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zoom RSS 逝くときまで

<<   作成日時 : 2018/09/12 17:45   >>

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 「母が逝きました」。大竹しのぶさんが「朝日新聞」の金曜日の夕刊に連載しているコラムで,これまでも自宅介護の様子にときどき触れていた96歳のお母さんがとうとう亡くなったということを読んだ(9月日7日)。それによると,「5月頃から食欲がなくなり、(中略)7月の猛暑の中、母の食欲、体力はみるみる落ちていきました。高カロリー飲料を頼るようになり、8月に入ると飲み込むことも時々困難になりました。スープを作ったりお粥を作ったり、ジュースを必死に飲み込んでもらっても、体重は26キロになりました。」と経過が記されている。別の報道で、亡くなったのは9月1日だったと知る。
 (亡くなる10日前のこと)「喋ることが難しくなった母は、ノートにこう記しました。《片付け大変ですね。健康を取り戻したら、お手伝いします。ごめんなさい》」「母は生きようとしていたのです。」「もう一度生きて、みんなの役に立ちたいと思い、その為に闘っていたのです。」
 私の母も同じ96歳で逝ったのだけれど,母の場合は,突然意識を失って倒れるまで元気だった。その日も,ふだんどおりに朝食を摂り,地域の老人福祉センターに出掛けるときのいつもの日と同じように,その齢になっても続けているラージボール卓球用のラケットとシューズを入れたザックを背負い,妻の作った弁当を持って家を出た。その後まもなく,センターの迎えのバスに乗ろうとして倒れたという知らせを受けて駆けつけたとき,既に意識が無かった。救急車で運ばれ,それまでのCTスキャンやMRIによる健診でも判らなかった脳幹に近い入り組んだ場所で動脈瘤が破裂していて,手術は不可能だと診断され,意識が戻らないまま12日後の早暁に眠りが永遠のものになった。
 老人福祉施設で書道や詩吟を楽しみ,ラージピンポンでは「卓球おばあちゃん」と地方紙に紹介されたことも有った。家にいるときは,庭や近くの河川敷で花や野菜を育て,元気に過ごしていたものの,高齢のこととていずれは介護が必要になると覚悟はしていたのだが,思いがけないことに,その必要が無くなってしまった。
 死後,遺品の整理をしていて,出納帳の余白に「思いもよらず長生きをして幸福な老後を送らせてもらいました」という記述が在るのを見つけた。また,私や妻が留守をした日はそれぞれが帰宅した時間を記録していたのを見ると,やはり心細さを感じていたのだろうと思うし,食事も普通に摂っていたけれど,時には食べづらいことも有ったのではないかと,今の私自身の状態から想像する。
 年寄りの気持ちは年寄りになってみなければ解らない。大竹さんも書いている。「老衰とは、ローソクが静かに消えていくものだと、漠然と想像していたのに、(身体の痛みを訴えるようになり、苦痛を和らげる薬で良くなったかと思うと意識低下が起こり)こんな苦しみが待っていたなんて。」
 大竹さんのお母さんならずとも,96歳までにはまだ年数の有る私でも,今夏の猛暑には食欲や体力が急激に落ちて苦痛さえ感じ,晩年の母はどうだったのだろうかと思い返して,老老介護の域に入りつつあるわが暮らしの先行きがいささか心細くなってきている。

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内 容 ニックネーム/日時
尾根を蹴り逆さ落としの野分かな 屋根を蹴散らし秋は来にけり
いざよひ
2018/09/13 19:43
野分荒れ息つく間無くなゐふりて 列島の秋憂ひの絶えず
返し
2018/09/14 21:48

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