだけ一階で過ごすように考えているのだが,一階だけではワープロやフロッピーを置くスペースが無く,作業の合間にちょっと横になって憩みたいときや,テレビを観たいときは,二階の部屋に上がらなければならない。
 いったいいつごろから2部屋を使う贅沢をするようになったのか思い出してみると,二階の部屋を使っていた息子たちが家を出てからのことで,それまではパソコンはまだ普及していなかったから,ワープロと併用することは無かったし,ビデオやフロッピーの数も少なかった。蔵書数も今ほど多くはなかった。二階の部屋が空いたので,これ幸いと使い始め,機器の数もしだいに増えたわけだ。
 今では,「終活」を考えなければならない齢になり,蔵書等は処分しようと思っているものの,生ある限り,今の私の暮らしに欠かせない物品を一つの部屋に収めることはとうてい不可能だとしか思えない。そうなると,生き方そのものに大改革を加えなければならないのだが,さて,どうしたものか悩むところだ。
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かつては「ダンナ」

2019/02/18 15:09
 学校を出て就職したすぐのころ,職場で着るスーツを買うために,初めて暮らす町の洋服店に1年先輩の同僚に連れて行ってもらったとき,店員が私を「ダンナ!」と呼んだのを面白がって,翌日から職場でも「ダンナ(さん)!」という呼び名が広まった。のちにその頭に「ニヒルの」という冠が付くことも有ったのは,若い仲間との間で,私が「ニヒリズム」を標榜していたこと因るものだったろう。ちなみに,その同僚は,同じ寮で暮らしていた所帯持ちの先輩の幼児が呼ぶのを真似て「オジチャン」と呼ばれていた。
 その「ダンナ」も,今ではすっかり「じいさん」扱いだ。無意識のうちにこぼれ出る涙,鼻水,涎,尿漏れが止まない。
 かつての「ニヒリズム」の根底には,戦中戦後の体験に基づく政治的権力への不信と,それを許してきた大衆に抱く無力感が在ったのだが,それは,今の安倍政権下の社会情況にもつながっているもので,暮らしの中での楽しみや喜びを感じられることが無くなり,先行きに期待が持てず,この齢になって何ゆえ無為に生きていなければならないのか,老いて「ニヒル」な心境になっている。
 五濁悪世の苦から逃れて安楽国への往生を希求した中世の仏教思想を「宜なる哉」と思うはかりだ。

※ 前回,パソコンのメールソフトに生じたトラブルの処理段階で,これまで送受信したメールを分別保存してあったフォルダーが消失したことを記したけれど,隠れていたその所在が見つかり,新しく作成していたフォルダーに全てを移す作業が完了,今月初めからの懸案がようやく解決して,従来の日常のペースに戻ることができた。
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PC受難

2019/02/07 11:58
 e−Taxによる確定申告が完了した。近年は医療費の項目や件数が多岐に亙り増えてきて,郵送されて来た源泉徴収票の内容を転記するだけでは済まず,医療費の明細書を作成しなければならないので,いささか手間が掛かる。それでもパソコンを使えるからまだましなほうだけれど,そういう手段の無い高齢者はどうしているのだろうかと他人事ながら気に懸かる。
 何とか1月末までに発送できて一息入れたところで,今度はパソコン自体にトラブルが起きた。メールの送受信ができない。家計簿ソフトが起動しない。銀行口座からの自動支払いにしている光熱費やクレジットの引き落としの期日と金額が確認できないと,口座の預金額に余裕の無い状態なので困ることになる。
 パソコンのトラブルは,昨年,キーボードでの文字入力が不調になり(2018.11.24「不調の詳細」),その後スクリーンキーボードを併用して凌いでいるけれど,少し長い文章を書こうとすると,文字種や記号の切り替えに手間が掛かり,やはり不便ではあったのだが,今度のトラブルは機器の問題では無いようだ。
 簡単に解決できそうでないので,家計簿は,ソフトをインストールし直してトラブル発生以降を入力することにしたけれど,メールソフトのほうが厄介だ。機器の製造会社に問い合わせると,ソフトの提供会社に尋ねてほしいと言うし,ソフト会社は,機器に最初から内蔵されていた場合はメーカーに聞いてくれと,丸投げ状態で埒があかない。どちらの窓口の担当者も技術的なことは何も解っていない。
 加えて,パソコンを起動しようとすると,ソフトウェアメーカーの名前で「システム警告」なるものが表示されるようになった。これが出ると消去キーを押しても消えず,作業が進まなくなる。詐欺サイトだと疑われるので,画面の指示にうっかり従うわけにはいかない。
 最後にプロバイダーの問い合わせ窓口に電話をしたところ,思いのほか詳しく丁寧に対処の方法を教えてくれて一気に解決した。しかし,それまで試行錯誤している間に余計な操作をしてしまったのか,送受信したメールをフォルダーに分けて保存してあったものは,作成したフォルダーごと消えてしまった。
 問い合わせの電話は,フリーダイアルなので料金は掛からないけれど,どこも混雑していて,担当者につながるまで長時間待たなければならない。その間,受話器から離れられないわけで時間のロスが大きい。まして,ようやくつながったとき望む回答が得られないと,まるで最近の閣僚や官僚の対応のようで,がっかりしてしまう。
 何日もかかって解決したあと,あちこちに尋ねるうちに得たヒントを手掛かりにネットで検索してみると,「トロイの木馬」タイプのウイルスにより,私と同様の被害を受けている人の多いことが分かった。パソコンの操作がうまくできなくなったのは機器と私の老化のせいで,どちらも認知症の初期段階に入ったのかもしれないと密かに惧れたのだが,そうではなかったようだ。皆さんも御用心ください。
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その時の用意

2019/01/26 21:01
 賀状の整理をしながら思うこと。
 これまで毎年頂いていた人からの賀状が今年は来ていないと気付く件数が少なからず有る。そのほとんどは,年に一度安否を確かめ合うことしか無い高齢の旧知だ。昨年の賀状で高齢を理由に「向後は失礼します」という断りが書かれていた人,旧年中に家族から喪中の挨拶が届いた人,などは分かるけれど,遺された家族としては私との交流を知らず,亡くなっても連絡できなかったという場合も有ろう。年が改まったのちに,私からの賀状を見て,寒中見舞いの形で知らせてくるのも有り,そういう例も年々増えていく。
 亡くなった本人の署名入り「喪中挨拶」が届いたという話を旧年末の新聞の投稿欄で読んだのを思い出す。これは,亡くなった日付と死因などを後日家人が書き込めるように当人が予め用意しておいたようで,なかなかの気配りだと感じたことだが,それも,それまでの交流が有ってこそできることだ。
 さて,私も,この先はそのくらいの心準備が必要になろうかと思うけれど,ブログだけの交流の場合,中には不特定多数の読者も在るから,こればかりは知らせようが無く,発信が途絶えたことによって推察してもらうほかはない。しかし,読んでいる側にしてみれば,それでは落ち着かないことだろう。そこで,先立つことの挨拶を事前に入力保存しておいて,死後,家族がブログの作成画面の「公開」キイをクリックするだけで通知が可能になるような方法も考えるべきかと思ってみる。これも「終活」の一作業かもしれない。
 もう一つ懸念するのは,最近トラブルが増えている私のパソコンが順調に機能しなくなったときのことだが,こればかりは予め用意できないことなのでどうしようもない。
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行きつ戻りつ

2019/01/19 21:09
 それまでのホームページから新たに当ブログを開設してこの月で13周年になるに当たってプロバイダーからメッセージをもらった。「この13年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は72410件になります」(1月17日)。
 私のブログの現在続いている固定的な読者はせいぜい5,6人だと思うのだけれど,私が文章を「書く」のは,ずっと前から持っている自己表現の欲求と,それを通して自己確認をしたいためであり,読者の数を期待しているわけではない。その内容も,ブログを始めたころは世の中に対する思いが比較的多かったけれど,最近では,高齢者としての私生活に関する文字どおりの「ボヤキ」が中心になってきている。文章としてまとめる前に,「どうすりゃいいのさ思案橋」(『長崎ブルース』吉川静夫・詞),「ぐちは云うまい こぼすまい」(『これが男の生きる道』青島幸男・詞)など,古い流行り歌のひと節が頭に浮かんで口ずさんでいることのほうが多い有り様だ。
 それでも,ブログを読んでくださった方からの反応が有ると,書く張り合いが増す。加齢とともに,外に出る機会が減り,日常生活で他人とのコミュニケーションがほとんど無くなっているので,ネットで頂くお便りが嬉しい。加えて,4年余り前からは,年齢等は今なお不詳のままだが,反歌風の興味深いコメントを必ず入れてくださる方が現れて,毎回それを楽しみに,妻ともども心待ちしている。このブログにいつも目を通してくださっている方はお気づきだろうが,私が発信した翌日中には書き入れてくださっているので,ぜひ合わせて読んでいただきたい。
 前回,食欲が少し出てきて食べる楽しみが復活したことを書いたけれど,そのためか,体にも力が湧いてきたように感じられて,先日,天気も良さそうなので,わが家からは歩いて往復小一時間の所に在る,当地としては大型の商業施設に久しぶりで出かけてみようという気持ちになった。そのことを思いついた前夜は,まるで明日の遠足を楽しみにする子どものように浮いた気分になったけれど,いざ出かけると,元気だったころのようなわけにはいかず,店内を巡る時間も含めると2時間半は掛かり,帰るころにはすっかり疲れてしまって,少しずつ回復しかけていた体重も,元の減っていたときに戻っていた。
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春を待つ

2019/01/10 17:51
 「心・技・体」と言うけれど,体調が優れないと,心も衰え,気持ちが不安定になる。「体調」には「不調」という表現が有るが,「心・気持ち」の場合は,何と言えば良いのだろうか。「心調」とは言えないし,「不調」という言葉も使いづらい。「情調」と言えば通じるかもしれない。安定を失っている情況は「変調」とでも言えようか。
 連日の寒さで,「体調」も「情調」も萎えている。昨年のこの時季はどうだったか振り返ってみると,1月28日のブログに「目下冬眠中」と書いていた。
 「各地から積雪の情況が伝えられてくる。東京でも48年ぶりの寒さだという。我が家の地域では,今年はまだ積雪こそ無いけれど,半端でない毎日の冷え込みで,瀬戸内海の温暖な地方で育った私には身に染みる底冷えだ。」「年が改まって,新年の三が日は,例年どおり,全日本実業団ニューイヤー駅伝,関東大学箱根駅伝の放送を見ながら,賀状の整理で過ごした。」「寒さとあいまって,体を動かそうとする気力が衰えてきて,横になっているばかりではないものの,ブログの発信も滞りがちで,目下冬眠中の感だ。」
 昨年も今年も,寒さに因る影響にはあまり変わりはなさそうだ。その中で,最近変わったと感じているのは,三が日を過ぎたのち少し食欲が出てきたことだ。食べたいと思うものが無い,食べようとしてもすぐに箸が進まなくなり,私の体調を気遣って日々の献立に悩んでいる妻には申し訳ないと思いつつ,ときには.食器ごと放り出したい気持ちになるような状態が5年近く続いていた。美味しいと感じるのは,バターをたっぷり載せたトーストとベーコンエッグを組み合わせた朝食くらいしか無かったと言っても良かった。
 ところが,体調にどういう変化が起きたのか,一週間ほど前から食べたいものがいろいろと頭に浮かび,出てきた料理は美味しく味わえ,米飯も茶碗に軽く一杯は平らげられるようになってきたのだ。食べる喜びが復活し,消えかけていた命の灯が明るさを取り戻したような感じで,この調子が続けば,いったん落ち込んだ体力も徐々に回復してくるのではないかと期待が持て,まだ寒さは当分和らぎそうになく,春の訪れが待たれてならないけれど,それまで何とか持ち堪えられそうに思えてきた。
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「終活」の悩み

2018/12/29 21:53
 2018年が終わろうとしている。「平成」と呼ばれる最後の歳末である。私は,「平成」という元号にそれほど深い思い入れは無いのだけれど,過日,天皇誕生日に当たって発表された今上天皇の談話を聞いて共感するところが多く有った。安倍首相の言葉とは大きく隔たるものを感じて,陛下はやはり戦中戦後を身をもって体験された方だと思った。天皇と首相とは立場が異なるから,発言内容も異なって当然だろうが,いつ聞いても頷けない首相の考え方と比べて,天皇のお気持ちは自然に心に入ってきて,身分は違っても同世代だという思いを深くするとともに,今年が世代の転換期だと感じさせられる。
 さて,私の来年はどういう年にすれば良いのだろうか。例年どおり年賀状を準備しながら思ったのは,私にとってのいわゆる「終活」を進めなければならない年だということだ。ネットを使いこなせない高齢の知友に対して,年に一度は安否を知らせ合いたいと思い,年賀状を手書きで出すことにこだわってきた。相手は年々減ってきているけれど,宛て名は必ず手書きするとともに,たとえ一行でもメッセージを添えて署名することを自分に課してきた。ところが年々視力が衰えて,宛て名を書くことさえ辛くなり,一通したためては一息つく有り様で,一切をプリントにしてしまうくらいなら,いよいよ賀状を打ち切るときになったかと思ってしまう。
 世は高齢化が進み,高齢者のみの世帯も増えるばかりだ。わが家も例外ではない。結婚に当たっては当事者同士の意思が最重視される現代において,当人の自己中心的な気持ちで相手を選ぶことが一般だけれど,それだけに,配偶者や生まれた子供に対して負わなければならない責任は重いと思って,私自身はこれまで努めてきたつもりだが,その責任をいつまで果たすことができるかということになると,加齢とともに危うくなり,最後には残る家族に委ねなければならない考えると,「終活」に伴う迷いは尽きない。私の場合,今となっては妻子に相続できる遺産と言えるものも無く,家屋や土地が残せるとしても,後始末に要する費用負担のほうが大きいのではないかと案じられる。
 もう一つ,社会の高齢化ということで言えば,私が長年暮らしている地域の自治会の運営システムについても案じていることが有る。地域の自治会は,45年前に私の世代の力で結成し,現在では150世帯ほどを9つの班に分けて運営しているのだが,その役員は,班ごとに輪番制で担当する班長の相互協議で決定される。ところが,高齢化にともなって後期高齢者のみの世帯が増え,役員の仕事が重荷になる人が多くなり,輪番制が崩れつつあるのが現状だ。私の班でも飛ばさざるをえない世帯が次々と出てきて,来年度は輪番より3年早く私が引き受けなければならないことになりそうだ。私とて連絡役だけならまだ何とかできるけれど,この年齢になって地域の作業や行事の責務を担わなければならない役員の仕事は負担になってくる。何よりも体力を必要とする仕事にはもはや堪えられない。かといって,前述のような情況で安易に先へ送るわけにもいかず,自治会設立当時のシステム作りに関わった仲間の大半が既に鬼籍に入っているので,残された者の責任として,若い人たちの気持ちも聞きながら,現在のシステムを何とかしなければならないと考えている。これも私にとって「終活」の大きな課題の一つだと言えよう。
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私の2018年「今年の漢字」

2018/12/16 14:48
 「漢検」(日本漢字能力検定協会)がその一年の世相を表す漢字を全国から募集して選ぶ「今年の漢字」が,2018年は『災』と発表された(13日)。私が選ぶとすれば『強』,「強弁」「強引」「強行」「強欲」の『強』だ。
 手にした「一強」の立場を笠に着て民意を顧みない安倍首相の傲慢な態度とそれに追随する陣笠連中の嵩にかかった言動が目に余る一年だった。「現代用語の基礎知識」選・「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテンの中にも入っていた「ご飯論法」もまた,「強弁」の一つだ。
 民意が政権を覆すだけの力を持たない現状で,まさに「弱肉強食」の世界を現実としている国会内外の「強引」「強行」の政治手法には,市井の一介の弱者でしかない私としては諦めるしかないと思いながらも,諦め切れないものがある。これらも「災(人災)」のうちに入ることだろうか。
 「強欲」の「強」は「ゴーン」とも読めるということを,今朝の「朝日歌壇」で教えられた。
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管理者の自己管理

2018/12/09 16:37
 過労死につながりかねない働き方を改善するための改革を実現するために労働時間の制限等を検討する中で,医師や教師の残業時間が課題として取り上げられていることにつけて,付きまとう違和感が有る。その仕事の対象となる人の情況に応じて適切に対処しなければならない職務のどこからどこまでが労働時間としての枠組みの中で計ることができるものか,疑問が多いからだ。
 「医者の不養生」という言葉が有るけれど,医者は自らの健康管理を怠りがちだという意味だけでなく,その裏には,医者としての職務を全うするには養生=自己管理が欠かせないという含意も有るのではなかろうか。その点では教師の仕事も同様で,形式的に時間の規制を受けて果たせるものではなく,情況に応じた自己管理を必要とする側面が大きいと思われる。もっとも,その仕事に携わっている人の全てが自己管理能力に優れているわけではなかろうし,思いどおりに自己管理のできる環境に置かれているとも思えないから,個々の持つ力を超えてそれを補い支えるには,その組織の管理者や協力者の在り方こそが重要な要素になるのではないかと思う。
 話は換わるが,歳末を迎えてこの一年を振り返ると,今年しばしば問題として取り上げられた言葉に「パワハラ」が有る。「ハラスメント」と言うと,意味が限られてしまうけれど,スポーツ界をはじめ,さまざまな局面で指摘されたのは,指導や管理をする立場に在る者が立場上の力を自分自身の持つ許された権力だと勘違いして配下に強制することだ。暴力を振るう例も少なくない。そういう意味では「セクハラ」もまた,男であれ女であれ,自分より弱い立場の者に対して相手の気持ちを思いやることなく振る舞うもので,「パワハラ」の一変形にほかならないと言えよう。
 そして,国家社会という規模で見れば,最大の権力を握っているのは政府や官僚機構であり,民意を顧みることなく政権の意志を押し付けようとするのは最大の「パワハラ」行為だと考えられる。その頂点に在るのが安倍首相だが,他者に及ぼす力が大きい者ほど,その力を過信することなく,対象となる相手の置かれている情況に対する心配りを常に忘れず,適切に対処する自己管理能力を備えていなければなるまい。
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入院事情

2018/11/27 20:41
(承前)

 「内視鏡的乳頭切開及び結石採石術」を受ける前日の午後に入院して,翌朝から 絶飲食で点滴を開始,午後の施術に備える。施術室のベッドに横たわってすぐ,麻酔が効いて意識が無くなった。内視鏡を口から挿入し食道ー胃を通して胆管に届けるということだったが,その間の意識はまったく無く,気が付いたときは,点滴の管をつないだまま与えられた部屋のベッドで寝ていた。
 あとで聞いた説明では,施術にかなりの苦痛を伴う場合が有り,内視鏡を挿入したまま無意識のうちに身動きをすると内臓を傷つける惧れが有るので,麻酔を強くしたということだ。私にとっては,意識がまったく無くなったというのは初めての経験だったが,そのまま死んでしまえばずいぶん楽な死に方だろうと思った。望んで許されるものなら,そんな死に方がしたいと思う。
 「涅槃願望のようなものが、今や90歳に迫ろうというこの私にもある」と,山折哲雄さんが書いている(「朝日新聞be」連載『生老病死』11月3日)。同じ文中で,今年1月に76歳で自死した西部邁さんに触れて「西部さんは晩年、心身不調と執筆の不如意に苦しんでいたという。この高齢社会では、誰もがある程度は覚悟しなければならないハードルである」とも書いている。そのときの「安楽往生」を希求する気持ちは私にも有る。もっとも,西部さんのように自死の手助けをしてくれた人に罪が及ぶような事態は避けなければなるまい。
 手術の結果,結石はきれいに取れたということだった。この際,胆嚢を切除しておけば,後の憂いは少なくなるけれど,年齢のことも有り,若いときに無理をして虫垂炎をこじらせて腹膜炎を惹起し危ういところで命をとりとめた手術の影響も残っているので,開腹するリスクは避けたほうが良いという医師の判断で,あと何十年も生き延びることを望むわけでもなし,これで良かったと思う。
 前後6日間の入院だったが,毎日,昼も夜も,担当の看護師が変わるので,顔と名前がなかなか覚えられなかった。働き方改革の流れで勤務時間が過剰になるのを避けるための仕組みなのだろうが,患者とのコミュニケーションはそれだけ薄くなり,老いた患者としてはいささか淋しいことではあるけれど,働く人を守るためにはやむを得ないことだと観念するしかあるまい。
 入院している間は,テレビも新聞も遠ざけて,ひたすら目を休めていた。その間に,全国的な大会としては今年の野球シーズンの最後となる社会人の日本選手権大会,大学・高校の明治神宮大会が終わっていた。視力の衰えが進む一方なので,細字を手書きしなければならないノートへの記録は,これを区切りとして最後にしようと思っている。私に残るこれからの楽しみはマラソンと駅伝だが,あとは,体力が少しずつでも回復していくのを期待するのみだ。
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不調の詳細

2018/11/24 17:22
 パソコンの不調で文字入力が思うように進まないと書いたら,それに関連して,これまで何度か書いている私の体の不調のほうはどうなのか案じてくださる電話を頂いた。身体機能のほうは加齢によるもので,どうなるものでもないと思うものの,視力の衰えで文章の手書きが難しくなり,少し長めの文章は全てワープロやパソコンの機能に頼るようになって久しく,1998年にホームページを開設して以来,2006年1月にはブログを始め,ワープロ専用機で下書きしたものを変換ソフトを利用してパソコンに移して発信してきた。文章を書く上では,入力も推敲もワープロのほうが格段に使い勝手が良いのだけれど,その後,度重なるOSの更新で文章変換のソフトの提供が無くなり不便にはなったものの,需要が少ないせいで止むを得ないことなのかと思いつつ,パソコンだけに頼ってブログの発信は続けて来た。
 ところが,最近になって,使っているパソコンのキーボードによる文字入力の機能が不調になり,具体的に言うと,最初の1文字を入れると同じ文字が連続して際限なく出てきて,その都度,余計な部分を削除しては入力し直さなければならない状態が続いている。パソコンを使い始めてからこれまで一度も無かった事態で,原因がキーボードの劣化によるのかパソコン本体に在るのか判らないのでメーカーに尋ねると,パソコン内のデータを全てバックアップしておいた上で初期化し,セットアップし直すようにと言われた。他の機能にはまったく支障が無いので,そんな手間を掛けなければならないのは気が進まないし,パソコンを買い替える余裕も今は無いので困惑している。
 身体でも,機器でも,機能が思うように働かなくなってくると,もどかしさや苛立ちが募るばかりだ。
 体のほうは,毎年受けている高齢者の健康診査の結果,昨年の大腸がんに続いて,今度は,血液検査で肝臓の数値が上がっていて,エコーとCTによる精密検査を受けたところ,「総胆管結石症」という診断が下りた。結石が在ることはこれまでも指摘されていたことだが,今回は,このまま放置していると危険な段階に至っていると言われ,今夏の体調不良の状況に思い当たるところも多いので,入院して「内視鏡的乳頭切開及び結石採石術」なる手術を受けることにした。

※以下は次回に続ける。
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