ねばならない

 私が長年の勤めから退いたとき,母が「これで安心した」と言っていたと妻から聞いた。私は,自分の仕事に責任を感じていて,私的な事情で仕事を休むことはできないと常々漏らしていたので,その仕事を辞めたことで,当時既に90歳に近かった高齢の母としては,「これからは自分に何か有っても万事息子に頼ることができるという安心感を持っていける」という意だ。そのとき母はまだ元気で,私も傍らで共に暮らしていたのだけれど,それだけに母は,息子の仕事の邪魔になってはならないという緊張感を持って暮らしていたのだと思う。母はその後も96歳で亡くなるまで元気に過ごしていたし,私も特に責任を感じずに済む仕事を続けることができた。
 今は,私自身がいつまで元気でいられるか自信が持てず,いつ不慮の事態に陥るか予断のできない年齢だ。妻との老老暮らしだから,私の身に何か有ったときは,これまで世帯主として処理してきたいくつかの書類や諸々の公的な手続きをはじめ諸税・料金の支払い等,遺された者が戸惑うことも多々有るかもしれないと案じ,そのときに備えて具体的に分かりやすいよう書き残しておかなければならないと考えて,これまでに用意はしてきている。加えて,今年度は居住地の自治会の役の一端を引き受けているので,預かっているものも有り,それも,いざというとき,引き継いだ人にすぐ分かるようにしておかねばならない。
 しかし,最近の私は視力が衰え,細かいことを書き遺そうと思うと,手書きをするのは辛いので,機械に頼らなければならないのだけれど,私的に立ち入った事柄を他人の目に触れる可能性が有る所に遺すわけにはいかないから,ワープロで打って文書ファイルとして保存している。ところが先日,上書きする必要が有ってその保存文書を開こうとしたところ,フロッピーが開けない事態が起こった。機械ではたまにそういうトラブルが生じるから,新しい書き込みをした場合,その都度バックアップを取っておくか印字しておくかしなければならないのだが,つい怠ったときに限って困ったことになるものだ。
 「(炊飯器の)米の炊き具合を調節するダイヤルが『やわらかい』で固定されたまま反応しなくなり、」「15年もがんばってくれた強者です。もう引退してもいいのではないかと、感謝の気持ちを込めて磨き、リサイクルセンターに持って行きました。/外食の機会が減り、より出番の増えた炊飯器です。家電メーカー各社の新製品のチラシや、ネットの口コミなどをじっくり読み比べ、これだと思う一つを決めました。/革命です!/炊き立てのごはんはこんなにも心安らぐ香りだったのか。米とはこんなにも甘く奥深い味だったのか。」「前の炊飯器も当時の最新型で、かなり高性能のものでした。」「しかし、15年です。パソコンやスマートフォンの進化は、機械に疎くても毎年のように実感しているのに、炊飯器については、考えたこともありませんでした」と,湊かなえさんが7月29日付「朝日新聞・夕刊」の随想欄に書いている。
 私のワープロは1998年製だからそれ以上に古い物だ。しかも,使ってきたワープロ専用機は今は作られていない。人も機械も加齢とともに機能が衰え,やがて消えていくものだと覚悟しておかねばなるまい。

解っていないこと

 私の肉親の中で最も長命だったのは96歳で亡くなった母だけれど,戦死した父と広島で被爆死した母方の祖父は別にして,現在の私より高齢になるまで生きたのは,母方の祖母と妻の長兄の二人だけで(ともに享年88歳),私自身が身近で見守ることができたのは母のみである。その母は脳幹の腫瘍出血で突然倒れるまでは元気に暮らしていて,救急車で運ばれて半月経たないうちに意識を喪ったまま亡くなったから,老齢による衰えを真に実感するまでには至らなかった。それでも,思い返してみると,食事などの面でやはり衰えていたのだなと今にして気付くことはいくつか有るけれど,そのときは深く考えることも無かった。私自身が齢を取って初めて解ることが少なくない。我が身で体験しないと,理屈の上では解っていても,たとえ親子や夫婦の間でも解らないことは多いものだと痛感する。そのことは産婦人科に関わる女性の心身の状態が男性には体感できないのにも通じることだろうが,老化の場合は,自分も同様にその年齢に達すれば初めて解ることだ。
 医師であっても同じことではなかろうか。呼吸器,循環器,消化器,口腔等々,それぞれの分野で疾病に対する研究や治療技術が格段に進んでいる現代でも,加齢によってそれらの機能が衰弱した場合,快癒に至る的確な治療法が有るとは思えない。できるだけ栄養を補給しつつ,少しでも楽ができるよう見守っていくほかは無いのではなかろうか。理論的に言えることと事実上推奨できることとは別で,当人の辛さを真に理解して効果的に対処するのは容易でないと考えられる。理解できないことは当人の望みに任せるしかあるまい。
 理解できないと言えば,自分は高給を取って国民の金を思うように費っている政官界の高位に在る人やその秘書官たちは,辛い生活に耐えている国民の情況が本当に解っているのか,コロナウイルスの影響を受けている現在の社会の厳しい状況に対する行き当たりばったりの思いつきの施策を見ていると,改めて疑念が増すばかりだ。その陰でいつの間にかないがしろにされていることも多い。
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進化の功罪

 知人の動向を知るのにブログやツイッターを見る。しかし,先日も書いたように,先方の加齢等の事情に因る場合も有ろうが,時日の経過とともにブログを書く知人がほとんどいなくなった。私自身もパソコンに文章を入力することがしだいに厄介に思われるようになってきて,断片的な思いをツイートするだけのほうが楽ではないかという気になりつつあるけれど,それでは他者に思いが十分には伝わらない,書くからにはせめて短いなりにもブログの形で述べたいと思い直している。
 それに,最近気付いたことで,OSにWindows10を使っている私の場合,これまでツイッターを見るときはIEを通していたのだが,「このブラウザは現在サポートされていません」という表示が出て使えなくなり,詳しい事情は解らないもののMicrosoft-Edgeに切り替えて登録し直さなければならないことになった。
 それは私の個人的な情況にすぎないけれど,IT界の現況を見るにつけて,SNSが意見を拡散させて政治を動かす力まで持つようになった反面,根拠の無い中傷など,人権を侵すような場面が増えてきて,功罪の大きさが目立って感じられる。メールやクレジットカードを利用した詐欺の横行は論外だとしても,迷惑な入り込みも少なくない。
 米大統領をはじめ,ツイッターを使う政治家も増えているけれど,本来ツイッターやLineは個人的な「つぶやき」や連絡を発信するメディアであって,政治家が無責任な自己主張に利用すべきものではないと考えられる。政治家は常に言葉を尽くして説明責任を果たすよう努力すべきものだろう。
 私がブログで述べているのは,私より若い世代の人たちに,私の年代の者が体験してきたことや老後の思いを知って参考にして欲しいからのことで,そのためにできるだけ具体的に詳しく記すよう心掛けているつもりだ。
 ノーベルの時代ならずとも,科学文明の進化が人間社会に及ぼした功罪は計り知れないものが有る。近年のITをはじめとする文明の発達は暮らしを格段に便利にしたことではあるけれど,逆に,高齢者や身体の不自由な人にとっては,不便で暮らしにくくなったことも多いはずだ。その理解や思いやりに欠ける政治や行政の施策が増えている昨今の傾向は,一考を望みたいことでもあり,詐欺横行の一因にもなっているのではなかろうか。

夢のような話がしたい。

 「(私は)よく眠ります。連続8時間は眠り、昼寝もするので累計睡眠時間は1日10時間に及びます。」「寝起きは頭がクリアで、起きるなり仕事ができます。その状態を何回もつくれば作業効率が上がると思って、昼と夕食後に仮眠するのです。」と,作家の島田雅彦さん(59)は言っている。(7月4日付「朝日新聞」be面『私のThe Best!』聞き手・林るみ)
 島田さんは続けて言う。「睡眠中の脳は目覚めているときとは違う働きをしていて、それが創作や発想の源泉になっているという自覚があります。心折れる外界から距離を保ちつつ、妄想の世界で自由に遊べるこのクリエイティブな時間はマイ・ベストといっていいでしょう。」
 私は作家ではないけれど,文章を書くのは好きだし,扱う機会も少なくないほうだと思っているので,まさに同感だ。特に高齢になってからは,脳の活性化のために適宜の睡眠が欠かせない。半睡半醒の中で「クリエイティブな時間」を持つことも少なくない。しかし,過去の現実の記憶を夢に見ることはほとんど無い。
 「この齢になるまでには,戦後の辛い体験も厭な思いもずいぶん重ねて来ているけれど,それを夢に見ることは無い。夢そのものを見ることの少なくなった今でも,たまに見るのは懐かしいことか楽しいことで,目覚めてからもう一度見直したくなるような『夢物語』が多いのは,悪い記憶は引きずらず,何事も前向きに捉えようと気持ちをコントロールしているからだろうか」と書いている(2019.3.19「夢物語」)ように,目覚めてから書き残しておきたいようなものも有るのだが,そのときはもう「懐かしい」「楽しい」という雰囲気の記憶だけで,具体的な内容は思い出せなくなっているのは,これも老化の証しの一つなのだろうか。
 せめて現実でも,生きる原動力となるような,明るく前向きな話がしたいものだと,そういう話題を引き出してくれる相手を切に求めている。

老いの願い2

 朝,目はいちおう覚めていても,起き出す気力がなかなか出ない。無理に立ち上がろうとすると頭がふらつく。機能を動かすための暗証番号が有ったはずだがと,茫とした中であれこれ考えている。
 気力を奮って身支度を済ませ朝食を摂り了えたころ,ようやく少しずつ頭が働き始める。まず新聞に目を通そうとするのだが,最近は視力が弱ってきて細かい字は読みづらく,何段にも亙る記事だと読み違いや飛ばし読みが多くて捗らない。開催が中止されていた各種のスポーツが少しずつ復活しつつあり,プロ野球も無観客試合ながら第2節に入ったところだが,昨年来何度か書いたように,長年続けてきた記録等は視力の衰えに応じて減らしているのでかえって良かったようなものだけれど,わずか半年足らずの間に馴染みの無い名前の選手が増えたような気がして,何となく関心が薄れてしまった。政治や社会に関する話題はうんざりするようなことが多くて,丹念に目を通す気にはなかなかなれない。
 次の作業はパソコンのチェックだけれど,必要ないくつかの検索サイトとメールの送受信機能や知人のブログサイトのほかは,多くを削除してしまった。新聞同様に,細かい文字が読みづらいし,色付きの字や絵文字混じりの文章は読み取りにくい。まず,時間潰しにしていたゲーム類は,眼が疲れるばかりだし,最近は迷惑メールが入り込んでいることも増えているので,最初にアンインストールした。
 旧知のブログサイトで,これは先方の加齢等の事情に因る場合も有ろうが,時日の経過とともにいつの間にか消滅しているものも少なくない。私自身もパソコンに文章を打ち込むことがしだいに厄介になってきつつある。
 こういう事態が重なってくると,せっかく元気を出して起きたところで楽しみが無くて,毎日がつまらなくなってしまう。私に生きる楽しみを与えてくれるパスワードは無いものだろうか。

老いの願い

六月も,早くも半ばが過ぎ,四月からは自治会の雑務を引き受けて雑用が増えたせいも有って落ち着かない日々を過ごしているが,それほど忙しいわけではなく,むしろぼんやりしている時間のほうが多い。それよりも,,気候の変化に付いて行けず,起きていれば疲れやすくてすぐ横になりたくなり,横になるとウトウトと眠ってしまう。
 横たわると背中の半身から脇腹の前の方にかけて筋肉痛が有り,首筋の筋肉にも痛みを感じる。手首や指の関節が痛み,作業に力が入らないことも有る。口腔内の歯と唇との間に食物や唾液が溜まり,咄嗟の嚥下が難しくて慌てる等々,加齢とともに肉体的に思うに任せないことが増えてきて,今にして昔の周囲の高齢者たちの姿を想起して思い当たることが多くなっている。
 視力の低下による「読み書きの楽しみ」の喪失も大きくなるばかりだ。読書を楽しむことは既に諦めたけれど,新聞紙上の四コマ漫画の吹き出しに書かれた台詞が読めないと,ギャグを楽しむこともできない。この齢になってからの視力のストレスは,その一日の疲労を溜めることになり,夕食の食欲にも影響してくるように思われる。
 呼吸がし辛く,喉に飲食物が詰まりそうな気がして,飲み込み難いときが有るけれど,詮じ詰めると全ては,呼吸器系,循環器系全般に亙る身体機能の老衰と老人性「うつ」のもたらす症状で,部分的な治療で解決できることではないと考えられ,生命力回復の手段としては若い人たちとの交流で元気を貰うしか無く,それが叶えられない環境であれば,総合的に安楽死に導く手段しか無いと思うのだが,そういう医療機関は,現在のわが国には残念ながらまだ無い。

民主主義の今

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」(日本国憲法前文)
 「国民によって選ばれ、国民に代わって政治のことをつかさどる公務員には、いろいろあるが、その中でもいちばん重要なものは、主として『立法』のことにあたるところの国会の議員である。国家の公務には、『立法』のほかに『行政』と『司法』とがあって、それらをつかさどる人々も、国民の代表者であることに変わりはない。」
 戦後間もない昭和24年,文部省著作教科書として新制の中・高等学校の「社会科」で用いられた『民主主義』上・下2巻が在った。17章373ページに亘って民主主義社会の有りようを詳しく述べたもので,上掲の文章は,その第十三章「新憲法に現われた民主主義」から抜粋したものだ(一部旧字体の漢字は現行の字体に改めた)。
 現行の『日本国憲法』(昭和21年11月3日公布,22年5月3日施行)の柱としては,今日最も問題になる「戦争放棄」だけでなく,「主権在民」,「三権分立」が在る。私どもは,戦中戦後の社会を生きて,民主主義と日本国憲法の精神を実践的に学んだ。しかし,今の安倍首相を初めとする政治家や官僚たちはそれをどれだけ学んでいるか疑わしい限りだ。安倍首相の国会軽視,行政私物化の姿勢が「国民のための政治」と大きくかけ離れているのをかねて憂えていたところ,今度は検察人事にまで強引に手を出そうとしている情況は,民主主義の対極に在るものとして前記の書にも繰り返し述べられている「独裁」に通じるもので,民主主義に対する挑戦だと言っても過言でないと思われてならない。公務員としての職務から逸脱して「辞職願」や「進退伺」を出さなければならないのは,検事長や法務大臣よりも,まず首相自らではなかろうか。
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月は晴れても

 コロナウイルスによる緊急事態の情況は,政府・行政の無能な姿が明らかになるばかりで,先の見通しはいっこうに明るくならず,心は闇のままだ。私個人の情況だけであれば,緊急の医療に頼らなければならないことも無く,暮らしの上で多少の不便を忍ぶだけで済んでいるけれど,文化やスポーツの行事は軒並み中止や延期,報道メディアも変わり映えしないことを繰り返すだけで,気持ちは晴れるときが無く,個人的な「ボヤキ」を書く気にもなれないまま半月が経とうとしている。
 学校も休校が続き,高校野球の選手権大会だけでなく,インターハイ(高校総体)も中止と決まった。私どもの如き老人は,歳月がたとえ空白になっても今さら大した問題ではなく,そのうち人生の終末を迎えるだけのことだけれど,17歳の若者にとっては,喪われた年は二度と体験できる機会は無く,人生の中で失うものは限りなく大きいはずだ。学問は努力によってあとからでも取り戻せるけれど,二度と取り戻すことのできない年を呆然と見送るのみで,まさに「闇」の日々を過ごしているに違いない。

どこまで続く

 新型コロナウイルスの蔓延により,医療崩壊,用品や人材の不足,高齢者対策等々,社会の弱点が次々と明らかになってきている。経済政策,文教政策,福祉政策などがいかに場当たり的なものであったか,用品や人材の不足は,安易な他国依存によっていたものだということも思い知らされている。娯楽やお洒落に対する庶民の意識も変えなければならないことを迫られている。うわべの繁栄に慣れ,まさに野放図に過ごされてきた現代社会の欠陥を直視しなければならないときだ。
 世界を見ても,グローバリズムとナショナリズムとの相剋は破綻を招き,まさに大戦前夜の様相を呈していると言えよう。
 この期に及んでなお,為政者の意識は相変わらず自己中心的な発想から脱することができず,国民の不安をいたずらに増幅させる言動を繰り返している。わが国の首相夫人の言動もまた立場を弁えないことばかりで,安倍さんはマザーコンプレックスだとか仲睦まじい夫婦だとか,これまでもいろいろ評されて来たけれど,今にして気づくのは,常に行動を共にしていたのは,離れていると何をしでかすか分からないという危惧が夫の心中に有ったからではなかろうかとさえ思えてくる。緊急事態宣言はいくらでも出せるし,国民の税金を目先のことだけに安易に使ってみせることはできても,2022年までは油断できないという説も有る。この事態が生み出している閉塞感はいったいいつまで続くのだろうか。
 私が毎朝仏前で阿彌陀経を称えるのは,信仰心と言うよりも,戦中戦後の苦労を乗り越えて晩年は安らかに過ごした母が今は安楽国に往生していることを信じて供養する思いからなのだが,昨今は私自身がそれを願う気持ちになっている。

この春を憂える

 昨年暮れに,老化による視力の低下を自覚して,それまで80年近く生き甲斐のようにして続けて来た野球記録を終わりにすることにして,「中学生のころから『1年に1冊,B5判50枚1ページ30行のノートに自分で線を引いて,プロ野球だけでなく,大学,高校,社会人,全ての公式試合の記録を残すようにしてきた』けれど,今年を最後にしようと思い定めた」と書いた(19.10.30「気力喪失」-19.11.21「これでお別れ」)。ところが,その時は思いも及ばなかった新型コロナウイルスの猛威により,全国高校選抜野球大会を初めとして,例年なら今頃は酣のはずのプロ野球,大学野球,社会人野球など,全国的な全ての公式戦が中止や延期に追い込まれ,高校野球の春季地方大会も開催されないという。野球だけでなく全てのスポーツ競技が同じ状況で,記録するどころか,報道に触れる機会も無いから,老爺の僅かな楽しみもすっかり奪われてしまっている。
 私ごときの楽しみが奪われたことを嘆いてはいられない。ウイルスは世界中の多くの人たちの命を脅かし,生計が立ち行かなくなって死を思う人も少なくないのではなかろうか。政府は,収入を無くした世帯や商店主に自己申告によって生活支援の補助金を支給すると言っているけれど,事態はいつまで続くのか先の見通しも保証も無いことだ。フリーランサーや,いわゆる「日銭稼ぎ」で暮らしを維持している中小の自営業者などはどうなるのか,そこまで行き届くとは到底思えないし,故郷から離れて学費や生活費をアルバイトで辛うじて賄っている学生はどうなるのか,また,新卒で内定をもらっていた就職が一方的に取り消された人も少なくないと聞く。前途を閉ざされた人の悲嘆は,僅かな年金を頼りに細々と暮らしている老人どころではあるまい。混乱に乗じたデマや詐欺,脅迫も絶えず,この世の中には善人もいるけれど,反社会的な困った人の多いことを痛感して,それだけ,貧しい暮らしに気持ちの余裕を失っている人が多いとも思わせられる。
 「緊急事態宣言」が出されて外出を自粛するように言われても,不要不急の外出はもともと望めない私のような老爺であれば暮らしに大きな変化は無いとも言えるが,子どもたちをはじめ,生活の中心となる人々が心身に受ける影響は大き過ぎると思われる。
 季節はまさに春爛漫のとき,私に叶うことは,自宅の近くに咲く花を眺めることだけだ。
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わが自治会内公園の桜(2020.4.7)

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地域共同体の行方

 私の記憶の中に在る老人と言えば,ほとんどが70代までで,それも「寝たきり」か昔の言い方で「中風病み」が多かった。直接関わりの有った肉親で,戦死した父と原爆で被爆死した母方の祖父を別にして,85歳を超えて存命だったのは,私の母と母方の祖母,妻の長兄の3名だけだ。私自身この齢になって生きているとは想像もできないことだった。
          *     *     *
 一昨年の暮れの記事(18.12.29「終活」の悩み)の中で次のように書いている。
 「社会の高齢化ということで言えば,私が長年暮らしている地域の自治会の運営システムについても案じていることが有る。地域の自治会は,45年前に私の世代の力で結成し,現在は150世帯ほどを9つの班に分けて運営しているのだが,その役員は,班ごとに輪番制で担当する班長の相互協議で決定される。ところが,高齢化にともなって後期高齢者のみの世帯が増え,役員の仕事が重荷になる人が多くなり,輪番制が崩れつつあるのが現状だ。私の班でも飛ばさざるをえない世帯が次々と出てきて,来年度は輪番より3年早く私が引き受けなければならないことになりそうだ。私とて連絡役だけならまだ何とかできるけれど,この年齢になって地域の作業や行事の責務を担わなければならない役員の仕事は負担になってくる。何よりも体力を必要とする仕事にはもはや堪えられない。かといって,前述のような情況で安易に先へ送るわけにもいかず,自治会設立当時のシステム作りに関わった仲間の大半が既に鬼籍に入っているので,残された者の責任として,若い人たちの気持ちも聞きながら,現状のシステムを何とかしなければならないと考えている。」
          *     *     *
 そのとき思っていたよりも1年延びたけれど,4月からいよいよ今年度の役員を引き受けなければならないことに決まった。昨年度の役員からの引き継ぎ文書を見ると,かつて私が作った会員名簿や歴代役員の分担記録などが原型のままの書式で続けられていて感慨深い。
 さて,引き受けはしたものの,この先1年,役を全うすることができるか,心細くもあるけれど,体力の叶う範囲で最善を尽くすしかないと心を決めている。
 前年度の役員からの引き継ぎが終わったところで,近年の情況を聞いていて気になるのは,自治会内でのコミュニケーションが年々稀薄になってきているように思われることだ。大型の集合住宅に住む人の「隣は何をする人ぞ」という言葉で象徴されるような情況を聞くけれど,個別住宅が並ぶ住宅地で暮らす人たちの間でも似たような事態が生じている。役員として連絡を取り合っている人たちは良いとして,中には転入してきても自治会に入ることを拒否する人も在り,そこまで極端でなくても,家族が亡くなっても周囲に知らせず,最近増えている「家族葬」で済ませて,自治会には秘匿しようとする人が少なくない。昨年度1年間でも5名の高齢者が亡くなっているが,若い世代の人たちは,近隣に馴染みの少ないせいもあり,多くの人に知られることによって生じる煩わしさを避けたい気持ちも有るようだし,個人情報を知られることを嫌う気持ちも解るけれど,年代によって較差が有るようで,地域共同体の一員として長年暮らしてきた者にとっては「知らなかった」では気持ちの整理が付かない場合も有る。昨今のコロナウイルスの感染防止についての行動にも共通することだが,生活共同体の仲間という意識が薄くなっていて,自分の暮らしの中だけで全てを完結させようとする今の一部の若者の傾向を現しているようでもある。

老爺の憂鬱

 前立腺にがんが見つかり,2か月にわたる放射線照射治療を受けてから5年半になる。その後,3か月ごとの定期的なPSA検査の結果,数値はその都度下がって,先週受けた結果も順調だという診断をもらった。現在までの経過は,折々ブログでも記してきたけれど,治療中に放射線科の技師に雑談の中でブログのことを漏らしたところ,あとで検索して見たようで,「患者の気持ちが解って参考になった」と言われた。当時の記事の一部を抜粋する。
 「前立腺がんの放射線照射治療が1か月を越え,その副作用なのか,疲労脱力感,食欲不振,排尿障害などの症状が出ている。これらは,治療が始まる前からいくらかは感じていたものだが,食欲不振は,治療のための禁酒や香辛料を控えていることで著しくなっているようにも思う。」
 「(排尿障害に関しては)医師に相談したところ,排尿を楽にする薬を,朝夕1錠ずつで14日分処方された。」「服用を続けると,尿が出やすくなった代わりに,これまでにも有った尿漏れが増し,僅かな時間も尿意を抑えることができないために,外出時や,特に放射線照射治療の前には膀胱に尿を溜めておかなければならないのに,一気に漏れ出てしまうのには困った。」
 医師や看護師は『切迫感』という言葉を使う。尿意が抑えられないことを言うのだけれど,私の場合,『切迫』という感覚ではなく,意思にかかわりなく『漏れ出る』という状態なので,既に治療開始前から,長時間の外出の際には使用してきた市販の尿漏れ用の紙パンツを,今では常時着用している。」「尿漏れは,日常的に高齢者には多い症状のようで,最近は,いくつものメーカーから尿漏れ用パンツが売り出されて盛んに宣伝されているし,ドラッグストアなどには,さまざまな種類の商品が大量に積み上げられている。尿が漏れてもパンツが吸収して肌触りはさらさらしているから安心で,よく出来ていると思う。しかし,今回は漏れる頻度や量が多いので,吸収したパンツが重くなって匂い,そのつど交換しなければならない。となると,パンツに保険は適用されないから,パンツ代が嵩むのが悩みの種だ。」
( https://shog.at.webry.info/201410/article_1.html 「排尿障害レポート」)
 尿漏れは現在も収まらない。水道を出したり筋肉を使ったりすると,刺激されるのか,途端に漏れる。漏れた尿をパンツが吸収してくれている間は良いけれど,2日目ともなると飽和状態に達して外に滲み出てくる。膀胱の緊張を緩めて漏れを少なくする薬剤はいろいろ在るようだが,老化現象の一つだと思うから,敢えて薬剤に頼る気にもなれず,あとどれだけ生き延びられるか分からない老爺としては,観念して今後も成り行きに任せる気持ちでいる。

呼び名にこもる思い

 「Shoちゃん」というのは私の幼いころからの愛称だが,中・高等学校時代には,友人たちからの親しみの底に信頼と敬意の感じられる呼び方だった。現在でも齢の差に関わりなくそう呼んでくれている旧知が少なくない。このブログのタイトルも,それを基にして,既に老いた今だから「ちゃん」に替えて「G」(爺)とした次第だ。先日も「厳しいけれどもその底に優しさが在るところを見習って来た」と言ってくれた後輩がいて嬉しく思った。かつて,「温かいようで冷たい」と批評的に言う仲間もいたけれど,どちらも私の本質的なところを見てくれているとありがたく感じる。思うに,私の根底に在るニヒリズムから常に他者を客観的に突き放して見ていることによって生じる印象だろう。その私の人間観は幼時からの戦中・戦後の体験に因るものだと思う。
 私は,自分で言うのは憚られるが,中・高等学校時代から周囲に一目置かれる存在だった。中学生のころ学校に視学官(旧制度の文部省および地方に置かれた教育行政官。地方では視学および学事の視察や教員の監督を行なった)の訪問が有ると,教師が私を呼び出して応対させられた。そのときは差し障りの無いことしか話さなかったけれど,そのころは,戦後間も無いことで,今で言う「ハラスメント」も有り,資質に欠ける教師も少なくなかった。私は半ば個人的な学校新聞を作って教師批判をした。その対象には学校長も含まれていたので,顧問的な立場だった先生は校長から疎まれ,先生は田舎の学校勤めに嫌気がさして東京の教師試験を受け,恋人だった同僚の女先生とも別れて単身行ってしまった。
 高校では,教師としての悩みの相談や「古典」の授業で文章解釈の当否の判断を求められたことも有った。担任していた生徒が自殺したときに,指導上の問題が有ったのだろうかと別のクラスだった私の意見を尋ねられたことも有る。
 こうした少年期のエピソードを思い出して書くと,自慢話を並べているようで怯む気持ちも起きるけれど,母の家庭教育が原因だったのかと顧みてもそれは無いと思う。ただ,父が戦死して母子家庭になってから,「誇り」を失わないことを戦争未亡人という身の「守り刀」として生きてきた母の影響は有ったかもしれない。
 高校時代のもう一つの呼び名で「雷魚」というのが有った。これは限られた仲間内だけのもので,攻撃的なところを意味していたようだが,内面的には気の弱い点を見抜かれていて,やはり愛称の一つだと受け取っていた。
 長じて社会人になったのちも,周囲から受ける敬意に狎れてしまい,権力的な態度を示す人物に対しては密かに不快感を持ち反撥心を抱いた。そのころの呼び名は,前にも書いたことが有ったと思うが,「ダンナ」だった。労働組合で攻撃的な活動を重ねた根底には既成の権威に抗する気持ちが在ったと言えようが,戦後の組織改革の上では役立ったのではないかと自負するところも有る。
 ただの老爺となった今では,自己嫌悪に陥るときも有り,無用の自尊心は捨てなければならないと自戒しているけれど,今後も「Shoちゃん(爺)」と呼んでくれる人が在ればと願っている。

問わず語り

 一昨年夏に亡くなった6歳下の弟が晩年,小・中学生だったころの記憶を確かめるメールを送ってくるようになっていた。
 「(こんな六十年以上も昔のことが半ば夢のように思い起こされたのは)、どうやら脳の崩壊や命の終わりを意識せざるを得なくなった(まだ切実な実感とまではいかないのですが・・・)ので、過去が現実そのものになって行っているのだろうと思います」と当人も書いていたように,人は遠くない死を予感すると,過去の記憶を呼び覚ましてはっきりしない部分について問いただしたり確認したりしたくなるのかもしれない。
 「母が亡くなったのちは,父のことや当時の暮らしを語り合えるのは,年齢に差が有ったとは言え,共通する環境に育ち,重なっている記憶も少なくない弟と私との二人しか無かったし,知性や感性の上で共通する点も多かったので,気持ちの通じる相手だった。」「(その)弟も亡くなった今,過去を語り合う相手はいなくなり,遠からず私も逝けば,全ては消え去って行くことになるのだろう。」
( https://shog.at.webry.info/201808/article_2.html )と,私も書いている。
 「年寄りの昔語り」と言うけれど,「問わず語り」をするには聞いてくれる相手が在ればこそで,肉親が離れて暮らしていると,その相手が無い。私の肉親としては,生後すぐに別れて暮らしたもう1人の弟と,2人の息子が在るのだけれど,考えてみると,彼らと心の底から全てを語り合った機会は無いまま,この齢まで過ごして来たように思う。肉親とは,かえってそんなものかもしれない。しかし,これまでは敢えて聞きたいとまでは思わなかったのであろう彼らにも,いつのときか,聞いておきたかったことが出てくるかもしれない。亡母には,私から呼び掛けて,米寿を機会に回想記を書いてもらい,編集・製本して残したけれど,私自身にも,今のうちに書いておきたいと思うことが無くもない。しかし,不特定多数の他人を対象にするブログには書けないことも多いから,個人的なことは,別の場所に残すほかないのだが,パソコンに入れておくだけでは,時が経って消失してしまう惧れが有る。パソコンは読みたい内容を検索して見つけるには便利だけれど,確実に保存するにはやはり手書きか印刷にしておかなければなるまい。パソコンでの消失を防ぐには,念のためその都度バックアップを取っておく必要も有ろうが,そこまでして残すことでもなかろうという疑念も有る。
 そんなことを考えながら寝ていると,気になることや考えることが次々と頭に浮かんでくる。老人にはよく有ることのようだが,私は寝つきは良いほうなので,それで眠れなくなることは無いけれど,眠ってしまうと考えていたことを忘れてしまうので,目覚めたときに思い出す手掛かりが必要だろう。それには,考えの発端になったことだけでも記憶しておかなければなるまい。

政治の責任

 何よりも自分が責任を負うべき事態が生じると,言い逃れやこじつけに終始して,責任は下僚に押し付けて転嫁し,納得できる説明を果たそうとせず,自らの責任を回避しようとする。近年続発する政治的な問題の全ては安倍首相の資質に因ることばかりだ。交替を願っても,批判勢力が無力なので,替わるべき人材が見つからず,独裁的な状況に対して支持率は維持されたままだ。
 そのような実態が明確な形で表れたのが,コロナウイルスに因る新型肺炎の流行をめぐって全国的な長期に渉る小・中・高等学校の一律休校を提唱した首相の今回の態度ではなかろうか。「私の政治責任において決断した」と言うけれど,これまで批判され続けてきた「責任」をこの時とばかり果たしたつもりかもしれないが,その判断は場当たり的な独断で,国民の生活実態に対する目線に欠け,まさに安倍晋三個人の体質を如実に現した「独善」というほかない内容だ。「批判するだけなら誰でもできる」と言うけれど,短絡的に「休校」を言う前に,児童生徒を含めた国民の生活を維持するために執らなければならない施策はいくつも有ると思う。
 打ち重なる災害は,昔であれば,「天を畏れぬ所業に対して天が下した怒り」と思うところかもしれないけれど,今の時代,一国を担うだけの力量も見識も無く,自尊心だけが強い人物が,他に人材を得られないために担ぎ上げられている実情からは,しかたの無いことだとしか思えない。
 首相は昨日になってようやく説明のための記者会見を開いたけれど,その内容は相変わらず,形ばかりの金銭で上辺を繕っただけのもので,当事者の負担をさらに増し,二度と戻らない大切な時期の子どもや保護者を初めとした関係者の苦衷を真に解決するものになっているとは思えないまま,短時間で逃げ出してしまった。
 もう一つ今気になっているのは,社会的な問題が生じたときのデマ・風評の広がりだ。今回もそういう傾向が見受けられる。トイレットペーパーが無くなるという噂で,近隣の幼稚園の先生たちが慌てて買い込みに走っているという事例を聞いた。そのときは既にスーパーの売り場ではペーパーが底をついていたという。現代のインターネットでの風評の拡散は恐るべきものが有る。体に良いという食品がテレビで紹介されると,翌日の食品スーパーの棚が空になるという例も有るけれど,それはよいとして,根拠の無いデマに踊らせられる消費者は愚かでしかないが,国民に生活の不安を抱かせる責任は首相にも有る。首相の責任としての取り組みはまずそういうところから始めなければならないのではなかろうか。

老躯のパターン

 前立腺がんの放射線治療から丸5年が経過したけれど,その間3か月ごとの定期検査を受けている限りでは,状態は安定しているようで,特に心配はせずに過ごしている。頻尿や尿漏れの傾向は有るものの,齢のせいでやむを得ないことも有ろうから,気にしないようにしている。
 尿意を催す間隔は昼夜を問わず約3時間おきで,残尿感は無く,その間は意識することも無い。夜間だと,2~3時間眠ったところで尿意を催して目覚めるけれど,排尿のあとはまた熟睡することができる。
 「3時間おき」と言えば,昼もそのくらいの間隔で疲れて横になりたくなる。横になってあれこれ考えていると眠気を催してきて,30分くらい仮眠する。そのあと暫くはぼんやりした状態が続き,身体が活動し始めるまで少し時間がかかる。特に思考力を要する作業だと,コーヒーを飲むか煙草を吸うかしなければ脳が活性化せず,やがて気持ちが高揚してくる。誰であったか忘れたけれど,3時間単位で作業と睡眠を繰り返し,作業に掛かる前にはコーヒーを飲むのが習慣になっているという文筆家が在った。芸能人だと,自分を覚醒させるために麻薬を求めるのかもしれないが,それが体の自然な要求であるなら,程度によるものの,職業上あながち責められないのではないかと思うことも有る。私の場合,節煙を志して何年も経つけれど,いまだに完全に禁煙するまでには至らない。特に少し長い文章を執筆するときは,途中で一服しないと思考力が鈍ってくる。その維持できる間隔も3時間くらいだ。これも依存症の一種と言えようか。
 いったん途切れた思考を取り戻そうとするときは,最初はいくつかの関連した単語が浮かび,それが繋がって文になり,やがて文章としてまとまってくる。夜の睡眠の質もそうだというが,人の身体の働きは,やはり3時間くらいを一区切りにして変化していくように思われる。それが少なくとも昨今の私の脳や体の働きのパターンになっている。

生きる形

 コロナウイルスによる新型肺炎に関する報道で使われることの多い「濃厚接触者」という語を目にすると,普通の「接触」に「濃厚」という修飾が付くことで,閉ざされた空間での異常な雰囲気を感じてしまう。そこでは,ウイルスの感染というよりも,密室で強者が弱者に襲いかかり我が意に従わせようとする行為に似た,わが国の現政権のイメージが浮かぶ。その場合,弱者のほうが身を護るために擦り寄ることも有るかもしれない。
 亡くなった人の在りし日の姿を語るとき「生前」という表現が使われることが有るけれど,「生まれる前」ではなく「死ぬ前」ではないのかと思いつつ,亡き人の「生きていたとき」を偲ぶ思いが込められているのだと理解するけれど,逆に,地位に執着して強者に屈し,生きながら死んだも同然の姿を晒すほど惨めなことはない。生まれたからにはその「生き方」を貫き,己の「生」を全うしたいものだ。
 「私は,いつのころからか,已に自分の『晩年』を意識しつつ,今日も生きている。『余生』を生きているという思いも在る」と,2006年8月のブログで書いている
https://shog.at.webry.info/200608/article_2.html )。現役を退いて,自己表現の場として長年続けてきたホームページをブログに切り替えつつあった年だ。2015年11月の記事には,「『余生』,『余命』という言葉が当てはまる暮らしをするようになって既に10年近くが経った。意欲的に取り組めることも,心から楽しめることも無いまま,徒に日々を過ごしている」とも有る( https://shog.at.webry.info/201511/article_2.html )。私の場合,人に屈することこそ無いものの,いつの間にか,それだけの無為に生きた「死ぬ前」の歳月が経ってしまっている。

まつろわぬ者

 私は,戦後施行された新しい学制のもとでの中学校から高等学校へと進んだ世代だ。中学校を建てるときには瓦を運び,高等学校ではグランドやプールを造る作業に加わった。教師は,旧制の学校での学歴を持っている者を寄せ集めた顔ぶれで,特に農漁村の地方では,戦中は軽んじられていた英語や美術・音楽の指導力が有る人は少なかったが,逆に,学歴に関わりなくユニークな授業をする人も在った。
 高校時代の記憶に残っている先生の一人に,老野人の風貌で方言丸出しの喋り方が聞くだけでも笑いを誘われる人が在って,「お前らはみんなマツロワヌ者の子孫じゃ」と言った言葉を今も覚えている。
 九州の高千穂の峰に降臨した天孫が各地のまつら(服)はぬ豪族を平定しつつ東征して,橿原の宮で大和朝廷を発足させた故事を踏まえたことだ。その後さらに東へ北へと勢力を広げて,権力争いを重ねながら,日本国の体制を確立したことは,歴史的な事実として残されている。近代に至ってからは大日本帝国の植民地として韓国や台湾を併合して版図に加えた時代も有る。
 今,「日本国は一つの民族で成立している世界唯一の国家だ」と繰り返し発言している政治家がいるけれど,「同一民族」というときの正確な語義は解らないものの,アイヌ民族や琉球王国に遡るまでもなく,歴史を省みない愚か者だとしか思えない。
 その一方で,労働力の不足を低賃金の外国人で補おうとする安易な発想は,根底にかつての植民地主義を残しているのではないかとさえ疑われるし,一強独善の政権与党の姿勢は,国民はみな政府の支配下に恭順すべきものだと考えているかのように思われる。それならば私は、「答弁」にならない言い逃れやごまかしに終始し、「質問」にはヤジを飛ばす首相に対して,無力であっても,「まつろわぬ」者で在りたい。

80代の危うさ

 「歳のせいだろうか、二月に入って、寒さが身に染み、骨までしんしんと冷えこんでくる」と、瀬戸内寂聴さんが書いている(『寂聴 残された日々』2月13日「朝日新聞」)。「今年の二月は、これという病気は訪れないが、無気力になり、昼間から寝てばかりで、いよいよ来る時が来たかと、病院に行ったが、かかりつけのドクターは、笑いながら、『お年ですから・・・』と言うだけであった。」「ベッドから出ようとしない私に、スタッフたちは馴れてしまい、『少しでも体力があるなら、書斎の机のまわりを片づけて下さい』という。」「(その横から、もう一人が)『それより、ベッドの脇机と、そのまわりを何とかして下さい。』と眉をとがらせて言う。」
 寂聴さんに比べれば,私はまだ若い年代だけれど,寒さが身に染み,時間さえ有れば温かくして横になっていたいという状態はあまり変わらない。身辺の片付けもなかなか進まず,横になると途端に眠気が襲って来る。朝食後,新聞に目を通し,インターネットのサイトやメールのチェックがひととおり終わったあとの午前の休息タイムは11:00~11:30,午後は,13:30~14:00が休息タイムで,14時以降は,その日の天候や体調によって,外周りの作業や外出を要する用件を果たすことにしている。室内での少しまとまった仕事に当てる日も有る。
 「国内感染か 初の死者 新型肺炎 神奈川80代女性」という新聞第1面のトップ見出しが有った(14日)。「80代」というのは,感染すると危ない年齢であることを表しかったのだろう。自分でもまだ気づかないうちに感染元になったと疑われる娘夫婦は辛い思いをしていることだろうが,考えれば(考えるまでもなく)私も妻ももはやその年代だ。
 感染症でなくても,金田正一(86),和田誠(83),八千草薫(88),眉村卓(85),宍戸錠(86)等々,この半年の間に80代半ばで世を去った知名人が頭に浮かぶ。直近では野村克也さん(84)が2月11日,虚血性心不全で急逝した。家に閉じこもっていることの多い私が新聞に載るようなことは有るまいが,半年先のことは何が有るか判らない。

閉じこもり高齢者

 最近,都会暮らしの高齢者の「閉じこもり」が増えているという。「引きこもり」「オタク」などは若い人について言うことが多いようだが,意思的に周囲の人から距離を置いて自分の世界に入り込んでいたい人に対して,高齢者の場合は,好んで閉じこもっているのではなく,外に出かける体力も経済力も乏しくなり,閉じこもっているしかないのが大きな理由だと考えられる。そういう高齢者の多くは,「独居老人」から「寝たきり老人」に進み,やがて「孤独死」を迎えることになろう。
 本当は,話し相手を求めているのだ。「あの人,きょうは体調が悪くてお休みだ」という病院の待合室の会話がジョークになっていたことが有った。むかし「サロン」と言うとやや高級感を伴っていたけれど,今どきは大衆化したものを広く「カフェ」と呼ぶようだ。さしづめ病院の待合室が「高齢者カフェ」になっているということだろうか。
 自治体によっては各所に「老人福祉センター」が設けられていたり,高齢者クラブの組織が有ったりするけれど,参加するのは自力で動けて仲間と一緒に行動できる人であり,その中に入っていくのは気が進まないと言う人も少なくない。話し相手が欲しくても,他の人と知的レベルや趣味が一致しないということも有ろうし,情緒的な面で共感できないという場合も有る。「傾聴ボランティア」に話を聞いてもらいたいと思っても,励まされたり窘められたりするのは不本意だし,真に気持ちを受け止めてもらえなければ,苛立ちが募るばかりで虚しいだけだ。私の暮らす地域でも高齢化が進み,体が動けば,話し相手をしてくれる知人を訪ねたり,表で近所の知り合いをつかまえて話しをする人もいるけれど,聞かされる側は「老いの繰り言」にうんざりする場合も有るから,相手になるのを避けようとする人もいる。老人が直面している本当の気持ちは,たとえ肉親であっても解らないことが多いものだ。
 独りで気を紛らわせるにしても,視力が衰えれば本も読みづらいし,テレビをつけても引き込まれるような番組は少ない。生きている楽しみは減るばかりだ。わがままを言うなと言われればそれまでだが,人生百年などと気楽なことを言っていられる人は良いけれど,今の時代に老人の置かれている情況は厳しい。
 私がブログを書くのは,特定の限られた話し相手を求めるのではなく,不特定多数の人に私の今の思いを伝えたいだけの営為なのだが,古くからの知人は加齢のためもあって年々減って行き,今どういう人が読んでくれているのか,返ってくるものがほとんど無いと,「閉じこもり老人」同然の情況だと寂しく思うときも有る。