コロナ禍事情

 太陽暦では月遅れとなるお盆も過ぎ,例年であれば,地域の自治会が催す「夏祭り」の時季となっている。47年前自治会が発足した当初は,世帯数も少なかったので,何事も皆で集まって話し合い,意思の疎通を図ることができたのだが,住宅の数も年々増えて,集まれる場所も,全員が顔を合わせる機会も無くなってきたので,年に一度の「夏祭り」は,自治会内の公園に住民の多くが久しぶりに顔を合わせ,老若男女それぞれ互いに親睦を確かめ合う貴重な機会になってきていた。当日は,年度役員の肝入りで,テント・カフェを開き,福引を催し,盆踊りやカラオケを楽しみ,年によっては地元高等学校の吹奏楽部を招いて演奏会を開くなど,例年心待ちにしていた人も少なくない。
 ところが今年は,新型コロナウイルスの蔓延で大勢の人が集まるのは避けなければならない事態になっている。そこで,年度役員の相談の結果,親睦を保つためのせめてもの方策として,班長が各世帯を訪問したうえで,福引に代えてコンビニや書店で使える商品購入カードを各戸に均等に配り,加えて,集会所の片隅に保管してあったいくつかの日用品を抽選によって配布することが案出された。「夏祭り」を催すための肉体的な作業に比べれば,老いた私にとっては負担が軽減されることにはなるものの,その配布のためにかなりの時間を費やさねばならず,ようやく準備が調ったところだ。
 コロナの影響と言えば,老化による視力の低下を自覚して,これまで80年近く生き甲斐のようにして続けてきた野球記録を終わりにしようと思い定めたのは昨年の秋だったけれど,「その時は思いも及ばなかった新型コロナウイルスの猛威により,全国選抜高校野球大会を初めとして,例年なら今頃は酣のはずのプロ野球,大学野球,社会人野球など,全国的な全ての公式戦が中止や延期に追い込まれ,高校野球の春季地方大会も開催されないという。野球だけでなく全てのスポーツ競技が同じ状況で,記録するどころか,報道に触れる機会も無いから,老爺の僅かな楽しみもすっかり奪われてしまっている」と書いて(4月9日「この春を憂える」)から3か月が経過して,まだ無観客ながら,ようやく各種競技が少しずつ復活されつつある。東京六大学野球春季リーグ戦が1回総当たり制で8月10日~18日全15試合(神宮球場),選抜高校野球の出場予定だった32校の交流試合が8月10日~17日で各校1試合ずつ16試合(甲子園球場)という変則の形で催された。となると,一度は諦めた記録だが,これだけは何とか残しておきたい気持ちになる。しかし,久しぶりにノートに書き込もうとすると,細かい文字がまったく書き辛く,時間を掛けて苦労して書いてはみたものの,自分でも判読できないような記録になってすっかり疲れてしまった。秋になって正規の形に戻ったとしても,やはり総合的な記録だけ新聞の切り抜き等の形で残すしかないと思い知らされていることだ。

ねばならない

 私が長年の勤めから退いたとき,母が「これで安心した」と言っていたと妻から聞いた。私は,自分の仕事に責任を感じていて,私的な事情で仕事を休むことはできないと常々漏らしていたので,その仕事を辞めたことで,当時既に90歳に近かった高齢の母としては,「これからは自分に何か有っても万事息子に頼ることができるという安心感を持っていける」という意だ。そのとき母はまだ元気で,私も傍らで共に暮らしていたのだけれど,それだけに母は,息子の仕事の邪魔になってはならないという緊張感を持って暮らしていたのだと思う。母はその後も96歳で亡くなるまで元気に過ごしていたし,私も特に責任を感じずに済む仕事を続けることができた。
 今は,私自身がいつまで元気でいられるか自信が持てず,いつ不慮の事態に陥るか予断のできない年齢だ。妻との老老暮らしだから,私の身に何か有ったときは,これまで世帯主として処理してきたいくつかの書類や諸々の公的な手続きをはじめ諸税・料金の支払い等,遺された者が戸惑うことも多々有るかもしれないと案じ,そのときに備えて具体的に分かりやすいよう書き残しておかなければならないと考えて,これまでに用意はしてきている。加えて,今年度は居住地の自治会の役の一端を引き受けているので,預かっているものも有り,それも,いざというとき,引き継いだ人にすぐ分かるようにしておかねばならない。
 しかし,最近の私は視力が衰え,細かいことを書き遺そうと思うと,手書きをするのは辛いので,機械に頼らなければならないのだけれど,私的に立ち入った事柄を他人の目に触れる可能性が有る所に遺すわけにはいかないから,ワープロで打って文書ファイルとして保存している。ところが先日,上書きする必要が有ってその保存文書を開こうとしたところ,フロッピーが開けない事態が起こった。機械ではたまにそういうトラブルが生じるから,新しい書き込みをした場合,その都度バックアップを取っておくか印字しておくかしなければならないのだが,つい怠ったときに限って困ったことになるものだ。
 「(炊飯器の)米の炊き具合を調節するダイヤルが『やわらかい』で固定されたまま反応しなくなり、」「15年もがんばってくれた強者です。もう引退してもいいのではないかと、感謝の気持ちを込めて磨き、リサイクルセンターに持って行きました。/外食の機会が減り、より出番の増えた炊飯器です。家電メーカー各社の新製品のチラシや、ネットの口コミなどをじっくり読み比べ、これだと思う一つを決めました。/革命です!/炊き立てのごはんはこんなにも心安らぐ香りだったのか。米とはこんなにも甘く奥深い味だったのか。」「前の炊飯器も当時の最新型で、かなり高性能のものでした。」「しかし、15年です。パソコンやスマートフォンの進化は、機械に疎くても毎年のように実感しているのに、炊飯器については、考えたこともありませんでした」と,湊かなえさんが7月29日付「朝日新聞・夕刊」の随想欄に書いている。
 私のワープロは1998年製だからそれ以上に古い物だ。しかも,使ってきたワープロ専用機は今は作られていない。人も機械も加齢とともに機能が衰え,やがて消えていくものだと覚悟しておかねばなるまい。